[あらまし] 母85歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。
同居。
いくつになっても我が子は子ども。
そうでしょうねえ。
既に10年くらい前に、母は「思い出に生きる。」と言い切っていた。
今現在の現実の中に生活するより、美しいとこどりの思い出を糧に
暮らしているほうが、楽しいのか。
美しい思い出を持っているのは、幸せなことだ。
いくつになっても我が子は子ども。
今でも時々、なんと言おうか、叱られるというほどのことではないが、
たしなめられるとでも言おうか、いや、注意される。
学習院育ちの母にとって、言葉遣いは大事だ。
私も言葉遣いを注意されることがある。
自分の耳に心地良くないからだ。
とは言え、私は昭和前半の学習院で育っていないので、
やっぱり言葉遣いは違う。
言葉だけでなく、気風も違う。
母が私に言うことは、大概、自分の規範である。
自分自身の規範を、自分の子も守るべきか。
明治の親は、親が絶対であった。
母の親はそうやって子育てをした。
ところが私は昭和後半の子どもであるから、
もちっと近代的である。
とは言え、子どもの間は親の言うことは信じていた。
今なら、親の言うことは自分自身の規範であり、でしかない、
ということが分かるけれど、子どもの頃は守らねばいけないと思っていた。
ケアマネさんは「須山さんは優等生の返事しかしない。」と言ったが、
優等生の返事しかしない人は、自分の子にも優等生の返事を求める。
そうやって私も優等生に育てられたと思う。
中学高校を私立に通ったので、そういう優等生は身の周りにもいた。
中年に至ってみると、優等生的な人が優等生的なままに生活していたりするのを見る。
転機は無かったのか。
※
自分のペースとか、自分の考え方とか、自分の生活スタイルとか、
自分の食習慣などを、築いてきた。
それは、母のものとずいぶん異質である。
例えば、母は朝食はトーストにマーガリンとジャムを塗って
ハムエッグか何かを召し上がる。
お昼もしっかり食べ、夕食もしっかり食べ、おやつは常に何か食べる。
私は朝は食べず、昼は蕎麦のみか何かシンプルに、夜は蛋白質中心につまんで酒を飲む。
お菓子や、甘い味付けのおかずや、夜にご飯ものなどを勧めてくるのが、困る。
何度も説明したが、受け止めない。
食べ物をひとに勧めることは良いことだ。以上。
その先は何も無い。
食事の違いは、ほんの一例に過ぎない。
※
子どもの頃から、気付かずに抑え込まれていたのだ、とあらためて思う。
何度もそう思うことが有ったが、ここ最近、またあらためて思う。
というのも、反発だとか離れることなどで、支配とか抑圧とかを避けてきたが、
母の世話に手がかかるようになって、距離が縮まったことで、
避けがたくなってきているからだろう。
そうしたら、身体が反応した。
私は、子どもの頃に冷え性で、手足が冷たかったり、十代から肩こりだったり、
生理痛がひどかったり、風邪を引き易かったり、腰が痛かったりした。
それを、自分で身体について勉強して、解消し、
そこそこ体調の良い中年になることができた。
それが、この頃、ひどく手足が冷えて、顔がのぼせるのだ。
子どもの頃、学校の壁に顔をくっつけて、頬っぺたの熱を冷ましていたのを思い出す。
あの頃ののぼせにそっくりだ。
抑圧された気持ちが、冷えのぼせで身体に表れて、訴えている。
今の生活は続けたくない、と。
任せろ自分。私がついているぜ。
同居。
いくつになっても我が子は子ども。
そうでしょうねえ。
既に10年くらい前に、母は「思い出に生きる。」と言い切っていた。
今現在の現実の中に生活するより、美しいとこどりの思い出を糧に
暮らしているほうが、楽しいのか。
美しい思い出を持っているのは、幸せなことだ。
いくつになっても我が子は子ども。
今でも時々、なんと言おうか、叱られるというほどのことではないが、
たしなめられるとでも言おうか、いや、注意される。
学習院育ちの母にとって、言葉遣いは大事だ。
私も言葉遣いを注意されることがある。
自分の耳に心地良くないからだ。
とは言え、私は昭和前半の学習院で育っていないので、
やっぱり言葉遣いは違う。
言葉だけでなく、気風も違う。
母が私に言うことは、大概、自分の規範である。
自分自身の規範を、自分の子も守るべきか。
明治の親は、親が絶対であった。
母の親はそうやって子育てをした。
ところが私は昭和後半の子どもであるから、
もちっと近代的である。
とは言え、子どもの間は親の言うことは信じていた。
今なら、親の言うことは自分自身の規範であり、でしかない、
ということが分かるけれど、子どもの頃は守らねばいけないと思っていた。
ケアマネさんは「須山さんは優等生の返事しかしない。」と言ったが、
優等生の返事しかしない人は、自分の子にも優等生の返事を求める。
そうやって私も優等生に育てられたと思う。
中学高校を私立に通ったので、そういう優等生は身の周りにもいた。
中年に至ってみると、優等生的な人が優等生的なままに生活していたりするのを見る。
転機は無かったのか。
※
自分のペースとか、自分の考え方とか、自分の生活スタイルとか、
自分の食習慣などを、築いてきた。
それは、母のものとずいぶん異質である。
例えば、母は朝食はトーストにマーガリンとジャムを塗って
ハムエッグか何かを召し上がる。
お昼もしっかり食べ、夕食もしっかり食べ、おやつは常に何か食べる。
私は朝は食べず、昼は蕎麦のみか何かシンプルに、夜は蛋白質中心につまんで酒を飲む。
お菓子や、甘い味付けのおかずや、夜にご飯ものなどを勧めてくるのが、困る。
何度も説明したが、受け止めない。
食べ物をひとに勧めることは良いことだ。以上。
その先は何も無い。
食事の違いは、ほんの一例に過ぎない。
※
子どもの頃から、気付かずに抑え込まれていたのだ、とあらためて思う。
何度もそう思うことが有ったが、ここ最近、またあらためて思う。
というのも、反発だとか離れることなどで、支配とか抑圧とかを避けてきたが、
母の世話に手がかかるようになって、距離が縮まったことで、
避けがたくなってきているからだろう。
そうしたら、身体が反応した。
私は、子どもの頃に冷え性で、手足が冷たかったり、十代から肩こりだったり、
生理痛がひどかったり、風邪を引き易かったり、腰が痛かったりした。
それを、自分で身体について勉強して、解消し、
そこそこ体調の良い中年になることができた。
それが、この頃、ひどく手足が冷えて、顔がのぼせるのだ。
子どもの頃、学校の壁に顔をくっつけて、頬っぺたの熱を冷ましていたのを思い出す。
あの頃ののぼせにそっくりだ。
抑圧された気持ちが、冷えのぼせで身体に表れて、訴えている。
今の生活は続けたくない、と。
任せろ自分。私がついているぜ。
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