特別養護老人ホームに入居している89歳の母を、
3ヶ月に一度、大学病院に連れて行く。
血液検査の結果を見て、
処方が変わらないことを確認する。
それだけのためだ。
午前9時にホームに迎えに行って、
12時前には送り返す。
母はしゃべりたい事があれこれ有るようだが、
病院に行くということで精一杯で終わる。
緊張するとパーキンソン病の症状が強く出るのだ。
そして、別れ際になって、
「近々、会って話しましょう。」などと言い出して、
私とケアマネージャーさんをびっくりさせる。
※
血液検査の結果が出て診察を受けるまで、
1時間あまりの待ち時間が有る。
その日、私は道元に関する本を読んでいた。
日本の禅宗の源の人だ。
「そう言えば、井上ひさしが道元のことを書いてたよねえ?」
母は井上ひさし作品が好きだった。
自宅で最後の頃まで手元に置いていたのは、井上作品だった。
「そうなの?新しい作品?」
井上ひさしが死んで何年も経つ。
「去年くらいに何か若い頃の原稿が発見されたっていう話も有るけど、
それじゃなくて。
ああっ、思い出した、『道元の冒険』だ。」
「あら。あなたは持っているの?読んだら感想を聞かせてね。」
『道元の冒険』を持っているのは母で、
感想を聞かせて欲しかったのは私のほうなんである。
※
病院にいるので、思い出した。
「今年は山ちゃんがたいへんだったんだよ。
春には腹水が溜まって、夏には新型コロナに罹って、
その後にはのどに膿が溜まる病気になって。
大学病院に入院して、切って膿を出してもらったんだ。」
「山ちゃんて?」
「ウチによくホルンの練習をしに来てた子だよ。」
「あらそうなの。写真を見れば思い出せるかも知れないけど。
楽器は何?」
「ホルンよ。」
山ちゃんはホルンの他にもベースを弾き、
私とコンビで演奏をしている。
我が家にも何度となく来ている。
色白で小柄でぽっちゃりめな山ちゃんのことを、
母は「こぶたちゃん」とカゲで呼んでいた。
母は色白で小柄でぽっちゃりだ。
こぶたの親玉のクセに何を言う。
※
あんなになじみの有る山ちゃんを忘れているとは。
マズいと思い、私は話題を変えてみた。
母の父親の話をしよう。
「マサカズさんは何人兄弟だったの?」
「9人兄弟。
マサカズさんが三番目、トラシロウさんが四番目。
で、五番目が(略)で、ケチケチおじさんが末っ子。」
祖父の兄弟のうち、ケチケチおじさんだけは
私も会ったことが有る。
なるほど。
やはり、親の話はよく憶えているようだ。
これからも、会うたびに親戚の話をさせよう。
※
自宅の蔵書を整理している。
本だらけの中に、物も有る。
バッグが出てきた。
わりときれいだ。
女物の皮のバッグで、ベージュだ。
ベージュのバッグと言えば、山ちゃんである。
山ちゃんはバッグとなるとベージュのものを持つ。
使ってもらえないだろうか。
聞いてみた。
「あっ、ちょうどいい大きさ。」
ベージュのバッグを持ってるところにベージュのバッグをあげるってのも
どうかと思ったんだけど?
「んーでも結局選ぶのベージュなんですよね。」
あーわかる。
好みで選ぶと持ち物や服って偏る。
※
バッグの中に何か入っている。
香水と、アクセサリーと、ポリ袋。
黒い小さいポリ袋の口が縛ってある。
持つと、重い。
「小銭ですよ、これ」と山ちゃんが言う。
あ、ほんとだ。
全部500円玉だったらな!
ザラ――――
500円玉どころか、円ですらなかった。
「どこの国のお金ですか?これ」
うーん。いろんな国。
ベルギー、オランダ・・・
これはゆっくり見て楽しもう。
あっ、円が一つ。
一円玉。
昭和四十四年。私の生まれ年だ。誕生記念コインだ。
値打ちを見出すこともできなくはない。
※
年を取っていった時、
私は最後に誰のことを憶えているのだろう。
結局、親なのだろうか。
いやむしろ、自分にとって
一番憶えていたい人って、誰だろう?
3ヶ月に一度、大学病院に連れて行く。
血液検査の結果を見て、
処方が変わらないことを確認する。
それだけのためだ。
午前9時にホームに迎えに行って、
12時前には送り返す。
母はしゃべりたい事があれこれ有るようだが、
病院に行くということで精一杯で終わる。
緊張するとパーキンソン病の症状が強く出るのだ。
そして、別れ際になって、
「近々、会って話しましょう。」などと言い出して、
私とケアマネージャーさんをびっくりさせる。
※
血液検査の結果が出て診察を受けるまで、
1時間あまりの待ち時間が有る。
その日、私は道元に関する本を読んでいた。
日本の禅宗の源の人だ。
「そう言えば、井上ひさしが道元のことを書いてたよねえ?」
母は井上ひさし作品が好きだった。
自宅で最後の頃まで手元に置いていたのは、井上作品だった。
「そうなの?新しい作品?」
井上ひさしが死んで何年も経つ。
「去年くらいに何か若い頃の原稿が発見されたっていう話も有るけど、
それじゃなくて。
ああっ、思い出した、『道元の冒険』だ。」
「あら。あなたは持っているの?読んだら感想を聞かせてね。」
『道元の冒険』を持っているのは母で、
感想を聞かせて欲しかったのは私のほうなんである。
※
病院にいるので、思い出した。
「今年は山ちゃんがたいへんだったんだよ。
春には腹水が溜まって、夏には新型コロナに罹って、
その後にはのどに膿が溜まる病気になって。
大学病院に入院して、切って膿を出してもらったんだ。」
「山ちゃんて?」
「ウチによくホルンの練習をしに来てた子だよ。」
「あらそうなの。写真を見れば思い出せるかも知れないけど。
楽器は何?」
「ホルンよ。」
山ちゃんはホルンの他にもベースを弾き、
私とコンビで演奏をしている。
我が家にも何度となく来ている。
色白で小柄でぽっちゃりめな山ちゃんのことを、
母は「こぶたちゃん」とカゲで呼んでいた。
母は色白で小柄でぽっちゃりだ。
こぶたの親玉のクセに何を言う。
※
あんなになじみの有る山ちゃんを忘れているとは。
マズいと思い、私は話題を変えてみた。
母の父親の話をしよう。
「マサカズさんは何人兄弟だったの?」
「9人兄弟。
マサカズさんが三番目、トラシロウさんが四番目。
で、五番目が(略)で、ケチケチおじさんが末っ子。」
祖父の兄弟のうち、ケチケチおじさんだけは
私も会ったことが有る。
なるほど。
やはり、親の話はよく憶えているようだ。
これからも、会うたびに親戚の話をさせよう。
※
自宅の蔵書を整理している。
本だらけの中に、物も有る。
バッグが出てきた。
わりときれいだ。
女物の皮のバッグで、ベージュだ。
ベージュのバッグと言えば、山ちゃんである。
山ちゃんはバッグとなるとベージュのものを持つ。
使ってもらえないだろうか。
聞いてみた。
「あっ、ちょうどいい大きさ。」
ベージュのバッグを持ってるところにベージュのバッグをあげるってのも
どうかと思ったんだけど?
「んーでも結局選ぶのベージュなんですよね。」
あーわかる。
好みで選ぶと持ち物や服って偏る。
※
バッグの中に何か入っている。
香水と、アクセサリーと、ポリ袋。
黒い小さいポリ袋の口が縛ってある。
持つと、重い。
「小銭ですよ、これ」と山ちゃんが言う。
あ、ほんとだ。
全部500円玉だったらな!
ザラ――――
500円玉どころか、円ですらなかった。
「どこの国のお金ですか?これ」
うーん。いろんな国。
ベルギー、オランダ・・・
これはゆっくり見て楽しもう。
あっ、円が一つ。
一円玉。
昭和四十四年。私の生まれ年だ。誕生記念コインだ。
値打ちを見出すこともできなくはない。
※
年を取っていった時、
私は最後に誰のことを憶えているのだろう。
結局、親なのだろうか。
いやむしろ、自分にとって
一番憶えていたい人って、誰だろう?
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