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短絡的論理思考

2023年03月19日 14時04分19秒 | 意識論関連

一時期 数学者である藤原正彦著「国家の品格」が衆愚人気を集めたことがあるが

そもそも「品格」という基準は論理客観的基準ではなく ただの主観(個人の感想)に過ぎない

藤原は東日本大震災の時に千葉のコンビナート火災で生じたデマに対し 「ブタンは燃えても無害な二酸化炭素しか出ない」と言い切ったが 実際の火災映像では大量の黒煙が上がっており 二酸化炭素は無色透明であり 大量の黒煙は不完全燃焼による煤煙である

ネット上の根拠のないデマのような有害物質ではないものの 大量の煤煙は決して無害とは言えない

 

連続爆弾魔セオドア:ジョン:カジンスキー(通称:ユナボマー)は IQ167と診断され 16歳でハーバード大学に飛び級し 数学者として「天才」「神童」と称されたが

カジンスキーの問題解決策は手作り爆弾を用いた暴力破壊という非合理なものであった

 

バカな「教育者」共は 「数学の成績さえ上げれば論理思考ができるようになる」と倒錯しているが これは何の根拠もないデマである

数学というのは 数学上の規則に則ったパズルのようなものに過ぎず どんなに難しいとしても所詮は囲碁や将棋の難解さと同じようなものであって それらの分野でどんなに成績が良くても大抵の場合は実社会における問題解決能力に結びつくわけではない

事実 数学の成績がどんなに高くても 進化生物学上の誤謬に関して指摘できる者など誰もいないのである

遺伝的進化というものを まるで主体的に目的に則って合理的に選択可能であるかのように倒錯しているからこそ優生学に対する論理反証を誰もしてこなかったのであり これは実社会上での重大な過失の原因である

 

論理思考の命題で よく「3人のうち一人が嘘をついています」という前提で誰が嘘をついているのかを求めるものがあるが

実社会においては誰が嘘つきなのかを予め「3人のうち一人が」といった形で明確に示されていることなどない

そもそも実社会の嘘つきというのは 「絶対に嘘しか言わない純粋嘘つき」など存在せず バレるような状況なら嘘はつかないのが現実の嘘つきである

しかし バレないと踏んだ場合には 荒唐無稽な嘘も平気で言い出すものでもある

養老孟司による「脳化社会」云々の話には論理整合性も具体性も 当然応用性も何もない話であるが 衆愚マスコミは大多数の大衆人気だけを頼りに意味のある内容だと 何かの役に立つ話だと 「自分の頭が良くなった」と倒錯するバカが大半であり 単に「著作が売れて世間的に成功した」というだけで未だに養老は学術権威として扱われ続けている

ヒトの多くは 自分が主観的に安心満足感を感じてしまえば 内容に客観的論理整合性がなくても信じようとする習性がある

「信じたい話」だけを信じようとするのである

「信じたい」と主観的に思った自分の主観に対する盲目的過信がそうさせるのだ

詐欺師やペテン師の言っている内容は 冷静に客観的に検証すれば嘘か真実なのかは区別がつくものであるが 冷静さとしての自己客観性というものは自分の主観をも疑う必要性があるが

ヒトの多くは自己の主観を「意識の本質」だと錯覚しているため 簡単に論理客観性を喪失し 冷静さを失い嘘やデマでも鵜呑みにし 騙されるのである

いくらNHKで「還付金はATMでは受け取れない」と何百回も報道しても すぐに忘れて携帯電話で誘導されるがままにATMで詐欺師に金を振り込んでしまう被害がなくならないのは 主観的に「本物だと思った」ことに何の疑いも持たないからである

程度の違いはあれども 騙されるメカニズムは全く同じである

 

真理というものは「面白く」はない

マトモな医者なら「バランスのとれた食事と適度な運動」を勧めるものだが 衆愚人気が得られるのは「これさえやっとけば寿命が何年延びる」だの「これさえ喰えば痩せられる」的なデマばかりである

その方が主観的には「面白い」からである

ハーバード大学の哲学科教授マイケル:サンデルによる「トロッコ問題」で主観的に「悩み」さえすれば バカは簡単に「自分の頭が良くなった」と倒錯し 「トロッコ問題」には倫理も正義も含まれていないことには誰も気づかないものである

連続爆弾魔セオドア:ジョン:カジンスキーがハーバード大出身であることからも ハーバード大学などの学歴やブランドには根拠が伴っていないのである

偏差値やIQといった基準は それ以上の意味などなく それらの評価基準は人間性や倫理判断能力の論拠には全くならない

 

「自分の頭で物事を考え 真偽を判断する」ために必要なのは 学力偏差値やIQではなく 他者環境から与えられる「脳への報酬」に左右されない主体的で自律的な論理検証判断能力である

個人が自分の属する組織の利益に左右されず 自律的な社会的責任判断選択をする場合には 「脳への報酬」が伴う保証などこにもない

東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を上司に指摘しても「脳への報酬」が得られなければ傍観放置しておいても良いことの理由には全くならない

日本大学田中英寿理事体制下においても 理不尽な左遷を怖れて腐敗体制を傍観放置して良い理由にはならない

「アメとムチ」という話に衆愚は安易に飛びつきたがるが アメやムチを与えられる環境に依存した行動である以上 そこに「自律」も「自由意志選択」も存在しないのである

脳の報酬系である大脳基底核がパーキンソン症候群との相関があることに疑う余地はほとんどないが パーキンソン症候群と犯罪や人間性との相関は全くない

強盗殺人犯の大脳基底核には何の損傷もないから強盗も可能なのである

パーキンソン症候群の治療と 人間としての自律的な社会的責任判断選択能力とは無関係である

ペテン師がする「信じたい話」とは それが脳にとって報酬になるから「信じたい」のであって 安心満足というドーパミン脳内麻薬によって無意識条件反射的に促されるヒトの先天的な脳の構造に由来するものであり

報酬系の先天的構造によってヒトは嘘でもデマでも信じ込んでしまうのである

「信じたい」かどうかは主観である

信じるに価する真実かどうかは 自分の頭で論理客観的に「考え」なければ判別することはできない

「考え」なければバカでしかない

それは当たり前の話である

 

 

Ende;

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