犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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春の交通身の安全運動 視線篇

2019年04月18日 | のりもの
今年の春の交通安全運動は、5月11日~20日だという。
なんだ。
いつもは4月だ。
あれか、元号が変わることで何か今の時期には難しいのか。そういうことか?

5月の中旬なんか春じゃない。
もう初夏ですがな。
初夏の交通安全運動と言ってしまえよ。



なんか視線を感じる。
という経験は誰しも有るのではないだろうか。
果たして、顔を上げてみると、誰かと目が合う。
何見てたのよ。

その視線の元の誰かが、自分の視野に入っていなかったとしても、
なぜか視線は感じる。
テレパシーか、目力か。何か。

これを気のせいとかただの偶然とかと片付けるのは
雑だ。

さて、ほんじゃそれはなんなのよ、という話はともかく措いておく。
今日のテーマはそういう感覚的な問題じゃなくて、交通安全なんですものよ。



広い道路の右側の歩道を歩いている。
右前方の脇道から、車が出て来る。

この時、歩行者としては、運転手をよく見たほうが良い。

運転手は、広い道路を走る車の流れを見て、途切れることが有ればすかさず出ようと、
自分の右のほうを注視している。
左なんか見ちゃいない。

という場合、
車が一時停止しているからと、車の前を横切って行こうとすると、危険だ。
この運転手は、自分の行きたい道に他の車が無ければ、ひょいと前進しかねない。
そうなったら、車と歩行者はぶつかる。



そもそも、脇道から広い道に出る際に、運転手は片一方に顔を向けて注視するのは危険だ。
反対側がおろそかになる。
顔は正面で視野を広く持つか、それで見にくい場所ならば、
右見て左見てを細かく繰り返すか、しないと危険だ。

歩行者で、運転席の人物を見ない人がいるが、
これは本当に危険だ。
そんなに信頼して良いものではない。
自分に気付いてくれているだろう、と思って車の前を横切るのだろうけれど、
運転手が常に歩行者に気付いているかと言ったら、そんなこたあ無い。

歩行者は、自分の存在を積極的に自発的に、運転手に知らせるほうが良い。



「手を上げる」というのが有る。
でも、そっぽを向いている運転手に手を上げてもなんもならん。
運転手がそっぽを向いているという前提で考えたほうがいい。

では「声をかける」か。
車の窓を閉め切っていたら。
車の中で音楽をかけていたら。
運転手の耳が遠かったら。
声がちいこかったら。
うまくいかん。

そんな場合におすすめなのが
「視線を送る」なのだ。
見るべし!
じろーっと見るべし!
運転手が気付くまで見るべし!

運転手と目が合ったら、安全と見て車の前を横切ってもいいだろう。



ほんまかいな。
ほんとに視線で人は振り向くのだろうか。

実験してみようか。
街なかとか、公園とか、何かの待合室とか、電車の中とかで、
誰かをじーっと見てみる。
その人は視線に気付いて振り向くだろうか。
そして目が合うだろうか。

・・・

私だったら、
そんなにこっちをじーっと見ている人がいることに気付いたら、
そっちを見ないようにして、そっとその場を離れるな。

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