書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

マルクス:ガブリエル(1)

2020年03月04日 00時21分06秒 | 意識論関連

ショーペンハウアーは「自由意志のパラドクス」を提唱した

「欲求を満たすことはできるが 欲求そのものを欲することが出来ない」と

「自由意志は存在しない」 これを「決定論」としている

「オノレはカブトムシと一緒だから本能欲望に逆らうことは出来ない」という話と同根である

欲望そのものは大脳辺縁系が勝手に促してくる行動バイアスだが だからといって行動バイアスに逆らうことが不可能であることを立証することは出来ない

Geist(精神)

「自己も現実の一部であり ヒトは自分以外の現実を自分と切り離して考えてしまう性質がある」

マルクス:ガブリエルは「なぜ我々は絶え間ない消費によって破綻に資源をつぎ込むのか それは悪い自由を社会から植えつけられたから」だと言うが

植え付けられた価値観を検証する自律的論理検証性が働いていないから 時代だの社会だのに翻弄されてしまうのであり この自律的論理検証性(理性)こそが精神であり意識であり自己の本質なのである



ガブリエルは「大衆文化は科学物理よりもハイレベル」だとも言っていたが これは根拠が示されておらず ガブリエルの勝手な決めつけに過ぎない

論理検証性というのは科学の基本であり それがどうして大衆文化の方が「ハイレベル」だと言えるのであろうか

それとも欲望の暴走状態は「大衆文化」とは無関係だとでも言うのであろうか

ナチズムの暴走は科学物理の産物だとでも言うのであろうか

あまりにバカげていて話にならない

ポピュリズムは大衆文化の産物であり 科学物理の産物ではない




「動物としての本能とは別に人工的欲望が無限の消費を促す」とも言っているが あらゆる欲望は人工のものではなく あくまでヒトの動物的本能の暴走に過ぎず ガブリエルの言っている内容は論理整合性に欠けた勝手な決めつけでしかない

そもそも「欲望そのものを欲することは出来ない」のに どうして「人工的欲望」などという概念が成立するというのであろうか その「人工」とは 一体誰の選択に拠るものだと言うのか 意味がわからない

 ◇

大脳辺縁系は環境要因などに依って様々な欲求を促してくる これは「ヒト」の動物的なハードウェアとしての無意識条件反射的な行動バイアスに過ぎない

しかし 「人間」としての意識(論理検証性)は 欲求を選択することが可能であり これこそが「人間としての本当の自由」なのである

「欲求のままに行動している状態」というのは あくまで「ヒト」という動物的ハードウェアの無意識的条件反射行動バイアスに操られるだけの不自由な状態なのである

目先の快楽だけを追求すれば薬物中毒に陥ることも簡単であるが 世の中が薬物中毒患者だらけになれば社会が破綻することは誰しもが「知って」いることである

破綻を「知って」いながら回避出来ない状態を どうして「自由」だと言えるであろうか

チンパンジーに麻薬を与えれば 死ぬまで使い続けるであろう

それはヒトも同じことである

そしてそれは人間としては「自由」な状態ではない

 ◇

カート:アンダーセン

「超主観性が進み過ぎている」

「宗教は典型的なショービジネス」

「自由が多くなりすぎている」

カート:アンダーセンが言うように「自由が多くなりすぎている」というのは誤った解釈であり 真実は本質的自由というものが一体何のかを理解し分別識別することが出来ていないことによって 欲望に踊らされて本当の自由を見失っているのである



フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(長っ!)

シェリングはこの著作(人間的自由の本質)で人間的自由の根拠を問い、悪への積極的な可能性を人間のうちにみる。シェリングによれば、人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間をすべての存在者の頂点においている。 -Wikipedia

「人間は悪を行う自由を持っている」と言うが そもそも野生動物の行動に善悪という概念自体が存在せず 仲間をほったらかしにして自分だけが助かるための行動も 同一種族の子供であっても自分の子供でないことが気に入らず殺害することも珍しいことではない

「悪を行う自由」などというものは本当は存在せず むしろ悪だとわかっていながら自己制御不能に陥っているという不自由こそが「悪」の正体なのである

「人間を全てのの存在者の頂点においている」などというのはシェリングの勝手な妄想に過ぎない

ヒトという種の生物が「全ての存在者の頂点」であることの論理的根拠は全く存在していないのである

ヒトは その先天的な社会形成習性が促す順位序列により統率的協調性を発揮するわけだが この順位序列への異常執着(暴走)によって「人間は全ての存在者の頂点でである」などという身勝手な観念(妄想)を生み出しているに過ぎない



マルクス:ガブリエルは現代社会を「欲望の時代」などと勝手に定義しているが

ヒトの作る社会は全て欲望の産物であり 今だけが「欲望の時代」であるなどとは定義することは出来ないのである



Ende;

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