7月15日が誕生日だった。
その日は、老母のケアマネージャーさんの訪問日だった。
このケアマネさんは、たいへん純朴な方だ。
推定56歳、推定鹿児島県島嶼部出身。
幼い頃はランプを磨き、川の水を汲み、牛の世話をし、
学生時代はバスケットボールで全国レベルのチームに活躍し、
東京へ出てきた苦労人とお見受けする。
私の誕生日だと知ると、ケアマネさんは、
あら、何かお祝いしなきゃ、何も持っていない、
じゃあ、歌いましょう
と言って、手拍子しながらハッピーバースデーを歌ってくれた。
朗らかな、良いお声だった。
私はちょっと感激してしまった。
そして、ケアマネさんは自分の誕生日が嫌いだ、と語り始めた。
8月生まれだから夏休み中なので、友達にも祝ってもらったことがない。
それはいいのだけれど、ある年から自分でも祝えなくなった、と言う。
なんだろう、年齢を重ねたから誕生日が嬉しくなくなったという
意味だろうか、と思っていると、そうではなかった。
1985年8月12日、日航機墜落事故の日である。
あの事故以来、自分の誕生日が嫌いになってしまったと言うのだ。
ひとが悲しんでいる日に、楽しい気持ちにはなれないです。
と言う。
この人の場合、これが嘘じゃない。
こんな人に介護計画を立ててもらえるのだから、
安心だ。
ケアマネさんの訪問は月に一度だ。
7月15日の4週間後がちょうど8月12日。
今度は私が歌って祝ってさしあげる番だ。
と、思っていたのだが、他の要件ができて、日取りが変わってしまった。
残念だ。
新しい日取りは、8月15日。
またしてもなんだか祝いにくい気持ちの日なのである。
その日は、老母のケアマネージャーさんの訪問日だった。
このケアマネさんは、たいへん純朴な方だ。
推定56歳、推定鹿児島県島嶼部出身。
幼い頃はランプを磨き、川の水を汲み、牛の世話をし、
学生時代はバスケットボールで全国レベルのチームに活躍し、
東京へ出てきた苦労人とお見受けする。
私の誕生日だと知ると、ケアマネさんは、
あら、何かお祝いしなきゃ、何も持っていない、
じゃあ、歌いましょう
と言って、手拍子しながらハッピーバースデーを歌ってくれた。
朗らかな、良いお声だった。
私はちょっと感激してしまった。
そして、ケアマネさんは自分の誕生日が嫌いだ、と語り始めた。
8月生まれだから夏休み中なので、友達にも祝ってもらったことがない。
それはいいのだけれど、ある年から自分でも祝えなくなった、と言う。
なんだろう、年齢を重ねたから誕生日が嬉しくなくなったという
意味だろうか、と思っていると、そうではなかった。
1985年8月12日、日航機墜落事故の日である。
あの事故以来、自分の誕生日が嫌いになってしまったと言うのだ。
ひとが悲しんでいる日に、楽しい気持ちにはなれないです。
と言う。
この人の場合、これが嘘じゃない。
こんな人に介護計画を立ててもらえるのだから、
安心だ。
ケアマネさんの訪問は月に一度だ。
7月15日の4週間後がちょうど8月12日。
今度は私が歌って祝ってさしあげる番だ。
と、思っていたのだが、他の要件ができて、日取りが変わってしまった。
残念だ。
新しい日取りは、8月15日。
またしてもなんだか祝いにくい気持ちの日なのである。
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