↗小5なのに…算数「リンゴやミカンの文章問題は解けるが、ナシとイチゴに替わったら解けない」理由-PresidentOnLine
⇨単位などの規則に関する知識は教わっていなければわからないのは当然であり
日常生活において「鳥の数え方」を知らない子供に対して「一羽、二羽」といったものが単位であることを理解できないのは当たり前である
本来 普通であれば日常生活の中で鳥の数え方の単位などは大人たちとの会話の中で覚えるものであり それがないというのはむしろ「学校の勉強しか教わっていない」からであろう
何でもかんでも「教えりゃ済む」というのは教える側のエゴであり
むしろ「教わった内容の中から論理整合性の破綻を見つけ出せる」ような自発的思考能力を育むことの方が重要である
たとえどんなに難解な「論理思考問題」が解けたとしても それは正解を導き出すことで得られる評価成績という抽象化された脳への報酬欲しさの反射的能力に過ぎず 自発的思考能力を育むことにはならない
予め「誰かが嘘をついている」ことを前提とした命題をいくら解いても 実社会において何が真実で 誰が間違っているのか 誰が嘘つきなのかを見分ける能力にはならない
社会の課題に対する問題解決能力というのは 決して他者から評価成績として扱われるとは限らないものであり 「個人が自律的な社会的責任を負う」ことで むしろ所属している組織から差別排除の対象となることも珍しいことではない
他人から与えられる「脳への報酬」欲しさに何を「知って」いても 人間としての知能 自律的な社会的責任判断選択能力の獲得にはつながることはない
Ende;