ヒトには先天的な社会形成習性というものがあって 自分が属する集団組織への迎合性とか忠誠忠実性を発揮するような行動バイアスが先天的に組み込まれているため
多数派に同調し 多数派の「常識」とか「因習」を鵜呑みにして形式的(表面的)に迎合することで あたかも自分の身の保身にでもなると「思って」いる
マナーというのは形式であるから 「ご苦労さまは上から目線」だとかいうデマであっても検証のしようがないので 誰も反証できず 鵜呑みにする以外にどうにもならない
「上から目線」かどうかは主張している奴の個人的主観や観念であって 客観的には論証も反証もできない
個人的な主観や感想で物を言っているだけなら 「へえ アンタはそう思ってるんだね でも全員がそう思うわけじゃないよね」で済む話なのだが それが社会的な「マナーだ」と言われてしまうと あたかも普遍的な根拠を伴うかのような感覚(錯覚)を促し 迎合せざるを得なくなる
外見的に「アイツはマナーを守らぬ傲慢な奴だ」と思われたくない強迫観念が優先してしまい 「そのマナーってほんとうかなぁ」という疑問を持つ精神的余裕を失い 鵜呑みにしてしまう
強迫観念に基づいて同調性や迎合性を発揮し 根拠のないデマや嘘だろうが鵜呑みにしてしまう習性がヒトにはある
更科功の「本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などというあやふやな根拠の乏しい「だろう話」であっても 多数から人気があれば科学的にも根拠が伴うはずだという錯覚によって 誰も批判をしなくなるのである
「生物学者であれば倫理の話には興味を持たなたくても良い」という話にはならない
「航空工学者が航空機の危険性に興味を持たなくて良い」という話にもならないし 「原子力の研究者が原発の危険性について言及しなくて良い」という話にもならないのと同じことである
そもそもダーウィンの進化論では生物には目的はなく あくまで自然現象の結果に過ぎないという意味で論じられているのであって これを「進化することが目的である」かのように曲解したからこそ優生学などというオカルトがでっちあげられたのである
にも関わらず 更科は「みなさんはダーウィンを曲解している」と言いながら 言っている内容は「生きる以上の目的はないのだろう」などという論理不明のはぐらかしである
にも関わらず「まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などと言われれば あたかも「自分も立派なものなんだな」という感覚に陥って主観的に満足するだけで 内容が少しも科学的でも論理客観的でもないことには意識が働かなくなる
そうやってヒトはバカになるのである
ヒトが求めているのは論理客観的根拠を伴った真実ではなく 主観的に気分が良くなる「信じたい話だけを信じようとする」だけなのである
フリードリヒ:ニーチェだのイマヌエル:カントだの養老孟司の著作というものは 論理客観的根拠に基づいた真実の論証ではなく あくまで大衆が抱く固定観念に迎合した根拠のない「多数が信じたがる話」を展開しているに過ぎない
根拠のない「線引き」の見本市や 勝手な「決め付け」の羅列であっても 大衆にとってはむしろ安心満足感を提供してしまうことによって「人気」を得ることが可能となるのである
「生きているだけでも、立派なものなのだ。」だとか 「人間は叡智界に属しているのだ」だとか「できそうにないことは やらない方が良い」などと言われると バカは何も考えずに満足し 鵜呑みにする
「何も考えずに満足して鵜呑みにする」からバカなのである
ヒトとは 先天的に簡単にバカになる性質を持っていることを自覚すべきである
私は こんなバカげた説明をするのは楽しくもなければ意欲もわかない
東電社内で原発の津波に対する脆弱性を主張することも きっと楽しくなどなかっただろう
ナチス政権下のドイツでナチス政権に反対することも 楽しくなどなかろう
NASAのスペースシャトルが 低温によってパッキンが機能しなくなって危険であることをいくら上司に説明しても聞き入れてもらえなければ それはきっと楽しくなどなかろう
大多数のバカがバカげた話を鵜呑みにしている状況を放置するだけの無神経さを発揮するつもりなはない
たとえ野垂れ死にしてでもである
どうせ最後は全員死ぬのに 何でバカを放置しなければならないのかが 私には理解できないのである そこに何の合理性があると言うのであろうか
哲学や科学というのは スポーツや芸術とは違ってやならねばならぬことはやらなアカンのである
何が本当の「目的」なのかを忘れて 一体どこに向かうつもりか
ヒトの本能は奪い合いという「遺伝子レベルの貧乏性」によって利己的利益の追求や 嘘やデマの鵜呑みを平気でやらかすものである
こうした先天的な人間としての欠陥を補うことが出来るのは 論理客観的根拠に基づいた「本当の目的」を見極める能力である
「科学は悪だ 理性は悪だ オーガニックで自然なものは何でも全て安全だ」とでも思っておけば安心満足することも簡単だが 簡単だからこそイヌサフランをギョウジャニンニクと間違えて喰って死ぬのである
遺伝的進化が起きるためには 大量の死滅が必要であり 決して人間の文明社会で生ずることはない
淘汰圧力による収束が起きるためには 誰が死のうが誰が誰を殺そうが 全部放置し受容しなければならない
そこに「人間性」や「倫理」が伴うわけねぇだろ
バカバカしい
Ende;