ヒトの多くは自分の危険性を自覚していない
錯覚を錯覚だと認識できていなければ 状況によっては600万のユダヤ人を殺害することもある存在であることを ヒトは自覚しておかなければならない
ところが ヒトの大半は「自分だけは絶対に大丈夫だ」という観念に囚われることにより 錯覚によってもたらされる危険性の存在を忘れていた方が安心で満足感が得られるのである
安心満足は主観である
だが 安全性というものは論理客観的根拠が必要であり 気分的に安心満足しても安全性の根拠保証にはならない
大学で授業を受けた学生の大半は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」の内容が論理的根拠証拠が示されていないことには誰も気付かない
「絶対に知覚することの出来ない叡智界」という話を偏差値が高いだけのバカ学生共は誰も疑問にすら思わず簡単に鵜呑みにする
恐ろしいことに かの高名な科学哲学者カール:ライムンド:ポパーですらカントを信じたという説もある
どうやったら信じられるんだろと 謎という他ない
かつてヒトの多くは天動説だの錬金錬成術を本気で信じ込んでいたのであって 現代においても荒唐無稽なデマを大多数のヒトが信じていない保証は何もないのである
科学や哲学というものは 論理客観的根拠に基づいて「本当のこと」とそうでないデマや嘘を識別するためのものである
デマや嘘を鵜呑みにしていれば 非合理な行動によって他人に多大な迷惑をかけることになりかねない
フリードリヒ:ニーチェの迷言の数々は 論理客観的根拠に基づいた真実を見極めるためのものではなく 基準の曖昧な迷言によって衆愚が都合良く自分勝手な決めつけができることから多数人気を得たに過ぎず 到底真理を探求するための「哲学」とは言えない
衆愚にとっては エスカレーターで歩くことを拒絶することは「冷静ではない」という判断をすることもある
ナチス政権下でナチスに反対したことも「どうかしている」と大半の衆愚は「思った」に違いない
「できそうにないことは やらない方が良い」のであれば「勝てそうにない相手には逆らわない方が良い」という解釈も可能である
香港警察による民主化勢弾圧に対しても 「中国政府に勝てるわけがない」などという勝ち負け論へのすりかえを正当化の屁理屈にしているバカもいた
東京電力福島第一原子力発電所における津波に対する脆弱性が放置された原因も 「組織の体質」などと形容される同調圧力への屈服であり 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が原発事故の最も根源的原因であると畑村洋太郎は結論付けているのである
東電社内においては 原発の津波に対する脆弱性を主張しても「津波に対する脆弱性を考慮に入れたら日本のどこにも原発など造れない」などという上司の屁理屈に迎合同調忖度服従して主体的判断なんぞ放棄しておいた方が気分的には安心満足で「楽」なのである
もし 東電安全担当者の上司が言ったように「津波に対する脆弱性を考慮に入れたら日本のどこにも原発は造れない」のであれば 原発は日本のどこにも造ってはいけないのである
何の批判精神も問題意識もない衆愚にとって 精神的怠慢を正当化するのにニーチェは都合が良いから人気があるだけであって むしろナチス政権にとって都合良く解釈することも可能だったのである
真実かデマなのかを判定する手法として 一般的によく「複数のメディアを確認すること」が推奨されているが これは決して万能ではない
生物学者の大半が遺伝的進化に意図目的戦略が介在しているかのように誤謬している現状 大半のメディアにはデマしか載っていないことになるからだ
深層学習型AIも 所詮は多数決的に「正解らしい」「正解っぽい」ものを確率論的に割り出しているに過ぎず SNS上でヘイトスピーチが多数を占めていればAIは「ヒトとはヘイトスピーチをすることが正解」だと認識してヘイトスピーチに同調するようになるものである
自動運転AIが 高速道路上で横転しているトラックの屋根にノーブレーキで激突したのも AIはそれを危険だと「学習」していなかったために危険だと認識しなかったからであり AIは論理客観的に正しい判断ができる保証はない
それはAIに限ったことではない
そもそもAIというのは生物の脳の仕組みを模倣したものであり ヒトも含めた生物の脳の認識メカニズムとよく似た出力をするのである
AIがヘイトスピーチに同調したのも 結局はヒトがヘイトスピーチに同調するメカニズムと同じものであり AIが特別にバカなのではなく そもそも脳という臓器は先天的にバカに陥る性質が存在しているのである
主観には錯覚が伴うことがある
AIでも錯覚が再現されることがあるという
脳は物事を認識する時に抽象化をするものである
抽象化とは 単純化と置き換えても構わないと思う
「学術権威の肩書がある場合は 言っている内容を100%信じても構わない」といった形で物事を単純化(抽象化)する
地図上では緩やかにカーブしている道であっても 分岐や交差点がなく「道なり」なら直線として記憶しているものであり
交差点でも 交差角度にはあまり意識が働かず45°くらい傾いて交差していても直角に交差していると記憶しているものである
それでも日常生活を送る上においては充分であり 細かい部分は端折って単純化(抽象化)しておいた方が「楽」だからである
「ただ漫然と生きている」だけの日常生活には支障はないが これが地球規模での気候変動だの感染症予防対策などの社会問題となると話は別である
不特定多数の他人が触ったものに触れた手で鼻をこすってしまったり 紙をめくるのに不用意に指をナメてしまえば感染予防には全くならない
「行動変容」を促すためには 意識的に無意識な行動をやめる必要がある
言っておくが ヒトの行動の9割以上は無意識である
「歩く」という動作も無意識にできるからこそスマホを操作しながら同時に行えるのであり
発声発話に関しても機械で再現するのは「歩く」に匹敵する程複雑で面倒なものであるが 「普通の人」なら大抵は誰でもできるものであり 特段意識せずとも無意識にできる
無意識に高度な能力を発揮することはできるのだが 無意識であるが故に不用意な行動をしてしまうことも多いのである
以前 漫画家の方がインクを小さな容器に移し替えていた際に 入れ過ぎて溢れそうになった時にウッカリ口ですすってしまったという笑い話があった
普段液体を容器に移し入れる場面の多くは 飲み物であるため 反射的無意識に口ですすってしまったのであろう
インクを口に含んでしまっただけなら大した被害にはならないが これがアクセルとブレーキをウッカリ踏み間違えてしまえば大惨事を引き起こすこともある
東池袋のプリウス暴走事故などでも 本人的には「ブレーキを踏んでいるつもり」だからこそ踏み替えることができなくなるのであり「つもり」という主観を疑う自己客観性が働かないことが暴走を引き起こすのである
「自分だけは絶対に大丈夫」だと そう思っているヒトほど詐欺にカモられるのも 「もしかしたら自分も騙されるんじゃなかろうか」という自己客観性を無視しておいた方が主観的には安心満足だからである
ヒトの多くは自分で物事を考え検証することはなく
ググって出てきた多数の話を鵜呑みにして知能だと思っている
遺伝的進化の構造過程には 意図目的戦略が介在する余地がないことを理解せず 「目的のために進化した」という論説を何の疑いも持たずに鵜呑みにするだけである
ウイルスには目的はない
ただ構造的に宿主細胞の機構を流用して繁殖するだけであって 繁殖した先に何か目的だの意図があるわけではなく 繁殖するような構造だから繁殖しているだけであって 繁殖続けられるからウイルスとして存続(生存)しているに過ぎない
カビが風呂場に生えるのも カビに目的があるわけではなく カビが生えるのに適した環境なら生えるという ただそれだけのことである
それはヒトでも同じことであり ヒトという種の生物にも目的はない
ただ 人間として生き続ける上においては社会安全性や持続可能性や平等公平性にも配慮してこそ自己の存続にも意味が見いだせるのであって 「自分が他人から評価してもらえないから他人への配慮もしない」という無責任な虚無主義は「幼稚な甘え」でしかないのである
自分が本当に求めている社会のあり方「理想」というものに基づいて行動していれば 現状世間からの評価や報酬に惑わされることなく自律的な社会的責任判断選択「も」可能となるのである
「誰一人取り残さない」という人道的選択をすれば 他人を差別して貶める必要性はなくなる
「誰かを蹴落さないと 自分が蹴落される」という強迫観念があるからこそ ヒトはイジメや差別をし始めるのである
ヒトには先天的な「社会形成習性」があるため 序列順位を決定しておくことで統率協調性を発揮して集団で同じ「目的」を共有しておくことが「仲間意識」による安心満足感を得られることからも イジメや差別は中毒性を発揮し 暴走性を発揮して他人に多大な迷惑をかけるようにもなるのである
本当は 誰も蹴落さない社会なら むしろ弱者は「守る対象」になる
自分や自分の子供や配偶者や家族がもし弱者に陥った時に 皆で守ってくれる社会なら 安心して死ぬこともできるのである
ヒトは元々過酷な野生環境下で淘汰された祖先の生き残りであるため 遺伝子レベルの貧乏性を発揮することで利己的利益を優先しがちな習性を受け継いでしまっているのである
必要以上に脂質や糖質や塩分を摂ろうとするのと同じ様に 他人から奪ってでも利己的利益を追求しようとする習性があるのだ
だが それが単なる先天的習性に過ぎず 社会安全性や持続可能性の観点からは無駄で非合理だと理解すれば 共益的観点も持つこと「も」可能となるのである
先天的本能習性のままに行動しておいた方が 主観的気分としては安心満足感が得られるものである
逆に言えば 先天的本能習性に逆らうことは不安や不満も「感じる」ものである
何億もの年収があっても脱税したがるバカがいるのは そのためである
松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」などと言う理論構造原理的に不可能な予測をでっち上げたのは 私が生物学上の「社会性」が「人間としての社会性」とは別物であることの主張に対する根拠のない「はぐらかし」である
構造原理的に立証不可能な予測で「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ(山極寿一)」などと称して大衆人気を集めることも簡単である
実際にマスコミ各社は「人間としての社会性が立証できたら素晴らしいですね」などというバカみたいな「評価」しかしていないのである
結果的に11億以上もの研究費不正流用をしたのも そもそも立証不可能な「業績」をでっち上げるための無駄遣いであって 何千億かけても「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性」など理論的に立証不可能なのである
論理的に立証不可能な話が大衆人気を集め マスコミが取り上げたことで松沢は文化功労賞を獲っているが 実際には霊長類研究所はほとんど何も業績すらない
茶番も甚だしく 国民をおちょくっているとしか言いようがない
それでも未だに更科功による「はぐらかし」が続いており 一向に遺伝的進化に対する「典型的な間違い(遠藤秀紀)」は訂正周知されることもなく 従来の遺伝的進化のパラダイムに則って「ウイルスの全ては弱毒化する」などという医学的デマまで流布される始末である
マスコミ関係者は基本的に自発的論理検証が出来ないバカが大多数であるため 生物学界権威の多数決で「裏を取った」と勘違いし 問題意識も全く働かない
フランシス:ゴルトンの優生学というのは 従来の遺伝的進化のパラダイムに則った「合目的的進化の説明」に基づいたものであり だからこそ130年あまりに亘って誰も優生学が論理反証されなかったのである
「進化は人間よりも賢い」というのであれば 先天性疾患や障害者は「愚か」という理屈によって優生学は正当化され続けることになる
それが如何に社会的に無責任であるかを 衆愚もマスコミも全く理解しておらず 漫然と安心満足して「○○のために進化した」という説明を続けているのである
これはあまりにバカ過ぎる
バカ程「自分だけは絶対に大丈夫だ」と過信しているものである だから生物学界の多数決を科学的論拠だと信じ込み続けているのである
なぜ人は知ってるつもりで答えるのか -プレジデントオンライン
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