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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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冷えのぼせ

2018年12月16日 | 介護ウチのバヤイ
[あらまし] 母85歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。
同居。


いくつになっても我が子は子ども。
そうでしょうねえ。
既に10年くらい前に、母は「思い出に生きる。」と言い切っていた。
今現在の現実の中に生活するより、美しいとこどりの思い出を糧に
暮らしているほうが、楽しいのか。
美しい思い出を持っているのは、幸せなことだ。

いくつになっても我が子は子ども。
今でも時々、なんと言おうか、叱られるというほどのことではないが、
たしなめられるとでも言おうか、いや、注意される。
学習院育ちの母にとって、言葉遣いは大事だ。
私も言葉遣いを注意されることがある。
自分の耳に心地良くないからだ。

とは言え、私は昭和前半の学習院で育っていないので、
やっぱり言葉遣いは違う。
言葉だけでなく、気風も違う。

母が私に言うことは、大概、自分の規範である。
自分自身の規範を、自分の子も守るべきか。
明治の親は、親が絶対であった。
母の親はそうやって子育てをした。

ところが私は昭和後半の子どもであるから、
もちっと近代的である。
とは言え、子どもの間は親の言うことは信じていた。
今なら、親の言うことは自分自身の規範であり、でしかない、
ということが分かるけれど、子どもの頃は守らねばいけないと思っていた。

ケアマネさんは「須山さんは優等生の返事しかしない。」と言ったが、
優等生の返事しかしない人は、自分の子にも優等生の返事を求める。
そうやって私も優等生に育てられたと思う。

中学高校を私立に通ったので、そういう優等生は身の周りにもいた。
中年に至ってみると、優等生的な人が優等生的なままに生活していたりするのを見る。
転機は無かったのか。



自分のペースとか、自分の考え方とか、自分の生活スタイルとか、
自分の食習慣などを、築いてきた。

それは、母のものとずいぶん異質である。
例えば、母は朝食はトーストにマーガリンとジャムを塗って
ハムエッグか何かを召し上がる。
お昼もしっかり食べ、夕食もしっかり食べ、おやつは常に何か食べる。
私は朝は食べず、昼は蕎麦のみか何かシンプルに、夜は蛋白質中心につまんで酒を飲む。

お菓子や、甘い味付けのおかずや、夜にご飯ものなどを勧めてくるのが、困る。
何度も説明したが、受け止めない。
食べ物をひとに勧めることは良いことだ。以上。
その先は何も無い。

食事の違いは、ほんの一例に過ぎない。



子どもの頃から、気付かずに抑え込まれていたのだ、とあらためて思う。
何度もそう思うことが有ったが、ここ最近、またあらためて思う。
というのも、反発だとか離れることなどで、支配とか抑圧とかを避けてきたが、
母の世話に手がかかるようになって、距離が縮まったことで、
避けがたくなってきているからだろう。

そうしたら、身体が反応した。

私は、子どもの頃に冷え性で、手足が冷たかったり、十代から肩こりだったり、
生理痛がひどかったり、風邪を引き易かったり、腰が痛かったりした。
それを、自分で身体について勉強して、解消し、
そこそこ体調の良い中年になることができた。

それが、この頃、ひどく手足が冷えて、顔がのぼせるのだ。
子どもの頃、学校の壁に顔をくっつけて、頬っぺたの熱を冷ましていたのを思い出す。
あの頃ののぼせにそっくりだ。

抑圧された気持ちが、冷えのぼせで身体に表れて、訴えている。
今の生活は続けたくない、と。
任せろ自分。私がついているぜ。


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