犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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王羲之 黄庭経

2017年09月06日 | 書の道は
玄宗皇帝の「孝経」の臨書は三分の一やって飽きてしまった。
理由は、一見かっこいい字だが単調で退屈してしまったから、なのだが、
もうひとつの理由は、テキストが「孝経」だからだ。
臨書する際には、漢文もしっかり読む。
儒教はどうも肌に合わない。
人と人の上下関係のことばっかり言っているように思える。
内容そのものにも興味を持てないと、臨書が続かない。
とは言え、賀知章の草書「孝経」は全臨したのだから、
玄宗隷書の中断はやはりその筆によるところが大きくはある。

それにしても、やっぱり中身を楽しく読みながら書きたい。
仏教か道教のものがいい。
仏教の経典はうっかりすると臨書するには長過ぎる。
そこで、欧陽詢の「般若心経」をやった。短いから。
しかし、特に中国独自ということで考えると、道教のものがやりたい。
中でも、なるべく古いほうがいい。

有る。
木簡と帛書(絹布に書いたもの)の二種類で「老子」が発見されている。
ただ、傷みもあるし文字も小さい。
これは後回しで、楽しみに書いていこう。

少しだけ時代の下ったところで「荘子」は無いのか。
探している。

老荘思想が流行っていたのだろう、
王羲之(おう・ぎし 303-361)にも、道士に頼まれて
「老子」をチャチャッと書いてやった、という逸話がある。
書いた物と、大好きな鵞鳥を交換した、なんて話もある。
そんなのぜひ臨書したいものだが、遺されていない。残念。

王羲之の楷書だという「黄庭経」が伝わっている。
道教の、体と気とその鍛え方の基本の教科書といった内容だ。
宋の時代の拓本のカラー写真が、中国で出版されている。
そんな本がインターネットで手に入る。
ひょっとするとネット上で無料で画像を見られるのが見つかるのかもしれないが、
これを買った時はまだそういうことを知らなかったので、
本を見つけたらヒョイと買ってしまった。

よくよく見たら、監修者は日本人だった。
宇野雪村である。
ちょうど本を買う数週間前に、福島に枝垂桜を見に行った。
樹齢千年を超すと言う三春の滝桜の子桜や孫桜が
あちこちに植わっているのを、見て回った。
雪村庵に着いた頃にはもう桜を見飽きていて、
見学のために車から降りもしなかったことが悔やまれる。

宋の時代の拓本が日本で大事に保管されている。
そうでもないと、中国では失われてしまいがちだ。
この「黄庭経」のオリジナルは、唐の時代、
安禄山の乱のどさくさで失われたということだ。

小さい楷書で、彫ったものを拓本に取ったものなので、
筆意筆勢を学ぶには不足だけれど、
内容への興味もあるので、全臨しきった。

体の部位や気の宿る場所や陰陽五行思想に基づく謎な単語が続出するが、
鍼灸師として中国古典医学を学んだ経験がなんだかこんなところで
役に立っている。
4月の終わりからちまちま書いて、やっと終わった。

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