[あらすじ] 10年程前に新宿は太宗寺の盆踊りからご趣味が始まったよ。
今年は雨続きで都内の盆踊りに行っていないし、
大好きな巣鴨とげぬき地蔵尊の盆踊りが休止でがっくし。
こんな時こそ、地元の盆踊りに行くべし。
というわけで、先日は隣町である三鷹市中原・新川の鎮守、
中嶋神社の盆踊りに行った。
そして昨夜は、やはり三鷹市の野崎八幡へ。
私の住む深大寺町は、調布市の中でも三鷹市に囲まれているので、
そう遠くはないのだ。
以前から行きたいと思っていた所だ。
※
櫓の上に踊り手が登るのは、特定の曲だけ。というのが珍しい。
太鼓を叩きたい小学生が20人以上いて、曲ごとにちゃんとシフトが組んであり、
その子たちは櫓の四隅のうち三つの角に置いた太鼓を叩く。
踊りの輪はどの曲でも途切れず、曲によっては二重になることも有る。
揃いの浴衣は、JA東京むさしの人たちか。
※
私がいる1時間半ほどの間にかかった曲。
おこさ節
フジヤマニッポン
少年八木節
沖縄音頭
お手をつないで
花笠おどり
松ノ木小唄
チャンチキおけさ
1足す1の音頭
東京むさし音頭
この他に、
火の国太鼓2回、
大東京音頭2回、
炭坑節1回がかかった。
1時間半いて東京音頭が1度もかからないというのは、非常に珍しい。
最後の『東京むさし音頭』というのはJA東京むさしの曲だ。
振りが多くておぼえきれずに帰ってきてしまったが、
種を播く振りなどが有って楽しいので、再挑戦したい。
こういうご当地曲は、ありきたりの曲を無名の歌手が唱って
ありきたりの振り付けを組み合わせたような曲でありがちなのだが、
これはちょいと凝っていると思った。
郊外の神社の小さな盆踊りにしては、
様々な曲がかかる。
誰か良い先生がいるのかもしれない。
※
八木節が終わったところで、前のおねえさん(60代女性)が話しかけてくれた。
「お上手ね。」
いやいや、後ろなのに、見えないでしょう!
「後ろも見ちゃうのよ。」
すごい!
深大寺南町のほうに住んでいるので、初めて来ました。2㎞くらいかな。
「次は沖縄音頭よ。」
初めてなんです。
「あら、いい踊りよ。あの方が上手よ。逆回り。」
じゃあ、こちら側に入りますね。
盆踊りは多くの曲が反時計回りだが、ときに時計回りの曲がある。
花笠音頭やチャンチキおけさなどは、反時計回りの中に時計回りが混じる。
こういう曲なら、後ろの人が前になることも有るので、
踊りっぷりを見ることもあり得るが、
進行方向の変わらない八木節で後ろにいた私に「上手ね」と言うのは、
後頭部にも視覚器官を持っている証拠である。(怪談)
※
花笠おどりが終わったところで、前のおねえさん(推定80歳女性)が話しかけてくれた。
「今来たところなの。」
次は火の国太鼓です、とアナウンスが入ると、ぱァッとお顔が輝いた。
「私が子どもを育ててた頃からかかる曲だわ。」
そうですかー。
「今はここでもやってるけど、その頃は坂下のりゅうげんじに行ったの。」
ええっ!遠いじゃないですか。
龍源寺と言えば、東八道路をずっと行って、並走してきた人見街道との交差点から
多磨霊園の方へハケの坂を下ってちょっと行ったところに在る。
後で地図で確かめたら、野崎八幡からやはり2㎞くらいだ。
東八道路は、ずーっと工事していたが、今年ついに東側が開通した。
オリンピックに向けてのラストスパートだったのだろう。
外郭環状とも繋ごうってことだな。
道路の計画自体は1946年(昭和21年)だという。
そして、昭和30年代から工事が始まったそうだ。
東八道路という名称が告示されたのは昭和59年だという。
私が子どもの頃は「30メートル道路」と呼んでいた。
おねえさんが子育てをしていたのは昭和40年代頃だろうか。
その頃、野崎~基督教大裏門あたりが開通していたのかどうか、わからない。
既存の人見街道を歩いて行ったのだろうか。
今でこそ東八道路沿いは郊外特有の大型店舗も増えた。
しかし、人見街道には今も武蔵野の屋敷林の風景が見られ、往時が偲ばれる。
※
夏の夕暮れの道を、子どもを連れて、太鼓の聞こえる方へ、2㎞歩く。
坂の上から、お寺の提灯や櫓の灯りが見える。
子どもらが駆け出す。
今年は雨続きで都内の盆踊りに行っていないし、
大好きな巣鴨とげぬき地蔵尊の盆踊りが休止でがっくし。
こんな時こそ、地元の盆踊りに行くべし。
というわけで、先日は隣町である三鷹市中原・新川の鎮守、
中嶋神社の盆踊りに行った。
そして昨夜は、やはり三鷹市の野崎八幡へ。
私の住む深大寺町は、調布市の中でも三鷹市に囲まれているので、
そう遠くはないのだ。
以前から行きたいと思っていた所だ。
※
櫓の上に踊り手が登るのは、特定の曲だけ。というのが珍しい。
太鼓を叩きたい小学生が20人以上いて、曲ごとにちゃんとシフトが組んであり、
その子たちは櫓の四隅のうち三つの角に置いた太鼓を叩く。
踊りの輪はどの曲でも途切れず、曲によっては二重になることも有る。
揃いの浴衣は、JA東京むさしの人たちか。
※
私がいる1時間半ほどの間にかかった曲。
おこさ節
フジヤマニッポン
少年八木節
沖縄音頭
お手をつないで
花笠おどり
松ノ木小唄
チャンチキおけさ
1足す1の音頭
東京むさし音頭
この他に、
火の国太鼓2回、
大東京音頭2回、
炭坑節1回がかかった。
1時間半いて東京音頭が1度もかからないというのは、非常に珍しい。
最後の『東京むさし音頭』というのはJA東京むさしの曲だ。
振りが多くておぼえきれずに帰ってきてしまったが、
種を播く振りなどが有って楽しいので、再挑戦したい。
こういうご当地曲は、ありきたりの曲を無名の歌手が唱って
ありきたりの振り付けを組み合わせたような曲でありがちなのだが、
これはちょいと凝っていると思った。
郊外の神社の小さな盆踊りにしては、
様々な曲がかかる。
誰か良い先生がいるのかもしれない。
※
八木節が終わったところで、前のおねえさん(60代女性)が話しかけてくれた。
「お上手ね。」
いやいや、後ろなのに、見えないでしょう!
「後ろも見ちゃうのよ。」
すごい!
深大寺南町のほうに住んでいるので、初めて来ました。2㎞くらいかな。
「次は沖縄音頭よ。」
初めてなんです。
「あら、いい踊りよ。あの方が上手よ。逆回り。」
じゃあ、こちら側に入りますね。
盆踊りは多くの曲が反時計回りだが、ときに時計回りの曲がある。
花笠音頭やチャンチキおけさなどは、反時計回りの中に時計回りが混じる。
こういう曲なら、後ろの人が前になることも有るので、
踊りっぷりを見ることもあり得るが、
進行方向の変わらない八木節で後ろにいた私に「上手ね」と言うのは、
後頭部にも視覚器官を持っている証拠である。(怪談)
※
花笠おどりが終わったところで、前のおねえさん(推定80歳女性)が話しかけてくれた。
「今来たところなの。」
次は火の国太鼓です、とアナウンスが入ると、ぱァッとお顔が輝いた。
「私が子どもを育ててた頃からかかる曲だわ。」
そうですかー。
「今はここでもやってるけど、その頃は坂下のりゅうげんじに行ったの。」
ええっ!遠いじゃないですか。
龍源寺と言えば、東八道路をずっと行って、並走してきた人見街道との交差点から
多磨霊園の方へハケの坂を下ってちょっと行ったところに在る。
後で地図で確かめたら、野崎八幡からやはり2㎞くらいだ。
東八道路は、ずーっと工事していたが、今年ついに東側が開通した。
オリンピックに向けてのラストスパートだったのだろう。
外郭環状とも繋ごうってことだな。
道路の計画自体は1946年(昭和21年)だという。
そして、昭和30年代から工事が始まったそうだ。
東八道路という名称が告示されたのは昭和59年だという。
私が子どもの頃は「30メートル道路」と呼んでいた。
おねえさんが子育てをしていたのは昭和40年代頃だろうか。
その頃、野崎~基督教大裏門あたりが開通していたのかどうか、わからない。
既存の人見街道を歩いて行ったのだろうか。
今でこそ東八道路沿いは郊外特有の大型店舗も増えた。
しかし、人見街道には今も武蔵野の屋敷林の風景が見られ、往時が偲ばれる。
※
夏の夕暮れの道を、子どもを連れて、太鼓の聞こえる方へ、2㎞歩く。
坂の上から、お寺の提灯や櫓の灯りが見える。
子どもらが駆け出す。
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