犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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元女子と言うこと

2018年11月09日 | LGB&T

[まえおき] 私は身体的に女性だがそれには違和感が有る。
ただ、男性の体になりたいということは無い。
男性として今ここで生きたいということはまるで無い。

私みたいなのを指して言うのに、Xジェンダーという日本語が有る。
バツじゃないわよペケでもないわい、エックスジェンダー。

細かく私の感覚を、幼少期から、90年代、20年位前、
4年前にカムアウトして以降、などと見ていくと、
とても上記のような表現では収まらない。

何度かここでも書いているが、
FTXとしての私の個人史は、日本のトランスジェンダー史と
分けて捉えることはできない。
社会の中で何の仲間と見られるか、ということと、
自分が何者かを意識することが、かなりひっついていて、分けられないのだ。

具体的にさらりと書けば、
子どもの頃は、「朝、目が覚めたらちんこが有るかもしれない」と思ったり。
好きになるのは男子も女子もいたが、女子のほうがより好き。
レズビアンのコミュニティで少し活動してみたり。
でも「女性として同性の女性が好き!」と言うレズビアンと
自分の感覚は明らかに異なる。

時代は、同性愛を病気としていたところから、
病気じゃないということになり、
今度は性同一性障害という病気として治療できることになり、
はたまた今はそれも病気と言うことはないということになった。

時代は流れる。時代に流される。
流れ着いた所がひとまず、Xジェンダーという言葉。
男か女かにくっきり分けることなんか無いじゃん、中間もいるよ。
ということだ。



世の中が男女二元論でできているので、
中間の人は生きづらい。
トイレでは振り返られ、性別欄は心を殺して女に丸をする。
分けなくてもなんとでもなりそうな場面でも、けっこう男女は分けられている。
ということをいちいち四六時中365日、感じ続けて暮らしている。
疲れる。



以上は、X自認の私のお話。
以下に紹介するのは、FTMつまり
女性として生まれてきちゃったんだけど、
手術やホルモン療法を用いて、男性として生きている人の話。
トランス男性とも呼ばれる。

男性なのである。
女性である間は、違和感に苛まれる。
その違和感は、「X」とか言ってるぬるい私の違和感と比べものにならないだろう。
でも私もちょっと分かる。自分の体がイヤ~自分がイヤ、という感覚。

FTMは晴れて男性になったら、男性として暮らす。
FTMですらなく、ただ男として暮らせばいい。スッキリ。
という人も多い。
わざわざ「元女性です」なんて言う必要も無い。
という人もいる。
当然だろう。やっと手に入れた男性の身体で、平穏に暮らすのがいい。



しかし、女性だった過去をひた隠し、
女性として生きていた自分を無かったことにし続けることもまた、
新たな荷となる。

だったらオープンにしよう。
そういう人たちがいる、っていうことが知られて、
それも当たり前の世の中になれば、何も気にすることは無くなる。

ここがとても重要だ。
ここの論理は、今までもずっと、同性愛者の活動の理念の中心だった。

一人ひとりが覚悟をもってカムアウトするとき、
自分を偽りたくない気持ちから、社会変革に繋がるということを思う。
多かれ少なかれ、思う。



you tubeで見つけた動画は、FTMの若者二人だった。
「元女子の英翔です。元女子の奏太です。キットチャンネルです。」
で始まる。

動画の内容は、まさに上に書いたような思いを語るもの、
今までの自分の半生を紹介するもの、
家族が登場するもの、元上司が登場するもの、
面白そうと思ったことをやってみるもの、
街頭アンケートなど、バラエティに富んでいる。いいぞいいぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=GtT_S8sBLog&list=LLCUfre9c5VF8n68ieF6ETiw&index=6&t=0s

志ある若者の映像を見るのは気分いい。
たくさん苦しいこと、例えば口さがないコメントとか
有るとは思うが、跳ね越えてくれ。
少なくとも、私はキットチャンネルから希望を得ている。


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