書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

脳活性。

2012年10月07日 15時15分15秒 | 意識論関連
○脳活性。

 脳血流増加を脳活性であると「表現する」ことは可能性であろうが、脳血流増加は短絡的に「頭が良くなる。」ことの論証には全くならない。

 それなら脳活性とは一体何の意味があると言うのであろうか。

 脳トレ類やアハ体験による脳血流増加が実際にはほとんど知能に影響を及ぼさないことは英国での大規模実験において立証されており、脳血流増加が知能とは直接的相関がないことを隠蔽したまま脳活性=脳血流増加を理由に脳トレ類やアハ体験を正当化するのは詐欺行為である。

 脳科学者達は脳トレ類による人気や利益を保守したいがために科学的事実を隠蔽しており、科学者としての社会的要請を放棄しているのである。

 脳トレ類によってワーキングメモリの容量を増加させることが出来ても、それを何に用いるのかという本質的な意思がなければ、単に暗記能力という断片的能力を獲得しただけでは具体的に何ら統合的論理検証という本質的知能には結び付かない。

 暗記能力を鍛えれば、文系大衆観念的には「頭が良くなった。」と勝手に思い込むことは簡単であろうが、簡単なことを鵜呑みにしているという短絡性自体が「頭が悪い。」のである。どんなに大量の情報を記憶可能な能力を獲得しても、統合的論理検証ができなければ「何が正しいのか。」を判断することは出来ないのである。

 暗記速読や暗算能力を獲得しさえすれば「頭が良くなった」と文系観念的に「解釈」することは、論理的「理解」や検証を阻害するものである。簡単に短絡的「解釈」をするからこそバカなのであり、教えられたことを鵜呑みにし、論理検証することをすっかり忘れてしまうのは、気分感情だけで行動が決定してしまっているからである。

 「ほめられて、うれしい。」というのは抽象化された脳への報酬、「エサ」に過ぎず。また、断片的な記憶能力の獲得を
短絡的に「自分の頭が良くなった。」と喜ぶのも、「記憶能力=本質的知能」という短絡性に基づく勝手な解釈に過ぎない。

 暗記コンテストで優勝しても、具体的に論理検証能力が獲得できるわけではない。暗記コンテストで優勝するということはワーキングメモリの容量が大きいことを意味するのであって、断片的にワーキングメモリの容量だけを論じて「頭が良くなる。」などと言い張るのはこじつけ以外の何物でもない。

 「鬼トレ」などと称して暗記能力をどんなに獲得しても、それは「鬼トレ」能力を獲得するだけであり、「ゲーム脳」の獲得にしかならないことに変わりはないのである。論理的思考においてもワーキングメモリは確かに重要ではあるが、ワーキングメモリだけ鍛えても自発的論理検証意欲がなければ本質的知能には結び付かず、外見上大衆観念的な「頭が良さそうに見える。」だけであって、その観念自体が間違っていることを認識しなくてはならない。

 脳科学者達は脳トレ類による利権を手放したくないばかりか、脳トレ類による金儲けばかりに執着し、英国での大規模実験による立証をも隠蔽黙殺するつもりである。これを放置しておいて「人災」や犯罪が減らないことを歎いても無意味なのである。

 記憶能力だの暗算能力をどんなに獲得しても、所詮は「ゲーム脳」を作り出すだけであることを認識すべきである。本質的な知能というのは、主体的な好奇心による興味や意識に基づく論理検証によって導き出されるものであり、ゲーム類や暗記コンテストによって短絡的に獲得出来るようなものとは全く異なるものなのである。

 論理検証というのは、教えられたことを鵜呑みにせずに自発的に「考え」なければ成立しないものである。「頭が良くなったような錯覚。」に惑わされるから論理検証をパスして鵜呑みにしてしまうのであって、こうした錯覚というのは気分感情だけで物事を判断しているからである。

 本質的な自発的論理検証思考を鍛えなければ、どんなに断片的能力を鍛えても何の間違いにも錯覚にも気付くことはない。現在の学力ビジネスにおける偏差値至上主義を鵜呑みにしても、学歴学位を獲得できるだけであって、本質的な知能の獲得とは無関係なのである。

 元文部省官僚の大学職員がストーカー行為を注意されて殺人をやらかすのも、天下りがなくならないのも、これらは偏差値が高いだけのバカを大量生産してきたツケに他ならない。どんなに世間的にエリート風味を装うことが出来たとしても、それは文系観念上での錯覚に過ぎないのである。

 原発の危険性放置も同様である。これを放置しておけば人類に未来などなく、一部の生物学者が述べるように人類が絶滅しても何ら不思議ではない。

 バカは運命に逆らうことが出来ない。予め決められた本能習性という運命に逆らうことが出来ない者のことを「バカ」と言うのである。

 大衆人気を得ることと、科学者としての社会的要請に応えることをすりかえることは詐欺行為である。たとえ多くの大衆マスコミが認識できなくても、自律的に科学者としての社会的要請を全うすることが、科学者としての最低限のモラルである。



Ende;
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 荒川河川敷の告知看板。 | トップ | 北区花火大会。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

意識論関連」カテゴリの最新記事