[まえおき] 私は身体的に女性だがそれには違和感が有る。
ただ、男性の体になりたいということは無い。
男性として今ここで生きたいということはまるで無い。
私みたいなのを指して言うのに、Xジェンダーという日本語が有る。
バツじゃないわよペケでもないわい、エックスジェンダー。
細かく私の感覚を、幼少期から、90年代、20年位前、
4年前にカムアウトして以降、などと見ていくと、
とても上記のような表現では収まらない。
何度かここでも書いているが、
FTXとしての私の個人史は、日本のトランスジェンダー史と
分けて捉えることはできない。
社会の中で何の仲間と見られるか、ということと、
自分が何者かを意識することが、かなりひっついていて、分けられないのだ。
具体的にさらりと書けば、
子どもの頃は、「朝、目が覚めたらちんこが有るかもしれない」と思ったり。
好きになるのは男子も女子もいたが、女子のほうがより好き。
レズビアンのコミュニティで少し活動してみたり。
でも「女性として同性の女性が好き!」と言うレズビアンと
自分の感覚は明らかに異なる。
時代は、同性愛を病気としていたところから、
病気じゃないということになり、
今度は性同一性障害という病気として治療できることになり、
はたまた今はそれも病気と言うことはないということになった。
時代は流れる。時代に流される。
流れ着いた所がひとまず、Xジェンダーという言葉。
男か女かにくっきり分けることなんか無いじゃん、中間もいるよ。
ということだ。
※
世の中が男女二元論でできているので、
中間の人は生きづらい。
トイレでは振り返られ、性別欄は心を殺して女に丸をする。
分けなくてもなんとでもなりそうな場面でも、けっこう男女は分けられている。
ということをいちいち四六時中365日、感じ続けて暮らしている。
疲れる。
※
以上は、X自認の私のお話。
以下に紹介するのは、FTMつまり
女性として生まれてきちゃったんだけど、
手術やホルモン療法を用いて、男性として生きている人の話。
トランス男性とも呼ばれる。
男性なのである。
女性である間は、違和感に苛まれる。
その違和感は、「X」とか言ってるぬるい私の違和感と比べものにならないだろう。
でも私もちょっと分かる。自分の体がイヤ~自分がイヤ、という感覚。
FTMは晴れて男性になったら、男性として暮らす。
FTMですらなく、ただ男として暮らせばいい。スッキリ。
という人も多い。
わざわざ「元女性です」なんて言う必要も無い。
という人もいる。
当然だろう。やっと手に入れた男性の身体で、平穏に暮らすのがいい。
※
しかし、女性だった過去をひた隠し、
女性として生きていた自分を無かったことにし続けることもまた、
新たな荷となる。
だったらオープンにしよう。
そういう人たちがいる、っていうことが知られて、
それも当たり前の世の中になれば、何も気にすることは無くなる。
ここがとても重要だ。
ここの論理は、今までもずっと、同性愛者の活動の理念の中心だった。
一人ひとりが覚悟をもってカムアウトするとき、
自分を偽りたくない気持ちから、社会変革に繋がるということを思う。
多かれ少なかれ、思う。
※
you tubeで見つけた動画は、FTMの若者二人だった。
「元女子の英翔です。元女子の奏太です。キットチャンネルです。」
で始まる。
動画の内容は、まさに上に書いたような思いを語るもの、
今までの自分の半生を紹介するもの、
家族が登場するもの、元上司が登場するもの、
面白そうと思ったことをやってみるもの、
街頭アンケートなど、バラエティに富んでいる。いいぞいいぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=GtT_S8sBLog&list=LLCUfre9c5VF8n68ieF6ETiw&index=6&t=0s
志ある若者の映像を見るのは気分いい。
たくさん苦しいこと、例えば口さがないコメントとか
有るとは思うが、跳ね越えてくれ。
少なくとも、私はキットチャンネルから希望を得ている。
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