犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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年頭のなんちゃら きっかけ篇

2019年01月28日 | 椰子の実の中
同居母85歳パーキンソン病要介護2認知症状少々が、
この頃ひとりでベッドに横たわることができないことがでてきた。
日常動作は無意識の運動の寄せ集めだ。

ベッドに腰掛けた状態から横たわる時、
右手を外について、上体を左に開きながら左手を体の左側について、
それと同時に左脚から先にベッドに上げて、右脚はそれについていって、
上体を起こすように支えていた腹筋を緩めていって、
同時に股関節も伸ばしていって、
枕に頭が付いたら頭を支えていた首や背中の筋肉を緩めて、
膝も伸ばしたら
仰向けに寝られた、
なんていちいち考えながら動くことは、まず無い。

こういう連携動作は、無意識の運動としてできあがっている。
それが、やりにくくなるのがパーキンソン病である。
また、筋力が低下しているのも、もちろん関係している。
それで、ひとりでベッドに横たわる動作ができなくなってきている。



介護士さんが来ているタイミングなら、手伝ってもらうこともある。
薬が効いている時間だと、たいてい、ひとりで寝られる。
どんなタイミングだったか忘れてしまったが、私が介助したことがあった。

右側はベッドだから、倒れても安全だし痛いことも無いから、
安心して右側に倒れてください。
と言いながら、せーの、で両脚を持ち上げる。
こうすると、お尻を支店にしてコロリと横になることができる。

何度かやっている事だし、介護士さんにもやってもらっている事なのだが、
私がやると、苦情を言う。
「立場の違いということを痛感した。」と言う。
怖い、というのだ。
ベッドが有るから大丈夫だから、と言ったところで、怖いもんは怖い。
断固怖い。怖いっつったら怖いんだもん。



人にゆだねる、ということは大切だと思う。
それは、人を信頼するということでもあるし、
自分ではできない事はできないと認めることでもある。

自分ではできない事も、人の手を借りるとできるようになる。
「できる」という結果は素晴らしい。

自分の思いにとらわれていると、その「できる」という結果を得そびれてしまう。
人にゆだねるということと、甘えるということは、似ているようで実は対極にある。



では自分はどうだろう。
と、例によって自省してみる。

私はこういう性格だとか、私はこんな特徴があるとか、私はこれが苦手だとか、
自分の思いにとらわれていると、「できる」はずの事もできなくなっているのだろう。



よし。
では、やってみよう。
何をやってみようか?

つづく


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