犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

葉切り瞑想

2022年11月05日 | うつろい
[あらすじ] 高く伸び過ぎた庭木をどんどん伐っている。

今年、庭で野菜を作り始めた。
すると、庭の日当たりが足りなく感じ始めた。

夏の暑いのがイヤなので、日陰を作っていたのだが、
どうも日陰が多い過ぎる。

あと、南隣の家との間には、目隠しのために
木を高く伸ばしている。
隣家の2階の北端にトイレが有る。
私は子どもの頃、隣家に何度も遊びに行ったので知っているのだが、
南北の廊下の北の突き当りの脇にトイレが有る。
トイレに行く人は、突き当りに有る窓から我が家のほうを見下ろして、
それからトイレに入る。
この、トイレに入る人の目線を亡父だか母だかがイヤがって、
木を高く伸ばしたのだ。

木を上に伸ばすために、亡父は枝を払った。
並べて植えられた珊瑚樹は、だから、枝分かれせずにヒョローッと伸びている。
今それが年老いて、古く高い木になっていて、危険である。
高い所ばかりに枝が有るので、余計に風に弱い形だ。

この珊瑚樹の高さを詰めるために、
5メートルくらい有る幹を3メートルくらいの所で伐る作業をしている。



切り落とした太枝から、小枝を払う。
ちまちまと、剪定鋏で切り続ける。
手袋をはめていても、手には水膨れができるし、痛くなるくらい疲れる。

この作業が苦手だ。
と、ここでも書いたことが有る。

それが、この頃になって変わってきた。
あまり苦にならなくなってきた。

手はやっぱり疲れるし水膨れもできるし痛いのだが、
雑念が消えるようになってきた。

地面の草取りは以前から好きで、
無心に草を取り続けることができた。
ハッと気付くと1時間くらいすぐに経っている。
草取り瞑想できている。

その感じが、小枝を払う作業でもできるようになってきた。
これはいい。
疲労感が出ない。

疲労感なんて、脳みその創り出すものなので、
気分良く楽しく作業できれば、感じないのだ。

たいへんな庭仕事も、これなら疲れない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 珊瑚樹を切る | トップ | 木を切る »

コメントを投稿

うつろい」カテゴリの最新記事