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NHKアーカイブズでイラク戦争関連の話を放送してたんだけど、イラク開戦時にパウエルがCIAから嘘の情報を吹き込まれたことが戦争の引き金になったのだと言う。
どんなに優れた指導者であっても、部下が嘘を吹き込んでしまえば意味がない。
北朝鮮の金正恩の場合も同様なのではないだろうか。
極端な話オウム真理教の麻原も、組織幹部による組織の正当化によるウケ狙いを目的としたでっちあげを鵜呑みにした結果としての暴走に過ぎない。
なので、麻原自身に「なぜテロを命令したのか。」の理由を聞いても、麻原自身も「わかんな~い。」のである。
虐待とかイジメの激化においても、実行している主導者や集団内部の個人も、誰にも目的など存在しないからこそ破綻暴走にまで至るのであって。気分感情という無意識に流されている限り目的も意識も働いてはいないのである。
意識というと、大衆観念上や現在の生物学上では情動バイアスの大きさを指しているものであると勝手に勘違いしているが。情動バイアスというのは大脳辺縁系が勝手に作り出す機械条件反射に過ぎず、主体的意志を持った人間個人の行動選択ではない。
自分にとって気分の良い話だけを鵜呑みにしていれば論理検証性が失われるのは必然である。警察や検察による冤罪というものも、彼らにとって気分の良い話、すなはち逮捕者が犯罪者である証拠だけを都合良く選択しているからこそ冤罪が生まれるのである。
一旦逮捕した被疑者が犯罪者ではないとなれば誤認逮捕になるため、既に逮捕した被疑者は何としても犯罪者に仕立てあげなければ業績に関わることになるので、真犯人かどうかなど警察や検察にとってはどうでも良い話になってしまうのである。役所が一度決めたプロジェクトを変更できないことや余剰予算返納を忌避するのも、既に決定した事項を事後正当化しておかなければ個人の業績に関わるからである。
北朝鮮においても金正恩のご機嫌を損なうような話を無視し、問題の全ては相手国というご都合主義的「解釈」によって全てが決定してしまうのである。
まあ、でも金正恩氏が自律的に論理検証して部下から提供される情報を選択していれば、部下から嫌われて暗殺されるのがオチであろう。これは学校でのイジメにおけるイジメ対象の相転移と同じである。
それまでイジメによって共通の「敵」排除対象を攻撃することで多数派迎合していた者が、ある日突然イジメを止めるように促せば「裏切り者」として多数派の気分を害することになり、逆にイジメの対象となってしまうのである。
イジメの場合は監視カメラを設置するなど、衆人環視状況を作っておけば抑止は可能である。ただし、これはカメラや問題意識のある大人の目が届く範囲における対処的対策に過ぎない。
振り込め詐欺師集団や北朝鮮指導部に監視カメラは設置出来ないからだ。
だからこそ教育というのは個人の自律を育むことが重要なのであり、「規範意識」的な権威服従性の刷り込み学習では社会の根源的安全性の向上には寄与しないのである。
「難しいから、やらない。」というのであれば、これは大人の社会的「甘え」に他ならない。こうした社会的「甘え」こそが、あらゆる「人災」の最も根源的原因であり、これを放置するのは社会的犯罪なのである。
Ende;
NHKアーカイブズでイラク戦争関連の話を放送してたんだけど、イラク開戦時にパウエルがCIAから嘘の情報を吹き込まれたことが戦争の引き金になったのだと言う。
どんなに優れた指導者であっても、部下が嘘を吹き込んでしまえば意味がない。
北朝鮮の金正恩の場合も同様なのではないだろうか。
極端な話オウム真理教の麻原も、組織幹部による組織の正当化によるウケ狙いを目的としたでっちあげを鵜呑みにした結果としての暴走に過ぎない。
なので、麻原自身に「なぜテロを命令したのか。」の理由を聞いても、麻原自身も「わかんな~い。」のである。
虐待とかイジメの激化においても、実行している主導者や集団内部の個人も、誰にも目的など存在しないからこそ破綻暴走にまで至るのであって。気分感情という無意識に流されている限り目的も意識も働いてはいないのである。
意識というと、大衆観念上や現在の生物学上では情動バイアスの大きさを指しているものであると勝手に勘違いしているが。情動バイアスというのは大脳辺縁系が勝手に作り出す機械条件反射に過ぎず、主体的意志を持った人間個人の行動選択ではない。
自分にとって気分の良い話だけを鵜呑みにしていれば論理検証性が失われるのは必然である。警察や検察による冤罪というものも、彼らにとって気分の良い話、すなはち逮捕者が犯罪者である証拠だけを都合良く選択しているからこそ冤罪が生まれるのである。
一旦逮捕した被疑者が犯罪者ではないとなれば誤認逮捕になるため、既に逮捕した被疑者は何としても犯罪者に仕立てあげなければ業績に関わることになるので、真犯人かどうかなど警察や検察にとってはどうでも良い話になってしまうのである。役所が一度決めたプロジェクトを変更できないことや余剰予算返納を忌避するのも、既に決定した事項を事後正当化しておかなければ個人の業績に関わるからである。
北朝鮮においても金正恩のご機嫌を損なうような話を無視し、問題の全ては相手国というご都合主義的「解釈」によって全てが決定してしまうのである。
まあ、でも金正恩氏が自律的に論理検証して部下から提供される情報を選択していれば、部下から嫌われて暗殺されるのがオチであろう。これは学校でのイジメにおけるイジメ対象の相転移と同じである。
それまでイジメによって共通の「敵」排除対象を攻撃することで多数派迎合していた者が、ある日突然イジメを止めるように促せば「裏切り者」として多数派の気分を害することになり、逆にイジメの対象となってしまうのである。
イジメの場合は監視カメラを設置するなど、衆人環視状況を作っておけば抑止は可能である。ただし、これはカメラや問題意識のある大人の目が届く範囲における対処的対策に過ぎない。
振り込め詐欺師集団や北朝鮮指導部に監視カメラは設置出来ないからだ。
だからこそ教育というのは個人の自律を育むことが重要なのであり、「規範意識」的な権威服従性の刷り込み学習では社会の根源的安全性の向上には寄与しないのである。
「難しいから、やらない。」というのであれば、これは大人の社会的「甘え」に他ならない。こうした社会的「甘え」こそが、あらゆる「人災」の最も根源的原因であり、これを放置するのは社会的犯罪なのである。
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