犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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書の町もちづき 金子卓義篇

2017年06月12日 | 書の道は
[あらすじ] 昨年10月に書を独習し始め、嵩じて、
現代日本書道の源流と言える比田井天来の生地、中仙道望月の宿を訪ねた。

南は八ヶ岳が連なり、北には浅間を眺める佐久の地に夜着いて、
私はまず鯉のあらいを食べた。
現地でこその新鮮みだもんねーだ。

天来の生家からすぐ近くの、田んぼの真ん中の公民館の駐車場で泊まった。
田んぼのど真ん中で、蛙の声を聞きながら寝るのが好きなのだ。
シュレーゲルアオガエルの軽い声が好きだが、
自宅で聞こえてくるのはアマガエルの騒々しい鳴き声だけだ。

夏至前のこの時期が、一年のうち日の出が最も早い。
ということは、私の目の覚めるのも早い。
4時前には起きる。
天来記念館の開く9時までに、ひととおり他の場所の石碑も見て回ろう。

天来の生家の小さな裏山に登る。
中腹に碑林が作ってある。
天来を中心に、門流の人たちの書が刻まれている。
私はなんとなく、石碑というのは怖い。どうも苦手だ。
でもつぶさに見る。
石に刻む前の、紙に墨のものが見たいと思う。

遠くからも目に付く位置に、倉がある。
真っ白な土壁に「天鳳」と大きく書いてある。
これを目近で見た。
遠くからでは判からない、墨の濃淡で、筆の動きの跡が見える。
倉の裏には、金子卓義の蔵、と書いてある。
書いているその場を見たかったものだ。

それから、近くの宝国寺の参道入り口にある、門標などを見る。
寺そのものを訪ねてみると、無人になっている様子で、
境内は少し荒れている。
本堂から続いて木造の居館があり、門柱は煉瓦づくりで、
なにか和洋折衷のにおいがして、往時を偲ばせる。
このまま荒れさすのは惜しいように思う。

寺の入り口の門標も立派な字だ。
後になって、記念館で買った本によって、さきほどの倉と同じ金子卓義の書であることを知った。

さて一旦ちょいと時間が飛ぶが、
この日の午後、望月から離れる前に、一軒の菓子屋に寄った。
名物の雁喰い味噌を使った蒸しカステラを、
留守の間の犬の散歩を頼んだ友人Mへの土産に買おうと思ったのだ。

書の町望月では、何人もの書家が町内の店の看板を書く、という
プロジェクトを10年あまり前に行った。
町を歩くと、様々な書の看板が目に入り、実に楽しい。

この木村屋さんのウインドウにも、書の看板が出ている。
看板の写真を撮らせてもらうと、店のご主人が教えてくれる。
「この方は、これを書いた2年後に亡くなってしまったんですよ。」
聞けば、朝見て来た倉と寺の金子卓義である。

店の奥には他に、天来を始め、高橋蒼石などの書が何気なーく置いてある。
「この方もがんばってますよ。」
棚の中央には「無極」との書。
書家本人の説明書が下に置いてある。
見ると、吉野大巨という人で、住所は武蔵野市吉祥寺南町…
って、ウチからほど近いではないか。

「大澤酒造には行きましたか?」とご主人。
ええ、これから向かうところです。ふっふっふ。

つづく

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