書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

暴走。

2013年04月19日 15時09分49秒 | 意識論関連
○暴走

 北朝鮮が何を目的にしているのかは知らないが。

 多分何も目的はない。

 太平洋戦争の時に「天皇陛下のために。」と称して、半ば自暴自棄に国家的暴走をしたのと同じで、「金正恩同志のために。」命懸けで何らかの「成果」を達成しようとしているだけであって。

 その「成果」っていうのの結果が戦争だろうと破綻だろうと、誰も責任を取るつもりはない。

 ヒトという種の生物が持つ本能的な社会形成習性っていうのは、ことほど左様に個人から自律的な社会的責任判断というものを不具にしてしまうものなのである。

 本能由来の行動バイアスの結果的行動というのは、個人が自律的な論理検証によって選択したものではなく。これは「意志」でも「目的」でもない。

 ヒトの多くは自分の意識というものが全て自分自身の論理検証的選択に基づいて行われているものだと勝手に錯覚する性質があり、実際には意識のほとんどが無意識的条件反射に過ぎないことを認識出来ないばかりか、むしろ認識することを拒絶する傾向があり。

 そのため生物学上では「潜在知」などと称して無意識な行動バイアスすらも個人の主体的意志であるかの如く論じており、それは「通り魔の行動選択」や「虐待の連鎖」までをも個人の目的行動選択によるものであると規定するのと同義の非科学的観念に過ぎない。

 こうしたバカげた基準に基づいた論証を重ねている限り、本当の意味での人間というものの科学的検証に至らないのは当然の話なんですが。生物学界の無意識的組織的腐敗によって論理検証性が蔑ろにされているのである。

 学校でのイジメが無意識に行われているのと同様、組織腐敗というのは組織を構成する個人の無意識性の集積によって構築されるものであり。個人が自律的主体的に論理検証して社会的責任を果たしていれば組織腐敗は起こらない。

 軍備増強によって「国民を守る。」などというのは実は嘘で、警察権力を増強しても犯罪自体の抑止にはならないことや、北朝鮮が軍備に血道をあげても「国民を守る。」ことにはならないのと同じことである。

 大東亞戦争の時に軍備増強した日本が「国民を守る。」ことになったか。

 なんないんですね。

 軍備武力による対外的抑止力を増強すると、大衆(ヒト)の多くは気分的に安心満足する性質がある。

 北朝鮮の指導部においても、組織内部での価値観評価ばかりを追求することに血道をあげており、国家政府の持続可能性も安全性も自分達では自律的に追求するつもりが全くない。

 「一億玉砕。」って安全保障にならないでしょ。「英霊。」などと称して命懸けで暴走した頭の悪さを事後正当化して気分的満足している限り、社会安全性なんぞ確立されることはないんですよ。そりゃ死んだ人間に意味があることにしておけば多数大衆のご機嫌取りにはなるんでしょうけど、それこそがやらなくてよかった戦争自体を事後正当化していることになるわけです。

 「お国のため。」などと称して命懸けで特攻攻撃をしても、それは「人類の救済。」と称して命懸けで毒ガステロをするのと構造的にはさしたる違いはない。

 これを理解出来ないのであれば、北朝鮮の暴走をとやかく言えた義理ではない。



Ende;
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