書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ゴリラの自覚。

2015年12月26日 11時07分47秒 | 意識論関連
某動物園において、「暴君だったゴリラに群れのリーダーとしての自覚が生まれた」なんつうのは進化生物学特有の大衆迎合的嘘です。

子供が出来たことによって、脳内物質のバランスが変化したことで行動が変わったからといって、これを意識的自覚のようなものだと「解釈」するのは、大衆ウケが良いのかも知れませんが。厳密に科学的/論理的には証明になっていません。

気分感情というものは、環境依存的に影響を受けて様々に変化します。たまたま子供に恵まれて気分的に落ち着いた行動を採るようになったからといっても、それは先天的本能習性の「結果」でしかありません。

東京電力社内で原発の危険性を放置したのは、技術者としての自覚がなかったからですが。先天的本能習性としては、組織集団の利益を優先し、自律的な社会的責任を放棄しても、個体の組織内での立場を守るためには「合理的」だと言えるわけです。

ヒトという種の生物は、先天的な社会形成習性が促す行動バイアスとして、自分が属する集団組織の利益を優先し、組織の「上」とか「権威」と見なした相手の命令に服従する習性があります。これはスタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)や、フィリップ:ジンバルドーによるスタンフォード監獄実験など立証されている事実です。

環境に依存して行動が決定してしまうのであれば、これは他者と互換不可能な一人の人格の自由意思として意識的かつ自律的に選択しているとは言えません。

ゴリラであれば環境が変われば簡単に暴力性を発揮するでしょうが、ヒトの場合は必ずしも同じではありません。幼い子供を遺して母親をテロで失った父親が、テロリストに対して「憎しみという贈り物は与えないよ。」という選択をするのは、動物的な行動バイアスとしては全く異なるものです。

「やられたら、やり返す。倍返しだ。」なんてテレビドラマがありましたが。嫌な相手に短絡的に報復する話というのは気分的にスッキリするので、大衆ウケが良いので。アメリカ映画ではこうした短絡的報復を題材にした作品が好まれる傾向があるのです。 なんたって「イスラム教徒を排除すれば安全だ。」なんて話を鵜呑みにする国民ですからね。

アイアンマンでもテロリストは問答無用で殺害してましたし、自分の娘を救出するために敵を何百人と殺害してハッピーエンドだとみなす作品も多いですよね。

でも、「報復はしないよ。」なんて話では、フェイスブック上では共感を得ても、大衆映画作品としては成立しないわけです。

残虐な通り魔とかテロリストは短絡的に死刑で報復しておいた方が、気分的には楽で安心なのです。だからビンラディン容疑者を問答無用で殺害しておいて「正義の鉄鎚を下した。」なんてオバマ大統領が発言する。

気分感情的に満足する行動が、社会的合理性があるかどうかの検証が後回しになって忘れ去られてしまうバイアスが、ヒトという種の生物には存在するのです。

こうした気分感情的満足安心の暴走の結果こそがテロリストや通り魔や銃乱射事件であって。これは特定の異常者だけの特殊な性質などではなく。むしろヒト全般に普遍的に存在することを前提にしなければならないのです。



映画というのは芸術作品ですから、別に内容がバカげていても、何かの解決につながらなくても構わないのですが。芸術作品に感化されて暴力行為に及んでしまうという、その個人の短絡性こそが問題なのです。



ヒトという種の生物の大脳が結果的に肥大した原因が、外見上より幼い配偶者選択をした結果の幼形成熟によるものであると考えられる以上。外見的に幼い配偶者を求めようとする行動バイアスが存在することは致し方ない「結果」ではあります。

だからといって「オノレは犬だカブトムシだから、先天的本能習性には逆らうことが出来ないんだ。」などという意思薄弱の事後正当化が許されると思っているバカなど論外です。

逆に「ロリコンが主観的にキモいから排除しておけ。」というのであれば、これは「イスラム教徒が怖いから排除しておけ。」といっている某米国の大統領候補と心理構造的には全く同じものであって。こうした個人の主観的感情論の応酬では具体的な対策には永遠につながらず。極めて不毛で建設性が全くありません。

ロリコンというのは、ヒトの脳の「結果」ではあっても、人間としての意識的行動選択とか自由意思に基づいた「目的」ではないのです。

人間性というのは、目先の気分感情欲望に左右されない統合的合理性判断によって導き出されるものであって。その場限りに環境依存的な行動バイアスの「結果」のことを「自覚」とか「意識」であると解釈するのは科学的に間違っているのです。

ゴリラは所詮ゴリラですから、環境が変われば簡単に暴力的にもなるでしょう。ゴリラの脳には統合的に合理的行動判断をするだけの余裕がありませんから、恐怖心を抱けば簡単に暴力的にもなるのは避けようのない事実です。

京都大学の学長がゴリラを馴らしたからといって、それがゴリラの人間性か何かの立証になるわけではないのです。所詮は特定環境下における断片的「結果」以上の意味はないのです。

ISILの構成員が、組織内部でどんなに利他的行動や仲間を守る行動を採ったとしても、それはヒトの人間性の科学的証明には一切ならないのと一緒です。

残虐なテロリストを飼い馴らしたら、そのテロリストの人間性の立証とか、既に行われた残虐行為が反証出来るわけではないでしょ。

ヒトの多くは断片的なゴリラの行動結果と、ヒトが現実に行っている残虐行為の間の相関関係にまでは考えが回らないようですが。これは、「ゴリラが暴力を振るわない」という断片的結果に満足することで、問題そのものの根源的原因にまで論理的に検証する考えが停止してしまう性質があるためです。



また、ゴリラというのは一般的に暴力的だと思われているため、暴力的にならないというだけで一種のゲイン効果が働いて、必要以上に人間性か何かと勘違いしているのかも知れません。

ゲイン効果というのは。怖いと思っていた相手が、意外と普通だった場合に必要以上に善人だと錯覚するといった性質のことです。



ISILの構成員が指導者に対しては暴力的にならないことを証明しても、ISILの構成員の人間性の証明にはなりませんよね。それと一緒で京大学長がゴリラと仲良くなっても、ゴリラの人間性の証明になんぞ一切ならないのです。

にも関わらず、京大生物学科というのは、特定環境下における断片的検証結果だけを陳列しておけば、ゴリラやチンパンジーの人間性を立証可能かも知れないなどという大嘘によってバカなマスコミや大衆を騙しているわけです。

これを詐欺と形容せずに、何と形容するのかは私は知りません。

勿論騙されている方にも問題がありますが。



Ende;
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