私と父との関係が難しくなった頃、
それでも月曜日の夜8時からは一緒にテレビを観て楽しんだ。
少なくとも、隣にいて笑っていることまでイヤではなかった。
一緒に笑うことは、大事だと思っていた。
もちろん、それだけで関係が修復されるほど簡単ではないが、
良い時間、楽な時間であったことは間違い無い。
※
だから、私はだいじょうぶだぁ教を信じている。
そうです。私が観ていたのは変なおじさんです。
月曜日の夜8時は、志村けんのだいじょうぶだぁ。
志村けんのデシ男、ひとみばあさん、いいよなおじさん、
石野陽子とのごご五時の夫婦、おハナ坊、
などなど
そこで力を発揮していたのが、田代まさしだった。
萩尾みどりさんとの「貧乏母子」の悲劇の音楽は今も
何か貧しいできごとがあると脳裏を流れる(大袈裟)。
※
応援している人たちを裏切ることになった。
などという表現を見かける。
かなり多く見る。
そんなこと、ひとに言われなくても、
本人はそれで苦しんでいることと思う。
復帰して活動が軌道に乗ってくると
調子に乗ってまたクスリに手を出す。
などという言い方も見かける。
調子良くないからクスリに頼りたくもなる。
応援してくれる人が多くいることは分かっている。
支えにもなるが、プレッシャーにもなる。
自分自身がかくありたいという思いに沿っていられる時間は
支えになり、
気持ちが不安になった時に、支えだけでなくプレッシャーにもなる。
「一人になった時」に、薬を使うことを考える、
と話している。
親族であれば、血の繋がりが有れば、どこかにいれば家族かと言ったら
そうではないのだと思う。
自分は一人ではない、と思える存在というものが必要だ。
いくつかの活動の中で、しっかり寄り添ってくれ、
信頼を寄せる人たちがいた。
身近に支える人は、そういう存在でありたい、と思っているだろう。
本人が苦しめば、そういった仲間も苦しむ。
それでも、一人だと感じてしまう時が有る。
※
孤独感は人それぞれに出遭う時が有るとは思う。
しかし、関係を喪失するという経験がそれまでに有るか無いかで、
その孤独感の迫り方が違うのではないかと思う。
「こうなっちゃったらヤだな」という想像と、
「またあんなことになるのか」という明確な感覚との違いと言うか。
※
何度も何度も笑わしてもらった恩を私は忘れられない。
また見たい、と、いつも思っている。
病を治すことは難しい↓
https://www.youtube.com/watch?v=nc_wEZmweZM
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます