犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

顔真卿「顔勤礼碑」

2019年01月16日 | 書の道は
[あらすじ] 東京国立博物館で顔真卿展が有る。 正直言って好きじゃないから書いてこなかった顔真卿だが、 見に行く前に臨書して、知っておきたい。 ここまで、「郭虚己墓志銘」「多宝塔碑」「麻姑仙壇記」と臨書してきた。 碑文などの全部を臨書するのを全臨と言う。 書を始めた頃は、わけもわからずに全臨していたが、 いくつか書いていくうちに、全臨することもないと気付いた。 というのも、なんなら二千年近くも . . . 本文を読む
コメント

顔真卿「麻姑仙壇記」

2019年01月07日 | 書の道は
[いきさつ] もうすぐ、東京国立博物館で顔真卿展が開かれる。 見る前にいくらかでも臨書して、理解とまではいかずとも、触れておきたい。 顔真卿(709-785)の書を、750年の「郭虚己墓志銘」、 752年の「多宝塔碑」と臨書してきた。 急いでいるから、全臨なんかしない。 数ページ食い散らかして次いってみよう、だ。 ※ 顔真卿の書のスタイルを、顔法と呼ぶ。 その中に、蚕頭燕尾(さんとうえんび) . . . 本文を読む
コメント

顔真卿「多宝塔碑」752

2019年01月03日 | 書の道は
[あらすじ] もうすぐ東京国立博物館で顔真卿展が有る。 その前にいくらかでも臨書して、知見を持っておきたい。 一年自習して一年サボった後なので、筆は重い。 顔真卿(がん しんけい 709-785)の楷書が、 今現在の楷書のお手本になっている。と言っていいのだろう。 私は、書を始めてみてやっと、楷書の成立が遅いことを知った。 なんでも始原を辿りたい癖が有るので、行草をさらりと舐めたら 隷書をやっ . . . 本文を読む
コメント

顔真卿「郭虚己墓志銘」

2018年12月17日 | 書の道は
[あらすじ] 毛筆の書を独習し始めたのが二年前。 一年やって、一年サボって、最近再開した。 というのも、年明けに顔真卿の展覧会が東京国立博物館で開催されるからだ。 見に行く前に、臨書しておきたい。 古いのから順にやっつけよう。 顔真卿(がんしんけい:709-785)が、自分の流儀を確立する経過を追ってみたい。 ある本に、郭虚己墓志銘というのを見つけた。 よく知られている、多宝塔碑より三年前の . . . 本文を読む
コメント

礼器碑

2018年11月30日 | 書の道は
[いきさつ] 二年前の十月に、今まで敬遠していた毛筆での書を 独習し始めた。 一年間、ほぼ毎日書いたが、ふとしたはずみにサボったら、 次の一年間はほぼ全く書かなかった。 何度か立ち直ろうとしては失敗しつつ、ちょうど一年経った頃から また、ぽつぽつと書いている。 草書が読めるようになりたい。とか 筆で署名しなきゃならない時に困らずに書けるようになりたい。とか そんな動機だったっけ。 そのくせ、 . . . 本文を読む
コメント

小島尻切れ

2018年09月09日 | 書の道は
小学1年生から5年生までの間、図工はたしかずっと同じ先生だった。 私自身は絵を描くことも工作をすることも大好きだが、 図工の授業は好きではなかった。 ついでに、その先生が私のことを「ンあっこ」と鼻にかかった発音で呼ぶのがイヤだった。 いや、発音がイヤだったんではなく、「あきこ」なら「あっこ」と呼ぼうという それがイヤだった。 子どもの頃の私は多分いわゆるボーイッシュというやつで、 ボーイッシュと . . . 本文を読む
コメント

端渓の箱書き

2018年03月20日 | 書の道は
[あらすじ] 自宅に、端渓が有った。 池のところに梅の彫刻が有るので、あんまり実用的な気がしない。 使ったら洗いにくそうだ。 友だちが、漢字のほうの先生を紹介してくれた。 使ってみろ、と言う。 硯は濡らすと、石が違った表情を表す。 それは是非見てみたい。 しかし、書を能くしたという祖父が使っていたかも分からない物を、 ずぶっずぶの素人の私が汚すわけにもいかない。 「観賞用だと、漆が塗ってあ . . . 本文を読む
コメント

端渓なのか

2018年03月19日 | 書の道は
[あらすじ] 自宅に、端渓が有った。 まあ、そういえば、知っていた気はする。 以前、見たことが有る気はする。 けれど、その頃は書なんかやっていなかったし、 硯?へー。という程度の気持ちでしか見なかったのだろう。忘れていた。 祖父のこういった遺品は、てっきり、祖母が最後に住んだ大阪の家に在るのだと思っていた。 紫檀の箱を開くと、灰色の硯が収まっていた。 硯に合わせて作ったのだろうか、ぴったり嵌ま . . . 本文を読む
コメント

自宅発掘報告 硯箱篇

2018年03月16日 | 書の道は
[あらすじ] 家の北側に、地下室がある。 半分は亡父が自分で掘って自分でモルタル壁を作った。 残り半分は業者に入ってもらって、完成させた。 湿気がひどく、保管していた本がカビてしまった。 一昨年、よく見たら、亡父の作った部分から雨漏りがするのだった。 モルタルというより、モロ垂ル壁だ。 ちょいと、一旦話を地下室に戻そう。 漏れる側の壁面に置いていた本箱は、全て撤去してある。 モルタル壁が剥き . . . 本文を読む
コメント

書道博物館

2017年12月17日 | 書の道は
根岸の書道博物館に行ってきた。 日本と中国の、歴史的な書家の作品の展示だ。 いっぺんにいろんな人の書を、時代を追って見られる。 6月の終わりから今日まで全4期をそれぞれ1回ずつ見てきた。 入館料は1回500円だが、年間パスポートが800円というのを買った。 2回行ったら元が取れる年間パスポートとは、安い。 もうちょっと取っても良さそうなもんだ。 ヨッ、台東区、太っ腹。 私は、サカノボリ趣味のせ . . . 本文を読む
コメント

孔子廟堂碑

2017年10月17日 | 書の道は
[あらすじ] 書を独習し始めた。 し始めた。なんて言っておりますがね、 遂に一年経ちました。 最初に墨をおろし筆を持って、「一」なんて書いたのが、 去年の10月11日だった。 そして、11月に入って、鍾繇の宣示表や石門頌や泰山刻石から 臨書を始めた。 ※ 虞世南(ぐ せいなん 558-638)の書いたとはっきりしているものは、 これくらいしか無いらしい。 碑は唐の太宗皇帝の貞観の初め、629 . . . 本文を読む
コメント

王羲之と鵞鳥

2017年09月12日 | 書の道は
[あらすじ] 去年の十月から書を独習し始めた。 中国の昔っから現代の日本に至るまで、 書聖と言ったら王羲之(おう・ぎし)である。 4世紀の人である。 漢字には、隷書だの草書だの行書だの楷書だのと、いろいろの形があるが、 王羲之はどれもよく書いたという。 300年ほどのちの唐の時代、太宗皇帝が非常に王羲之の書を愛し、 収集し、ものによっちゃあ自分の棺に一緒に入れさせたという。 困るね、こういう . . . 本文を読む
コメント

王羲之 黄庭経

2017年09月06日 | 書の道は
玄宗皇帝の「孝経」の臨書は三分の一やって飽きてしまった。 理由は、一見かっこいい字だが単調で退屈してしまったから、なのだが、 もうひとつの理由は、テキストが「孝経」だからだ。 臨書する際には、漢文もしっかり読む。 儒教はどうも肌に合わない。 人と人の上下関係のことばっかり言っているように思える。 内容そのものにも興味を持てないと、臨書が続かない。 とは言え、賀知章の草書「孝経」は全臨したのだから、 . . . 本文を読む
コメント

王羲之「蘭亭序」

2017年08月30日 | 書の道は
[あらすじ] 去年の十月から書を独習し始めた。 古いほうへさかのぼって臨書する。 行書を始めた。 行書は速く書くためのものだし、筆跡もやわらかい。 だから、石碑にはしないものだった。 それを、初めて碑にしたのは太宗皇帝だった。 行書最古の碑である「晋祠銘」(646年)を臨書しようとしたが、 拓本の状態があまりよろしくない。 初学者の私には難しい。 そこでサラリと中断し、その2年後の「温泉銘」を . . . 本文を読む
コメント

唐太宗 温泉銘

2017年08月21日 | 書の道は
[あらすじ] 敬遠してきた毛筆書道を、十月から独習し始めた。 古碑帖を臨書する日々。た…楽しい 隷書だ草書だ楷書だと課題が増えるに任せ、 後回しにしていた行書にやっと辿り着いた。 まず王羲之の興福寺断碑を臨書した。 しかし、王羲之の筆跡のあれこれから一字ずつ集めたものであり、 全体の流れや活き活きとしたものが感じ取れなかった。 だったら手紙でもやりたいもんだ、と思って、 謝安の八月五日帖をやっ . . . 本文を読む
コメント