山極寿一は「チンパンジーは喧嘩をすることによって和解が促される」と主張していたが
これはDV男が散々暴力をふるうことによってセロトニンが分泌され副交感神経が優位になることで急に優しくなる現象と同じものである
糞DQNが夜中に泥酔して騒ぐことによってストレス発散になるのも同じであり
これらの迷惑行為を「和解のため」などと称して正当化できるものではない
チンパンジーが騒乱することでセロトニンが分泌され副交感神経が優位になることで和解になるのは 単なる脳内物質の相転移による情動の変化に過ぎず 合理性は何もない
ヒトが正義を振りかざして懲罰行動を採るのは それが生存や繁殖にとって有利に働いた結果であって 生存や繁殖という「結果」に対する合理性が存在するのは必然である
「水が低い場所に流れる」という結果に対して その流路に合理性が存在するのは必然なのと同じであり
ヒトが正義を振りかざして懲罰で満足するのも 水が低い場所に流れてゆくのも結果であって目的に基づいた合理的行動選択ではない
単なる脳内物質の相転移で主観的に満足安心するだけでは論理客観的根拠に基づいた合理的行動選択にはならない
強盗殺人犯に対して司法裁判で25年の懲役刑判決が確定したからといって それが強盗殺人をやらかすようなバカが発生する根源的原因究明にも再発防止にもならず 実際に出所直後に殺人を犯す事例が幾度も繰り返されているのである
そこまで典型的な再犯例はそれほど多くはないが 再犯率は未だ高く 「一つの大きな事象の陰には無数の小さな事象が隠されている」のであり 懲役罰というものは司法制度によって「犯罪者間における罰の公平性」などによって決定されているだけであって 論理客観的な原因究明や再発防止とは全く無関係な「手続き」でしかないのである
司法手続きというものは 役所(裁判所)の業務として執行されているだけであって 「人間としての重大な失敗例」或いは「ヒトという種の生物の先天的危険性」についての徹底した科学的検証にはなっておらず 従って通り魔もテロも強盗殺人も具体性のある再発防止がなされずに何度も繰り返し続けるのは むしろ必然というものである
懲罰や報復というものに主観的満足や安心を「感じ」るのは ヒトという種の生物の先天的で選択不可能な結果的本能習性に過ぎず どんなに主観的に安心満足しようとも 夜中に泥酔して騒ぐことで身勝手なストレス解消になっても 根源的な問題解決には一切ならない
DV男が配偶者や子供に暴力を振るうことで脳内物質の相転移が生じ 急に優しくなっても それによって配偶者やDV男が主観的「和解」だと倒錯しても DVそのものの解決には全くならず むしろDV状態が温存され 一種の洗脳盲目状態を維持し続ける結果しかもたらさず 問題の根源的解決には遠ざかるばかりである
山極寿一は霊長類の研究者であって 霊長類の先天的本能習性に対する事後正当化の「こじつけ」を繰り返すだけであって 先天的本能習性という「結果」をいくら陳列枚挙しても 人間としての「目的」行動選択の論証には全くならないのである
山極寿一に限らず生物学者のほぼ全員は 遺伝的進化によってもたらされた先天的形質や本能習性を「目的のために選んだ」と主張し続けてきたバカである
その頭の悪さをはぐらかすために 生物学者どもは結果に過ぎない先天的本能習性に対して都合の良い「こじつけ」を繰り返し 文科系マスコミどももまた大半がバカであるために論理思考が成立せず ただ学術権威の肩書だけを理由に生物学者どもの支離滅裂な話を漫然と鵜呑みにするだけである
山極寿一の主張というのは ほとんど「やりすぎ都市伝説」レベルのこじつけであり 到底科学的論証にはなっていない
チンパンジーの先天的行動習性をどんなに事後正当化して人間性の論証であるかのようにこじつけても チンパンジーは決して人間社会の中で安全に暮らせる生物ではなく 子供の時以外は檻に隔離しなければならない野獣であり 野獣の先天的本能や行動習性から都合よく「こじつけ」を繰り返しても人間としての社会性を論証することは原理的に不可能である
チンパンジーの和解プロセスは ウクライナ紛争にもパレスチナ問題の解決にも何ら影響を及ぼすことはなく ただ衆愚マスコミが「チンパンジーって賢いんだわ」などと勝手に妄想して安心満足するだけの「お伽話」に過ぎない
ヒトは主観的に安心満足さえすれば何の疑いも持たなくなり 論理客観的根拠があろうがなかろうが「信じたい話」だけを信じようとする先天的な認知上の重大な欠陥を持った生物である
後天的に何を願おうが考えようが祈ろうが望もうが呪おうが 遺伝的進化には影響を及ぼすことはない
ヒトが戦争などの暴力を根絶するために必要なのは ヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の重大な欠陥を自覚し 「多数」や「権威肩書」といった外見に惑わされることなく自分の頭で論理客観的に真偽を判別する必要性がある
それは最低限人類の半数以上が獲得出来なければ 民主主義は「バカ主義」にしか陥らない
バカ主義がどのような結末に至るのかはカオス(混沌)であり どのような悪い結果に至るのかは誰にも予測不可能である
学生にばかり認知科学的には何ら知能の論証にもならぬ学力偏差値を求めておきながら 大人の大半は自分の頭で論理客観的に真偽の判断をしないというのは 身勝手極まりない精神の怠慢である
そりゃ組織腐敗も戦争も起こるだろうよ
誰も徹底した論理客観的原因究明や再発防止には興味を持たず 司法判決で安心満足しているだけだからな
ロシア軍の野蛮行為も 北朝鮮による挑発行為も 戦前戦中の日本陸軍が朝鮮半島や中国大陸や東南アジアでやらかした戦争犯罪とさしたる違いはない
民族国籍が問題の根源ではなく ヒトという種の持つ普遍的危険性としての先天的な認知上の重大な欠陥こそが社会安全性や公平性を損なう最も根源的原因なのであり 太平洋戦争やナチスの戦犯を何人死刑にしても戦争そのものに対する根源的原因もわからなければ 必然的に再発防止にもならない
毎日のようにNHKが特殊詐欺の手口を紹介しているにも関わらず バカはATMで還付金が受け取れるものだと信じ込み キャッシュカードを封筒に入れ 暗証番号を教えてしまうのは 「自分だけは絶対に大丈夫だ」という慢心による主観的安心満足が働いているからであり
アクセルとブレーキを踏み間違えても踏み替えることができないのも 「自分だけは絶対に踏み間違えたりはしない」と主観的に思っておけば安心満足だからである
「自分も踏み間違えることがあるかも知れない」と自覚していれば もし踏み間違えた場合を想定してエンジンをかける前にペダルを踏み替える練習もするものだが それすらしないのは自己過信による主観的安心満足に溺れて何の問題意識も働かないバカだからである
ヒトという種の生物が先天的にバカだからこそバカが治らない
バカが治らないのは 自分の何がどのようにバカなのかを理解自覚しようともしないからである
Ende;