しばらくほったらかしていた本を開く。
それは、ちょうど良いタイミングだったりする。
ここまで読んだけどほったらかした何年か前に
この部分を読んでもピンと来なかったかもしれない。
ピンと来そうに無いからほったらかしにしたのかもしれない。
※
抜粋する。
「あるものの形態とその振動周波数には直接的な関係があります。」
そりゃそうだな。
「人の胎内器官や組織系統を構成する多様な細胞は
どれも複雑な音声的振動周波数を発し、
ほかの細胞とのあいだで細胞レベルの複雑な共鳴ないし共振を起こしています。」
ま、そうかもな。
話は展開する。
「あらゆる勘定には、その振動的な性質に関係した音声のシグネチャー
(それ自体に固有の特徴的な痕跡やしるし)があります。」
そうくるか、なるほど。
心身一如、物質も精神もそーんなに違ったものではない。
物のありかたが心の状態を生み出したり、
心のありかたが物の状態に影響を与えたりする。
鍼灸師という立場で人の身に向かっていると、
それはごく当たり前のことと思う。
「その音声シグネチャーは、体の特定の領域に存在する細胞の
共鳴によって発せられます。
怒りは、多くの人が胸部の上方と両腕の表皮に近い部分で感じます。」
ふむふむ。
「感情の抑圧は健全なことではありません。」
「人が故意に感情を抑圧すると、その音声シグネチャーが
体内細胞組織の奥深くへと入りこんでいくのがわかります。」
「相当量の感情の共鳴振動がくり返し抑圧されていれば、
実際に肉体に否定的な影響が現れます。
肉体は、そうした表現されていない感情を
症状としてつくり出すようになるのです。」
そうです。
※
そして、解決方法へと話は進む。
「感情をより明確に理解するためには、
あなた自身をエネルギーと振動の入り交じった共鳴場として眺め、
感情に音声シグネチャーがあると認めることをお薦めします。」
まず認めるの、大事。
「音声シグネチャーは溜息、怒声、悲鳴、笑い声、
あるいは単なる雑音などとして、音で表現されうるものです。
それから、体内で感情がとどめられている領域に意識を向けて
その部分を包み込むようにします。
そうすることで、とどめられた感情の解放がうながされます。」
ふむふむ。
「ある特定の感情と、それがもたらすあなたの[感覚的反応]を思い起こしてください。
その感情を感じ、思い出すことができたら、力をゆるめ、
頭からつま先まで体じゅうの細胞のあいだにひろがる広大な宇宙を、
あなたの意識で包みます。
では、その感情が体のどこで体験されているかに意識を向け、
それを感じとってください。
かなり微細なものかもしれませんが、体内のどこかしらでその感情に反応する
共鳴振動が起こっているはずです。
その感情が存在するところに意識をもっていき、
大きく深く息を吸い込みます。
そして吐く息とともに、
あなた自身でその感情の音を出してみましょう。」
はい。
※
「これは論理的、思考的プロセスではなく、
自発的、直観的、かつ生物的なプロセスです。
もともと人間がごく自然にできることなのですが、
人によっては教育や育った環境のせいで、
この自然なプロセスが難しいものになっています。」
ああ、父親から「吐息つくな」と教育された母、
そのエピソードに教育されて一人の時も溜息をつかなくなっていた自分。
「子供は、騒いではいけない、静かにしなさいと諭されるまでは、
泣いたり笑ったり叫んだりといろいろな音を出して、
感じていることを気の向くままに表現します。
特に強く感情が反応するときに音声を発するというのは、
ごく自然な生物的な衝動です。」
そうやってオトナになって、社会の中で声もあげずに生活して、
肩がこったの腰が痛いの血圧が高いの頭痛が痛いの膝が痛いの
なんのかんのと人々は訴えている。
自分で治すことができる。
「なにか感情反応が生じてきたときには、
それを無視したり打ち消したりせず、
その感情反応を感じる体の部位に注意深く意識をもっていきます。
表出を求める音がおのずとわかる場合もあります。
そのときには(状況が許せば)あえてその音を出してみてください。
感情の音が出るにまかせるのです。
笑いや唸り、呻き、あるいはすすり泣きかもしれません。
叫びや悲鳴であったりもします。
音符で表せる音や音階のかたちをとるかもしれませんし、
音階が曖昧なトーニング(唱和)のような音かもしれません。」
「ここでもっとも重要なのは、自分の体験している感情に気づいて、
その感情の音声シグネチャーがあなたの声をとおして表現されるのを許し、
表に出してあげることです。
解放や浄化が感じられるまで、音を出しつづけるようにしてください。
以上が一つ目です。このやりかたはシンプルで効果も期待できます。」
※
最初に私から出たのは溜息であった。
これは音ならぬ音で、音になっていなかったのかもしれない。
不発?
それでもずいぶんスッキリする。
もっと知りたい方は『新・ハトホルの書』を。
それは、ちょうど良いタイミングだったりする。
ここまで読んだけどほったらかした何年か前に
この部分を読んでもピンと来なかったかもしれない。
ピンと来そうに無いからほったらかしにしたのかもしれない。
※
抜粋する。
「あるものの形態とその振動周波数には直接的な関係があります。」
そりゃそうだな。
「人の胎内器官や組織系統を構成する多様な細胞は
どれも複雑な音声的振動周波数を発し、
ほかの細胞とのあいだで細胞レベルの複雑な共鳴ないし共振を起こしています。」
ま、そうかもな。
話は展開する。
「あらゆる勘定には、その振動的な性質に関係した音声のシグネチャー
(それ自体に固有の特徴的な痕跡やしるし)があります。」
そうくるか、なるほど。
心身一如、物質も精神もそーんなに違ったものではない。
物のありかたが心の状態を生み出したり、
心のありかたが物の状態に影響を与えたりする。
鍼灸師という立場で人の身に向かっていると、
それはごく当たり前のことと思う。
「その音声シグネチャーは、体の特定の領域に存在する細胞の
共鳴によって発せられます。
怒りは、多くの人が胸部の上方と両腕の表皮に近い部分で感じます。」
ふむふむ。
「感情の抑圧は健全なことではありません。」
「人が故意に感情を抑圧すると、その音声シグネチャーが
体内細胞組織の奥深くへと入りこんでいくのがわかります。」
「相当量の感情の共鳴振動がくり返し抑圧されていれば、
実際に肉体に否定的な影響が現れます。
肉体は、そうした表現されていない感情を
症状としてつくり出すようになるのです。」
そうです。
※
そして、解決方法へと話は進む。
「感情をより明確に理解するためには、
あなた自身をエネルギーと振動の入り交じった共鳴場として眺め、
感情に音声シグネチャーがあると認めることをお薦めします。」
まず認めるの、大事。
「音声シグネチャーは溜息、怒声、悲鳴、笑い声、
あるいは単なる雑音などとして、音で表現されうるものです。
それから、体内で感情がとどめられている領域に意識を向けて
その部分を包み込むようにします。
そうすることで、とどめられた感情の解放がうながされます。」
ふむふむ。
「ある特定の感情と、それがもたらすあなたの[感覚的反応]を思い起こしてください。
その感情を感じ、思い出すことができたら、力をゆるめ、
頭からつま先まで体じゅうの細胞のあいだにひろがる広大な宇宙を、
あなたの意識で包みます。
では、その感情が体のどこで体験されているかに意識を向け、
それを感じとってください。
かなり微細なものかもしれませんが、体内のどこかしらでその感情に反応する
共鳴振動が起こっているはずです。
その感情が存在するところに意識をもっていき、
大きく深く息を吸い込みます。
そして吐く息とともに、
あなた自身でその感情の音を出してみましょう。」
はい。
※
「これは論理的、思考的プロセスではなく、
自発的、直観的、かつ生物的なプロセスです。
もともと人間がごく自然にできることなのですが、
人によっては教育や育った環境のせいで、
この自然なプロセスが難しいものになっています。」
ああ、父親から「吐息つくな」と教育された母、
そのエピソードに教育されて一人の時も溜息をつかなくなっていた自分。
「子供は、騒いではいけない、静かにしなさいと諭されるまでは、
泣いたり笑ったり叫んだりといろいろな音を出して、
感じていることを気の向くままに表現します。
特に強く感情が反応するときに音声を発するというのは、
ごく自然な生物的な衝動です。」
そうやってオトナになって、社会の中で声もあげずに生活して、
肩がこったの腰が痛いの血圧が高いの頭痛が痛いの膝が痛いの
なんのかんのと人々は訴えている。
自分で治すことができる。
「なにか感情反応が生じてきたときには、
それを無視したり打ち消したりせず、
その感情反応を感じる体の部位に注意深く意識をもっていきます。
表出を求める音がおのずとわかる場合もあります。
そのときには(状況が許せば)あえてその音を出してみてください。
感情の音が出るにまかせるのです。
笑いや唸り、呻き、あるいはすすり泣きかもしれません。
叫びや悲鳴であったりもします。
音符で表せる音や音階のかたちをとるかもしれませんし、
音階が曖昧なトーニング(唱和)のような音かもしれません。」
「ここでもっとも重要なのは、自分の体験している感情に気づいて、
その感情の音声シグネチャーがあなたの声をとおして表現されるのを許し、
表に出してあげることです。
解放や浄化が感じられるまで、音を出しつづけるようにしてください。
以上が一つ目です。このやりかたはシンプルで効果も期待できます。」
※
最初に私から出たのは溜息であった。
これは音ならぬ音で、音になっていなかったのかもしれない。
不発?
それでもずいぶんスッキリする。
もっと知りたい方は『新・ハトホルの書』を。
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