[あらすじ] 敬遠していたサンスクリットに手を着けた。
文字をまずおぼえる。
母音が13と、子音が30以上もある。
そんなややこしい言語をなぜ学ぼうとしているのか。
古代インド人の学者がタイムスリップして来て我が家の庭に出現し、
最初に出遭った私を頼りにしている、しかも二人は恋におちてしまった、
という切羽詰った事情でもあるのか。
サンスクリットは知らないうちに日本語にずいぶん入っている。
仏教のせいだ。
インドで起きた仏教が中国を経て日本にやって来る間に、
サンスクリットは当時の中国語に訳されて、
その漢字を日本人が日本人なりの発音で読んで、
何百年かのうちに日本語に入り込んで馴染んでいる。
私が読み書きできるように練習しているのは、デーヴァナーガリー文字というものだ。
だが、日本でサンスクリットを見かける時は、梵字とか悉曇文字と呼ばれるものだ。
墓石の裏に立てる、卒塔婆に書いてある、アレだ。
卒塔婆という言葉自体、サンスクリットのストゥーパの音を写したものだ。
他にも、僧だの盂蘭盆だの南無だの旦那だの達磨だの、
使ったことが無くもないものから日常語になっているものまで、いろいろある。
仏教では、なんとか如来とかなんとか菩薩とかなんとか明王とか
様々なレベルの仏キャラが設定されている。
どこに住んでいて、どんな服を着ていて、どんな髪型で、
右手には何を持っていて左手には何を持っていて、
家来に誰と誰を連れていて、得意技は何で・・・
と、まるでいまどきの格闘ゲームのキャラクターみたいだ。
そしてそれぞれが、マントラというおまじないの言葉を持っている。
唱えたら最強技が出せる…とでも思っておきゃあいいか。
そのマントラはサンスクリットの発音を漢字に置き換えたものが
日本に伝わっている。
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶
ぎゃーてー ぎゃーてー はらぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーじーそわか
なんていうのも、そういうものの一つだ。
これが、もうちょっとサンスクリットらしい音にすると、こういうことになる。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディスヴァーハー
そして、おまじないなんてものは、その発音で言わないと効き目が無い。
音そのものが大事なのだ。
そこんとこに私は興味を持ってしまった。
ひょっとして、ちゃんと発音すると妙なる響きを放つのではないか、と。
文字をまずおぼえる。
母音が13と、子音が30以上もある。
そんなややこしい言語をなぜ学ぼうとしているのか。
古代インド人の学者がタイムスリップして来て我が家の庭に出現し、
最初に出遭った私を頼りにしている、しかも二人は恋におちてしまった、
という切羽詰った事情でもあるのか。
サンスクリットは知らないうちに日本語にずいぶん入っている。
仏教のせいだ。
インドで起きた仏教が中国を経て日本にやって来る間に、
サンスクリットは当時の中国語に訳されて、
その漢字を日本人が日本人なりの発音で読んで、
何百年かのうちに日本語に入り込んで馴染んでいる。
私が読み書きできるように練習しているのは、デーヴァナーガリー文字というものだ。
だが、日本でサンスクリットを見かける時は、梵字とか悉曇文字と呼ばれるものだ。
墓石の裏に立てる、卒塔婆に書いてある、アレだ。
卒塔婆という言葉自体、サンスクリットのストゥーパの音を写したものだ。
他にも、僧だの盂蘭盆だの南無だの旦那だの達磨だの、
使ったことが無くもないものから日常語になっているものまで、いろいろある。
仏教では、なんとか如来とかなんとか菩薩とかなんとか明王とか
様々なレベルの仏キャラが設定されている。
どこに住んでいて、どんな服を着ていて、どんな髪型で、
右手には何を持っていて左手には何を持っていて、
家来に誰と誰を連れていて、得意技は何で・・・
と、まるでいまどきの格闘ゲームのキャラクターみたいだ。
そしてそれぞれが、マントラというおまじないの言葉を持っている。
唱えたら最強技が出せる…とでも思っておきゃあいいか。
そのマントラはサンスクリットの発音を漢字に置き換えたものが
日本に伝わっている。
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶
ぎゃーてー ぎゃーてー はらぎゃーてー はらそーぎゃーてー ぼーじーそわか
なんていうのも、そういうものの一つだ。
これが、もうちょっとサンスクリットらしい音にすると、こういうことになる。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディスヴァーハー
そして、おまじないなんてものは、その発音で言わないと効き目が無い。
音そのものが大事なのだ。
そこんとこに私は興味を持ってしまった。
ひょっとして、ちゃんと発音すると妙なる響きを放つのではないか、と。
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