犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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におい

2018年09月08日 | 日々
におうにおわないと、くさいくさくないは、別のことだ。
特定のにおいを不快と感じる理由は、何なのだろう。

犬なんぞ人間の万倍だかなんだかの嗅覚を持つと言うが、
他人のクソに鼻がくっ付かんばかりにして深々と嗅いでいる。
よくにおいが感じ取れないから深く嗅いでいるわけではなさそうだ。
より詳しく嗅ぎ取ろうとしている様子である。

いやじゃないのか。

嗅覚が鋭くて、においに好き嫌いが有ると、たいへんか。
いや、メインの感覚だからだろうか。

人間の感覚のうち、情報収集にもっとも働いているのは視覚だろう。
たしかに、視覚に好き嫌いは無さそうな気がする。

私は嗅覚はまあまあ良いほうだと思うが、嫌いなにおいも多い。
街ですれ違う人の煙草のヤニの重なったにおい、
ある種の香水のにおいや石鹸のにおいなどは吐き気を催す。
一方でシンナーだのアクリル溶剤だののにおいはへいチャラだ。

視覚にそういう好き嫌いは無い。
まっすぐな線を見るのは苦手とか、この色を見ると咳き込んでしまうとかいった
ことは、無い。
子どもの頃、高速道路でトンネルに入ると、特有のオレンジ色のライトに照らされて
車のシートが妙な色に変化して見えた。
それがちょっとオエッとなったが、車酔いとの境目は判然としない。



においは記憶される。
そして、ふっと思い出す。

今もたまに、「引っ越す前に通っていた幼稚園でのお弁当の時間のにおい」
というのを思い出す瞬間が有る。
意識をしたら、なんとか少し思い出すことができる。
しかし、嗅いだような気がするように思い出す、というのは
本当にふとした瞬間だ。
「あれ?今、幼稚園のお弁当の時間のにおいがした」と感じるのだ。

そういう時、現実に漂ってきたかすかなにおいがきっかけになっているのか
どうか、これまた分からない。
においを感じた、と思っている時点で、それがただ感覚によるものなのか、
実際にそこに有るにおいを感じ取ったものなのか、判別は付かないからだ。

「思い出す」という機能は面白い。
もう一度、視覚と比較してみる。
たとえば誰かの顔を思い出そうとしてみる。
思い出せる。
しかし、その時に細部の形を正確にいちいち再現しているわけでもない。
また、その顔が目の前に幻影のように浮かびあがっているわけでもない。

見えていないのに、見えたらどんな顔なのかということを、思い出すことができるのだ。
意識して思い出すことができた時のにおいと似ている。
どこか輪郭は曖昧だが、こんな感じのこれ、というのが特定できる。

幻覚を私は見たことが無いのだが、全く違った感覚で、
ありありと見えているとしか思えないということだ。
顔を思い出すのと、顔が見えたというのと、違う。

それでいくと、私のふとした瞬間に幼稚園のお弁当の時のにおいを思い出した、
というのは、においを思い出したと言うよりも、幻臭と言うべきなのかもしれない。



幻臭だかにおいの記憶だかどちらだか分からないのだが、
外出中、ふっと尿便のにおいを感じる時が有る。
ちょくちょく家で嗅ぐ事態になっているので、そんなことが起きるのだろう。
実物が無いのにわざわざにおうことも無かろうに。

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