どうも生物学者というのは 自分が主観的に興味を持った生物の存在を正当化し あたかも「頭が良い」とか「心がある」などといった勝手なでっち上げをしたがる傾向が強い
「ダンゴムシには心がある」だの 「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」だとか 「目的のために進化を考えた(選んだ)」といった 科学的には何の根拠もないこじつけが多過ぎる
ダンゴムシがどのような行動を採るのかを実験的に調べることまでは科学的にユニークなものだが その後の「解釈」の段階で急に科学的論理客観性を逸脱した「こじつけ」が始まってしまう
なぜ中枢脳を持たぬダンゴムシが既知の条件反射的本能習性以外を採るのかについても 徹底的に論理客観的分析が必要であり 生物学というのは「ダンゴムシには心がある」などという勝手な観念を正当化するためのものではない
同一条件下で同一の逸脱行動が見られるのであれば それは結局は先天的条件反射の一種に過ぎない
反射的行動であれば シーケンス回路的には非常に単純なものでも実現できるものであり 単なる時限式とか 単なるランダムに起こる逸脱とか 考えられる要素はほぼ無限にある
もっと徹底的にあらゆる条件下における実験によって行動パターンを解明しないことには科学的論証には全くならない
ヒトの先天的行動習性においても 断片的な利他的行動だけを抽出してきて「人間性だ」などとこじつけるバカ生物学者や社会心理学者が多いが 振り込め詐欺師集団内部において利他的行動を採っても人間性の論拠には全くならない
東京電力という組織の利益を優先することもまた断片的には「利他的」であるが それこそがむしろ「個人が自律的な社会的責任を負う」という人間性を喪失する根源的原因ともなっているのである
「お国の為」と称して為政者に唯々諾々と盲目的に服従忖度迎合同調して安心することを人間性だと錯覚するのは簡単だが それこそが無謀な暴走を引き起こした「実証不能の観念」というものの正体である
ヒトという種の生物を「信じたい」のは勝手だが だからといって論理客観的な根拠をすっ飛ばして「ヒトには人間性が組み込まれているはずだ」などという話を科学だと勘違いすべきではない
山極寿一もイカれているが それを唯々諾々を鵜呑みにする衆愚マスコミも同罪である
日大のような組織腐敗というものは 組織のトップだけがイカれているのではなく イカれたトップに唯々諾々と服従忖度迎合同調する多数の無責任な無意識性が作り出すものである
組織内部では同調迎合忖度服従することが「多数」だからといって その「多数」が「正常」であることの論拠にはならないにも関わらず ヒトは主観的安心満足感によって促される錯覚(認知的欠陥)によって組織腐敗は傍観放置温存され むしろ組織腐敗は破綻するまで暴走的に進行し続けることになるのである
これは学生によるイジメにおいても ミャンマー政府軍による民衆弾圧や虐殺においても ナチスやポルポトの大量虐殺においても同じメカニズムが働いているのである
「ヒトという種の生物」は 決して先天的に「人間性」が発揮されるようにはできておらず むしろ自発的に物事を論理客観的に検証し 事実と嘘や誤謬を明確に識別しないことには「人間性(人間としての心)」も発揮されることはない
養老孟司は多数衆愚からの人気はあるものの 言っている内容には論理整合性がなく 一貫した責任ある理論があるわけではない
衆愚人気の「多数」が発言内容の信憑性の根拠には全くならない
それは単なる「流行(ファッショ)」でしかない
養老孟司もリチャード:ドーキンスもマイケル:サンデルもマルクス:ガブリエルも 挙げたらキリがないが 衆愚人気はあっても何の応用性もなく 意味がないことを認識すべきである
何が真実なのかを識別できなければ 人間性なんぞ発揮されることはないのである
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「ヒトという種の生物には先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とでも言っておけば 衆愚は主観的に安心満足して「信じよう」とするものである
言っておくが ヒトという種の生物にまで進化したのは 地球上の生物史の中ではごく最近の出来事であり ヒトという種の生物は極めて「新種」に過ぎない
進化の過程で大脳辺縁系に組み込まれた先天的本能習性のほとんどは野獣のそれとさしたる違いはなく 暴力威圧によって順位序列による差別が引き起こされるのも祖先の生息環境による収斂進化の結果に他ならない
一面的な利他的行動習性を都合よく抽出してきて「先天的人間性だ」などと決めつけるのは科学的論証でも何でもない ただの衆愚迎合的な「こじつけ」である
むしろ ヒトという種の生物は先天的な認知上の欠陥によって理不尽な暴力者に唯々諾々と服従忖度して組織腐敗を傍観放置する「人間としての欠陥」を持った存在であり この認知上の欠陥(錯覚)を錯覚として認識識別するために必要なのは自発的な論理客観的検証性(理性)である
何が真実で 何が嘘やデマや誤謬であるかを識別できずに人間性も「心」もスッタクレもあったものではない
権威を疑う時 ヒトは精神的葛藤に陥るものである
スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称:アイヒマン実験)においても 権威の理不尽な命令に対して被験者が疑いを持つ時には怒りの感情を伴って「本当に大丈夫なんですか?」と何度も聞き返すのも 気分的(主観的)には「権威の命令に逆らいたくない」という感情に対して論理客観的には「これ 本当に大丈夫なの?」という疑いとの間の葛藤が 怒りの感情(覚醒)として働くのである
アイヒマン実験における被験者の結論としては 個人が自律的な社会的判断選択をすることの重要性が述べられているものの 被験者ではない読者の大半は自分とは無関係な出来事だと 自分なら騙されないはずだという過信によって 論理客観的根拠も示さずに「それでも権威に服従しない社会は崩壊する」などという決め付けをしたがるものである
ヒトという種の生物は 権威に服従しておくことこそが主観的に安心満足であるため この主観的安心満足を論理客観的な安全性だと錯覚することによって 論理的根拠もなく「権威に服従しない社会は崩壊する」などと決め付け 自分で自律的な社会的責任判断選択が放棄できるものだと勝手に勘違いして安心満足するのである
ヒトという種の生物は ヒトにまで進化してから数万年しか経っておらず 決して先天的に人間性が発揮できるような「進化」はほとんど起きてなどいない
むしろ 集団組織的な封建的統率協調行動によって 他の群れ集団との間の環境資源の奪い合い生存競争を勝ち抜いた野獣の末裔であって だからこそ未だにミャンマー政府軍のような野蛮行為も可能となるのである
先天的には ヒトという種の生物は多数や権威権力に唯々諾々と服従し 個人が自律的な社会的責任判断選択などしないという盲目的無責任性が組み込まれているからこそ ナチスやポルポトのような残虐行為も起きるのである
過去に引き起こした「ヒト」の過ちを 論理客観的に検証せず ただニュルンベルグやハーグ国際法廷で「罰」だけ判決を出して「解決」だと錯覚しているからこそ 何度も同じ様な虐殺や民衆弾圧が再発するのである
アドルフ:ヒトラーは敗戦によって自決している
ヒトラーは自分が行った行為が「悪いこと」だという自覚があったからである
通り魔やテロリストも同様で 自暴自棄という個人の主観的絶望を他人に八つ当たりする形で社会に対する方向性のない懲罰報復をすることで満足しようとしていたに他ならない
ヒトは暴力を振るうと満足感が得られるものである
テストステロンを消費し アドレナリンで覚醒状態になり その後の反射でセロトニンの分泌による安息感が中毒的に暴力への行動を「学習」させる仕組みが脳(大脳辺縁系)には組み込まれているからである
肉食獣が草食獣を喰う時にも 草食獣がオス同士で争う時にも 暴力的な「強さ」は生存にとって有利に働き 収斂進化的には動物は全て暴力によって生存競争を勝ち抜くように出来上がっているのであり これはヒトにおいても逃れることはできない
だからヒトはヒトを殺すのである
いくら説明しても養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのを信頼して鵜呑みにしているNHK番組制作者の頭の悪さに対し 私が個人的に殴りたいと主観的に「思う」ことも 先天的な本能習性の結果である
だが 私は個人の主観的感情で数人のバカを殴っても 何の合理的解決にならないことを論理客観的に理解しているので 誰も読まないのに説明を続けているのである
主観になど意味はない
主観というものは個人のバイアス(偏り)に過ぎず 社会的普遍性は伴わない
「殴りたい」とか「女子中学生を強姦したい」とか「金を盗みたい」とか そういった欲望は意思や意識ではなく 自分が生き続けるに価する社会のあり方にとって最も合理性のある行動選択をすれば 自ずから社会的責任判断選択も求めるようになるのである
「本当に自分が求めている社会とは どういうものなのか」という「目的」意識なしに「自由意志」でも何でもないのである
明治大学の出口治明は「ヒトも生物だから子孫を残すことが目的」などと言っているが 動物のように「繁殖の継続」さえできれば良いというのであれば 殺し合おうが奪い合おうが構わないという話になってしまうのである
あくまで自分が主体的に生きる上において合理性のある社会を求めることによって はじめて社会的責任判断選択という人間性も発揮されるのである
生まれつきの性癖が悪趣味だろうと人間性を発揮することは可能である
趣味の範疇が悪趣味でも 自律的な社会的責任判断選択によって他人に迷惑をかけなければ人間としての社会性は発揮可能なのである
逆に言えば どんなに衆愚人気がいくらあってもペテン師や嘘つきは無責任で迷惑なのであり 同時ににペテン師や嘘つきを信用しているバカも同罪である
Ende;