兄が生きていたら、どうだったろう。
父の前妻との間の子で、私の12歳年上だった兄は、
私が小学2年生の3月に、車を運転していて単独事故で死んだ。
ちょっとの血を見てもヒンケツを起こしてぶっ倒れるような男子だったらしい。
生きていたら、どんな頼りない兄貴になっていただろうか。
※
私のセクシュアリティについてもう一度書いておこう。
新宿二丁目の女性専用バーの改装のお手伝いをしたことや、
「コタキ兄弟と四苦八苦」をしつこく推すことの前提になると思うからだ。
思春期の到来は10歳か11歳くらいだった。
好きな男の子もいたが、それにも増して好きな女子ができた。
その後、ごく稀に好きになれる男子もいたが、
自分としてはごく当たり前に、女子に惹かれた。
当時、自分がこういう者なのは一体どういうことかと知ろうとして、
心理学とか精神分析の本に当たるということをした。
学校にカウンセラーはいたが、信用していなかった。
ものの本には、「性的倒錯」という言葉で説明されていた。
また、思春期の女子にありがちな一過性のもの、という説明も多く見られた。
そんなもんじゃない。という思いが有った。
幼い頃から、髪を短く切ってズボンを履かせることが母は好きだった。
ただ、特別な日にはワンピースなどを着せられたが、
これが私にはひどく気分が悪かった。
服装はともかく、女の子として育てられているし、
女子校の、女子の同性社会の中で成長した。
女性であるということは受け入れざるを得ないこと、という認識が長く続いた。
子どもの頃、目が覚めたら男になっていないか、と期待することが有った。
いつの日か科学が発展したら、自分と誰か女性の間に子をもうけることが
できるようになるだろう、ということを考えたりもしていた。
その後、フェミニズムの流れを汲んで、
80年代後半からゲイリブやレズビアニズムが盛んになってくる。
性別の自認として、男性に移行したいという思いを持った時期も有ったのだと思う。
そこへフェミニズム的な考えやレズビアニズム的な思想も入ってきた。
今の日本での男性の立場になりたいかというとそうでもない、という気持ちが勝つようになった。
今ここに在ることは、要素として篩にかけようもない。
時代背景や社会通念を除外したときの自分自身が何を指向しているのか、
純粋に洗い出すことは難しい。
まとめると、
私は長い間、レズビアン自認であったが、今はXジェンダー自認が中心である。
つまり、現代日本の社会通念として存在する性別カテゴリの
どこにも属してる気がしないよ、という意味だ。
だから、女性を性愛の対象としてはいるが、それは同性愛という意識にはならない。
そして、
いづれにしろ、
問題であるのは、
どのような自認であるにしろ、ずっと、
この日本の社会の中に自分の居場所が有るような気がしない、
ということである。
※
居場所が無けりゃ作るまでさ。
というほど気持ち良く割り切ってはいなかったが、
まず、一般に思われているよりはずっと沢山、ずっと身近に
同性愛者は存在する、ということを知らせなければ、と考えた。
1994年当時のことで、「同性愛者は」と言っている。
性自認のマイノリティ、つまりは自分自身なのだが、
それは後回しになっている。
まだそういう時代だった。
日本でも「ゲイパレード」を開催する、
実行委員を募集する記事を見て、連絡を取った。
24,5歳だった。
この頃からようやっと、オカシイのは自分ではなく社会通念のほうだ
と思えるようになってきたと思う。
※
去る3月17日に、同性婚を受理しないのは違憲である、
と札幌地裁が判断した。
私自身は、同性婚が認められさえすれば良いとは考えていない。
結婚制度の欠陥は、同性間に認められていないことだけではない。
ただ、同性へと枠を広げる運動が、
他の要素の改善へと繋がったら良いという期待はしている。
社会の中で人が生活していくには、制度が必要である。
私が自分の好きな人と、家庭を築こうと思っても、
それを支える制度はこの国には、無い。
それはどういうことかというと。
この国で私が希望を持って生きていくことはできない、
自分の居場所がこの国には無い、
そういう気持ちになる。
自分の生きる場がここに無い。
という場合、
じゃあ、自分が家庭を持てる他の国に移り住もう、
という発想と行動力の有る人もいる。
私の場合だと、
ここに生きる場が無い、とは
ここでは生きていけない、つまり
死ねと言われている、という気持ちになる。
そういう意味であった。
※
社会がそうでも、身近に応援してくれる人がいると、
だいぶ気持ちが違う。
恋人だとかパートナーだとかに増すくらい、
自分を受け入れてくれる人、知っていてくれる人、応援してくれる人
が欲しかったのを憶えている。
※
それが肉親であったら、どんなに安心か。
私の親はダメだった。
兄が生きていたら、どうだったろう。
※
私がしつこく「コタキ兄弟と四苦八苦」を褒めるのは、
以上のような背景が理由になっている。
※
テレビドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」を見て、
全12話の、特に8話以降、
特に特に11話と12話は、繰り返し繰り返し見て、
何度見ても、泣いてしまう。
「なんでわたしたちは祝福されないの?」
「親を捨てて来いとは言えません」
子どもの頃の自分の気持ちを思い出す。
※
TVerで今、再配信されている。
第8話の視聴期限は4月4日一杯。
順次期限が来る。第11話は7日、最終話は8日。
見れば
父の前妻との間の子で、私の12歳年上だった兄は、
私が小学2年生の3月に、車を運転していて単独事故で死んだ。
ちょっとの血を見てもヒンケツを起こしてぶっ倒れるような男子だったらしい。
生きていたら、どんな頼りない兄貴になっていただろうか。
※
私のセクシュアリティについてもう一度書いておこう。
新宿二丁目の女性専用バーの改装のお手伝いをしたことや、
「コタキ兄弟と四苦八苦」をしつこく推すことの前提になると思うからだ。
思春期の到来は10歳か11歳くらいだった。
好きな男の子もいたが、それにも増して好きな女子ができた。
その後、ごく稀に好きになれる男子もいたが、
自分としてはごく当たり前に、女子に惹かれた。
当時、自分がこういう者なのは一体どういうことかと知ろうとして、
心理学とか精神分析の本に当たるということをした。
学校にカウンセラーはいたが、信用していなかった。
ものの本には、「性的倒錯」という言葉で説明されていた。
また、思春期の女子にありがちな一過性のもの、という説明も多く見られた。
そんなもんじゃない。という思いが有った。
幼い頃から、髪を短く切ってズボンを履かせることが母は好きだった。
ただ、特別な日にはワンピースなどを着せられたが、
これが私にはひどく気分が悪かった。
服装はともかく、女の子として育てられているし、
女子校の、女子の同性社会の中で成長した。
女性であるということは受け入れざるを得ないこと、という認識が長く続いた。
子どもの頃、目が覚めたら男になっていないか、と期待することが有った。
いつの日か科学が発展したら、自分と誰か女性の間に子をもうけることが
できるようになるだろう、ということを考えたりもしていた。
その後、フェミニズムの流れを汲んで、
80年代後半からゲイリブやレズビアニズムが盛んになってくる。
性別の自認として、男性に移行したいという思いを持った時期も有ったのだと思う。
そこへフェミニズム的な考えやレズビアニズム的な思想も入ってきた。
今の日本での男性の立場になりたいかというとそうでもない、という気持ちが勝つようになった。
今ここに在ることは、要素として篩にかけようもない。
時代背景や社会通念を除外したときの自分自身が何を指向しているのか、
純粋に洗い出すことは難しい。
まとめると、
私は長い間、レズビアン自認であったが、今はXジェンダー自認が中心である。
つまり、現代日本の社会通念として存在する性別カテゴリの
どこにも属してる気がしないよ、という意味だ。
だから、女性を性愛の対象としてはいるが、それは同性愛という意識にはならない。
そして、
いづれにしろ、
問題であるのは、
どのような自認であるにしろ、ずっと、
この日本の社会の中に自分の居場所が有るような気がしない、
ということである。
※
居場所が無けりゃ作るまでさ。
というほど気持ち良く割り切ってはいなかったが、
まず、一般に思われているよりはずっと沢山、ずっと身近に
同性愛者は存在する、ということを知らせなければ、と考えた。
1994年当時のことで、「同性愛者は」と言っている。
性自認のマイノリティ、つまりは自分自身なのだが、
それは後回しになっている。
まだそういう時代だった。
日本でも「ゲイパレード」を開催する、
実行委員を募集する記事を見て、連絡を取った。
24,5歳だった。
この頃からようやっと、オカシイのは自分ではなく社会通念のほうだ
と思えるようになってきたと思う。
※
去る3月17日に、同性婚を受理しないのは違憲である、
と札幌地裁が判断した。
私自身は、同性婚が認められさえすれば良いとは考えていない。
結婚制度の欠陥は、同性間に認められていないことだけではない。
ただ、同性へと枠を広げる運動が、
他の要素の改善へと繋がったら良いという期待はしている。
社会の中で人が生活していくには、制度が必要である。
私が自分の好きな人と、家庭を築こうと思っても、
それを支える制度はこの国には、無い。
それはどういうことかというと。
この国で私が希望を持って生きていくことはできない、
自分の居場所がこの国には無い、
そういう気持ちになる。
自分の生きる場がここに無い。
という場合、
じゃあ、自分が家庭を持てる他の国に移り住もう、
という発想と行動力の有る人もいる。
私の場合だと、
ここに生きる場が無い、とは
ここでは生きていけない、つまり
死ねと言われている、という気持ちになる。
そういう意味であった。
※
社会がそうでも、身近に応援してくれる人がいると、
だいぶ気持ちが違う。
恋人だとかパートナーだとかに増すくらい、
自分を受け入れてくれる人、知っていてくれる人、応援してくれる人
が欲しかったのを憶えている。
※
それが肉親であったら、どんなに安心か。
私の親はダメだった。
兄が生きていたら、どうだったろう。
※
私がしつこく「コタキ兄弟と四苦八苦」を褒めるのは、
以上のような背景が理由になっている。
※
テレビドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」を見て、
全12話の、特に8話以降、
特に特に11話と12話は、繰り返し繰り返し見て、
何度見ても、泣いてしまう。
「なんでわたしたちは祝福されないの?」
「親を捨てて来いとは言えません」
子どもの頃の自分の気持ちを思い出す。
※
TVerで今、再配信されている。
第8話の視聴期限は4月4日一杯。
順次期限が来る。第11話は7日、最終話は8日。
見れば
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます