刑務所の服役囚のIQを調べると平均値よりも10ほど低いという
このデータだけを根拠に「犯罪者=IQが低い」という判断をするのは短絡的でバカげている
刑務所の服役囚が社会における犯罪者を平均的に抽出しているサンプルにはならない
知能指数が高ければ警察に捕まるようなヘマな犯罪は犯さないのであって 刑務所で服役している犯罪者というのは犯罪が認知されやすく しかも検挙しやすい犯罪者から捕まっているのであり 決して社会の犯罪の平均値にはならない
クレプトマニア(窃盗症)であれば中毒的に犯罪を繰り返すのであって 後先考えずにひたすら万引を繰り返せば検挙は簡単である
しかし 大企業や役所における不祥事というものは隠蔽が簡単であり 露見しずらく 犯罪として認知しずらいため 談合だの贈賄だのといった卑怯な犯罪が検挙されている以外にどれだけ存在しているのかは全くわからない
もし「氷山の一角」だとすれば「IQと犯罪に相関はない」かもしれないし むしろ「犯罪者の多くはIQが高い」という可能性も否定はできない
そもそもIQだの学力偏差値だのといった基準が人間としての知能の論証にはならず これは認知科学的にも言われていることである
人間としての価値とは 「個人が自律的な社会的責任を負うこと」が大前提であり IQや学力偏差値という一面的で科学論理的根拠を伴わぬ基準は人間としての知能や存在価値の論拠には一切ならない
○ヒトは強欲か?
現状の社会の結果だけを見れば あたかもヒトという種の生物が圧倒的に環境資源を喰い尽くしているかのようにも見えるが
それならヒト以外の生物が強欲ではないと言えるだろうか?
日光いろは坂のニホンザルにエサを与えてしまうと ヒトから物を強奪するようにもなる
サルは環境依存的に強欲性を発揮するが ヒトが最初からエサを与えたりしなければ サルも「そういうものだ」と諦め 強奪したりはしなくなる
イヌも訓練によっては従順に便利に遣うことも可能だが 育て方を間違えると飼い主の手を噛んだり無駄吠えをするようにもなる 必要以上に順位序列への執着をしている強欲にも見える これもまた環境依存的な強欲だとみなすことができる
生物は基本的に強欲であり 強欲でなければ過酷な自然環境下における生存競争を勝ち抜くことはできずに死滅してしまう
生態系ピラミッドの底辺となる被捕食動物の場合 過剰に繁殖することで種としての存続に適応するため 最初から一定割合が捕食されることを前提とした繁殖能力や繁殖行動バイアスを持っている
多頭飼育崩壊が起きるのも 動物が必要以上の繁殖能力を持っているからであり ヒトが家庭で飼育している環境下においては天敵に喰われることもないために 先天的繁殖行動バイアスのままに繁殖を繰り返してしまうからである
ヒトが生活習慣病に陥りやすいのも かつてヒトの祖先が塩分や糖分や脂質の乏しい環境下において積極的にそれらを摂取したがる習性を持った変異への収斂進化の結果であり 無駄に暴飲暴食を繰り返したがるのは 現代社会という「環境」に依存した結果的行動から逃れられていないからである
「環境が悪い」と言うのは簡単であり バカの発想である
環境に左右されずに自律的に行動選択ができてこその「知能」であって 先天的欲望に無為に流され環境に依存した行動しかできない状態に「自由」意志など存在していないのである
人類(ヒト)を 他の生物と比較すれば 結果的には特異に強欲であるかのような「解釈」もできるが 個別のヒトを見た場合にはヒトの全てが必要以上に強欲であるとは言えない
社会の持続可能性や公平性を求めることも これもまた「欲望」の一種ではあるが これを「強欲」と言うことはできない
持続可能な社会を求めることも「欲望」ではあるが これは必要な欲望であって強欲ではない
欲望そのものには方向性も選択可能性もなく 先天的に決定している行動バイアスであって選択不可能であり自由はない
しかし どの欲望を優先するのかを論理客観的根拠に基づき合理的に選択することは可能である
本当に主体的に 純粋に楽しめることに熱中し 脳内麻薬の自給自足ができていれば 無駄な強欲を発揮することなく社会持続可能性や公平性にも配慮ができるようになる
持続可能性を無視し利己的強欲を発揮するヒトとは 他人との比較において優位性の追求が根源にあり どんなに金が儲かろうとも 世間的評価や人気を得ようとも 強大な権力を掌握しようとも 決して満たされることなく暴走的に暴力破壊への道を突き進むことになる
脳内麻薬を他人との比較に依存している限りにおいて 脳内麻薬が自給自足できないため 必要以上の利己的強欲を発揮するようになるのである
脳内麻薬が自給自足できる純粋な行為に熱中できていれば 自ずから社会持続可能性や公平性にも配慮が働くようにもなる
NHK(Eテレ)「フランケンシュタインの誘惑」という番組では 世間的評価に取り憑かれて利己的強欲を発揮する「科学者」の話が数多く採り上げられている
「科学者」という分類だけでは純粋な探究心に基づいた研究かどうかは区別がつかず 松沢哲郎のように総額11億もの研究費不正流用をやらかすバカも後を絶たない
山極寿一は当時の京都大学の学長であり また「先天的本能習性で人間としての社会性を立証できるかも知れない」などという科学的に何の根拠もない松沢の主張を傍観し 且つ山極本人もまた「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的に何の根拠も証拠もない主張によって衆愚マスコミからの人気を得ていたペテン師である
山極はこうも主張している
「ヒトのほとんどは戦争をしていないことを知れば 戦争はなくなる」と
この話に衆愚マスコミは主観的に安心満足感を得て 「信じたい話」として盲目的に信じ込み 何の疑問も持たなくなったのである
これは「洗脳」以外の何物でもない
そして未だに山極は科学的権威として扱われ続けているのである
なぜ生物学界や哲学界だけが論理的根拠のないデマや嘘が傍観放置され続けているのかと言えば 衆愚マスコミが主観的に安心満足できる「信じたい話」だけを信じようとするヒトの先天的な認知上の重大な欠陥を誰も自覚していないからである
刑務所に服役するIQの低い「バカな犯罪者」の多くは 幼少期から暴力を伴う虐待をされているという
「ヒトがバカになる」 つまり「人間としての知能を持てない」原因とは 生育環境において自発的主体性を発揮できない状態を「学習」してしまうことが大きな要因である
幼少期からの虐待を受けていないとしても 順位序列に執着し 純粋に脳内麻薬の自給自足ができずに他人の迷惑に配慮できないバカはいるものである
たとえ幼少期から虐待されて育ったとしても それが「間違っている」ことだと問題意識を持ち 再発防止のために尽力する人もいる
そうした「人間」としての分水嶺とは 主体性にあり 自分の頭で論理客観的に物事を考え 検証し 真実なのか嘘やデマなのかを自律的に区別識別できるかどうかにかかっている
バカがバカのまま治らないのは 自分の主観的感覚に絶対的過信が優先しているからであり 自己客観性がないからバカが治らない
自分の一体どこが どのようにバカなのかを論理客観的に理解していないからこそ 過失があれば「自分はバカだ」と主観的に落ち込むだけで 「禊(自己に対する懲罰)」などで主観的に満足して「なかったこと」にし 結局全部主観的感覚だけで片付けようとするから論理客観性が働かない
それは結局は自分の主観的感覚に対する盲目的過信からは脱することができていないのである
だからこそヒトは結果的に持続可能性を損なうような無駄な強欲を発揮することに陥るのである
なぜ自己に対する論理客観性が働かないのかと言えば ヒトの脳はそもそも論理客観的に「考える」ようには先天的にはできておらず 主観的感覚でしか物事を判断しようとはしない認知上の重大な欠陥を持っているからである
言うことを聞かない相手はひっぱたいて服従させようとする
「痛いこと=嫌な思い」をさせておけば言うことを聞くようになる それは「イヌのしつけ」と一緒であり 主体的思考判断能力がそもそもないイヌであれば一定の有効性はあるものの ヒトでこれを実行すれば自分の頭で物事を考えないバカになるだけである
ノルウェーの「リゾート刑務所」における再犯率の低さというものは 刑罰というものの無効性の統計的立証であり 「自分の頭で論理客観的に考えて行動選択をする」ことではじめて「人間」としての行動が可能となるのである
「犯罪者に自由意思選択をさせるのが嫌」なのもまた主観である
そもそも自由意思選択ができていないから自律的な社会的責任判断もままならずに犯罪を犯すのであって 主観的に「嫌」かどうかに合理性は何もない
主観的な「嫌」という欲望を優先させ 論理客観的な社会安全性を蔑ろにして良い理由には全くならないのである
欲望や情動の強度程度で行動選択するのではなく あくまで論理客観的に合理性のある行動選択をすることによってヒトは「人間」としての行動選択「も」可能となる
ヒトという種の生物は 先天的には「人間」ではない
子供だけで集団生活をさせておけば自動的自然に順位序列による差別や統率的協調行動も採るようになり イジメや差別もするようになる
ヒトに限らずあらゆる生物は先天的には欠陥品であり 環境に依存しない完全無欠の絶対的存在などいないのである
遺伝的進化は全て環境依存的な「結果」であって 合理的意図「目的」に則って選択できるような万能なものではない
ましてや山極寿一が主張するような「ヒトには先天的に人間性ガー」などという話には何の科学的根拠も伴わない「ご都合主義的立証」によってでっち上げられた衆愚迎合(洗脳)に過ぎないのである
なにが衆愚迎合的洗脳なのかすら認識できない以上 プーチン政権の独裁もロシア人が自覚できないのは必然というものである
人類がナチス政権や東条英機政権から何も「学んで」いないのは 「戦犯は死刑にして解決」だと倒錯しているからである
Ende;