待ちに待ったという言葉を使えることを待ちに待っていた。
久々の盆踊りだ。
心湧く。
マスク着用はしんどいけれど。
※
都営三田線の西巣鴨駅からすぐのところに大正大学は在る。
私自身、この駅を使って大学に通っていたことが有る。別の大学だけど。
また、12年前に鍼灸師の国家試験を受験したが、その時の会場がここだった。
且つ、5歳までは大塚に住んでおり、幼稚園の最寄り駅は巣鴨だった。
そんな、ちょびっとずつご縁の有る土地だ。
四谷三丁目の鍼灸学校に通っていた。
毎日、新宿から歩いていた。
ある日、帰りに新宿通りを歩いていたら、太鼓の音が響いてきた。
フラフラと寄って行くと、そこは太宗寺だった。
私は現在、Xジェンダー自認である。
女性に生まれているのだけれど、なんかそんな気がしない。
よく言うLGBTだと、Tのカテゴリーに入る。
社会的にも個人的にも、Lのカテゴリーだった歴史が有る。
まあ、なんか、そんなわけで、
新宿二丁目には何度か飲みに行ったことが有る。
太宗寺は、二丁目のバー街を抜けたところに在る。
ちょっと愛嬌のある閻魔様と、その横で恐ろしい奪衣婆と、
塩に埋もれた地蔵さんで有名な寺だ。
境内の真ん中に櫓が組まれ、屋台が出ている。
踊りの輪ができている。
私は子どもの頃、盆踊りを楽しめなかった。
近所の私立学校に通ったため、地元のコミュニティに入りそこねていた。
一人で踊りの輪に入っていく勇気も無いし、気恥ずかしかったし、
踊り自体も楽しそうと思えなかった。
四十手前にした私は違った。
とりあえず踊りの輪に入った。
何人か前の人を手本にするのが見やすいと分かった。
足を先に覚えるのが良いと分かった。
家に帰って、踊りの振りをメモして、
翌日も行った。
次の年も行った。
その年は、他の土地の盆踊りにも行ってみた。
その一つが、巣鴨地蔵通りの盆踊りだった。
巣鴨のお地蔵さんの盆踊りは、他と雰囲気が違った。
踊りがきれいだった。
驚いた。
ソースやシロップにまみれた子どもが踊りの輪を横切って駆け抜ける、
なんてことは、地蔵では有り得なかった。
坂東流の先生が踊りの指導をしていることが分かった。
太鼓も他と違った。
地元の盆踊りだと、近所の小学生が叩いていて
たまーにうまい子がいるくらいだ。
巣鴨鼓友という同好会が揃いの法被で組み太鼓まで披露する。
町だなー。
私は惚れ込んでしまい、それからは毎年通いつめた。
7月の終わりから8月の頭にかけて、5日間も開催する。
全日行きはしないが、私はここで夏の体力を使いきり、
8月初旬に必ず風邪を引いたものだ。
※
その後、コロナ禍の世になり、夏の過ごし方がすっかり変わってしまっていた。
今年はあちこちの盆踊りが再開しているようだ。
※
その、巣鴨地蔵通り盆踊りを支える坂東扇太恵先生と巣鴨鼓友が
大正大学の盆踊りに力を貸している。
こりゃあ行くしかない。
鴨台盆踊りは今年で12回目という。
ということは、私が初めて行ったのは第1回目か2回目くらいだったのか。
まだ櫓も無く、巣鴨鼓友もいなかった。
坂東先生が学生に太鼓を教えていた。
東日本大震災の直後だった。
その供養の意味が有った。
ちょうど、巣鴨の盆踊りの十八番のひとつに、
相馬盆唄が有った。
一般に踊られているのと違って、巣鴨では坂東先生の振り付けで踊る。
優美な振りなんである。
※
地蔵通りでのプログラムも踊れるかと期待したが、そうでもなかった。
地蔵での曲目はやはり、あすこの踊りの会の方々のためのものという感じがする。
1曲目は「大正大学校歌」。
ブラスバンドの生演奏に、音楽部の合唱が付き、
坂東先生の振り付けで、みんなが踊る。
あたしゃなんだかジーンときちゃったね。
「東京音頭」や「炭坑節」といった定番、
「巣鴨音頭」も踊る。
学生さんの参加者も多いし、若者もきれいに踊り、子どもたちもよく踊る。いいぞ。
「恋するフォーチュンクッキー」は不思議と太鼓のリズムがはまる。
曲の構成がシンプルなおかげで、振り付けが気持ちよく合う。
どうやら荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」がここでも人気のようだ。
そして、DA PUMPの「USA」が掛かる。
私は休もうかと思ったが、すかさず「炭坑節の振り付けです。」と親切なアナウンスが入る。
だったら踊ろうか。
振り付けは歌詞の内容に即しているのだから、なんだかちょっと踊りにくいなあ、
なんて思いながら踊っていたら、サビに入った。
すると、右手を振り上げて左手でステップして
右上でシャンシャン、左下でシャン、
ええええっ、聞いてないよ!
しかもそれを2回じゃなく4回繰り返す。
なんとエアロビックな。
サビは一曲中3回あらわれた。
きびしい。
「365日の紙飛行機」もかかった。AKB48人気たるや。
せいぜい周りを見て、振り付けを覚えながら踊る。
と、
曲の途中で音が突然止まった。
音響機器の接続トラブルか。
太鼓はひるまずに、打ち続ける。踊りも続く。
そしてすぐに、歌声があがった。
きれいに歌い継がれた。
ちょっと、こんなにいい「365日の紙飛行機」が有ったろうか。
あたしゃまたジーンとしちゃったね。
最後の曲は「ダンシング・ヒーロー」だった。
じゃあもういいや帰ろう、と思ったら、
久しぶりに会った盆踊り仲間が「最後だし」と言うので、
精一杯はっちゃけて踊った。
終わったら、会場からアンコールがかかった。
司会者が応える。
「それでは、ダンシング・ヒーローをもう一回!」
ひいいい
そうだった。
主催は学生、参加者も学生が多いんだった。
みんな体力有るんだわ。
※
翌朝、犬の散歩を済ませてから、私は寝直した。
寝た寝た。
久々の盆踊りだ。
心湧く。
マスク着用はしんどいけれど。
※
都営三田線の西巣鴨駅からすぐのところに大正大学は在る。
私自身、この駅を使って大学に通っていたことが有る。別の大学だけど。
また、12年前に鍼灸師の国家試験を受験したが、その時の会場がここだった。
且つ、5歳までは大塚に住んでおり、幼稚園の最寄り駅は巣鴨だった。
そんな、ちょびっとずつご縁の有る土地だ。
四谷三丁目の鍼灸学校に通っていた。
毎日、新宿から歩いていた。
ある日、帰りに新宿通りを歩いていたら、太鼓の音が響いてきた。
フラフラと寄って行くと、そこは太宗寺だった。
私は現在、Xジェンダー自認である。
女性に生まれているのだけれど、なんかそんな気がしない。
よく言うLGBTだと、Tのカテゴリーに入る。
社会的にも個人的にも、Lのカテゴリーだった歴史が有る。
まあ、なんか、そんなわけで、
新宿二丁目には何度か飲みに行ったことが有る。
太宗寺は、二丁目のバー街を抜けたところに在る。
ちょっと愛嬌のある閻魔様と、その横で恐ろしい奪衣婆と、
塩に埋もれた地蔵さんで有名な寺だ。
境内の真ん中に櫓が組まれ、屋台が出ている。
踊りの輪ができている。
私は子どもの頃、盆踊りを楽しめなかった。
近所の私立学校に通ったため、地元のコミュニティに入りそこねていた。
一人で踊りの輪に入っていく勇気も無いし、気恥ずかしかったし、
踊り自体も楽しそうと思えなかった。
四十手前にした私は違った。
とりあえず踊りの輪に入った。
何人か前の人を手本にするのが見やすいと分かった。
足を先に覚えるのが良いと分かった。
家に帰って、踊りの振りをメモして、
翌日も行った。
次の年も行った。
その年は、他の土地の盆踊りにも行ってみた。
その一つが、巣鴨地蔵通りの盆踊りだった。
巣鴨のお地蔵さんの盆踊りは、他と雰囲気が違った。
踊りがきれいだった。
驚いた。
ソースやシロップにまみれた子どもが踊りの輪を横切って駆け抜ける、
なんてことは、地蔵では有り得なかった。
坂東流の先生が踊りの指導をしていることが分かった。
太鼓も他と違った。
地元の盆踊りだと、近所の小学生が叩いていて
たまーにうまい子がいるくらいだ。
巣鴨鼓友という同好会が揃いの法被で組み太鼓まで披露する。
町だなー。
私は惚れ込んでしまい、それからは毎年通いつめた。
7月の終わりから8月の頭にかけて、5日間も開催する。
全日行きはしないが、私はここで夏の体力を使いきり、
8月初旬に必ず風邪を引いたものだ。
※
その後、コロナ禍の世になり、夏の過ごし方がすっかり変わってしまっていた。
今年はあちこちの盆踊りが再開しているようだ。
※
その、巣鴨地蔵通り盆踊りを支える坂東扇太恵先生と巣鴨鼓友が
大正大学の盆踊りに力を貸している。
こりゃあ行くしかない。
鴨台盆踊りは今年で12回目という。
ということは、私が初めて行ったのは第1回目か2回目くらいだったのか。
まだ櫓も無く、巣鴨鼓友もいなかった。
坂東先生が学生に太鼓を教えていた。
東日本大震災の直後だった。
その供養の意味が有った。
ちょうど、巣鴨の盆踊りの十八番のひとつに、
相馬盆唄が有った。
一般に踊られているのと違って、巣鴨では坂東先生の振り付けで踊る。
優美な振りなんである。
※
地蔵通りでのプログラムも踊れるかと期待したが、そうでもなかった。
地蔵での曲目はやはり、あすこの踊りの会の方々のためのものという感じがする。
1曲目は「大正大学校歌」。
ブラスバンドの生演奏に、音楽部の合唱が付き、
坂東先生の振り付けで、みんなが踊る。
あたしゃなんだかジーンときちゃったね。
「東京音頭」や「炭坑節」といった定番、
「巣鴨音頭」も踊る。
学生さんの参加者も多いし、若者もきれいに踊り、子どもたちもよく踊る。いいぞ。
「恋するフォーチュンクッキー」は不思議と太鼓のリズムがはまる。
曲の構成がシンプルなおかげで、振り付けが気持ちよく合う。
どうやら荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」がここでも人気のようだ。
そして、DA PUMPの「USA」が掛かる。
私は休もうかと思ったが、すかさず「炭坑節の振り付けです。」と親切なアナウンスが入る。
だったら踊ろうか。
振り付けは歌詞の内容に即しているのだから、なんだかちょっと踊りにくいなあ、
なんて思いながら踊っていたら、サビに入った。
すると、右手を振り上げて左手でステップして
右上でシャンシャン、左下でシャン、
ええええっ、聞いてないよ!
しかもそれを2回じゃなく4回繰り返す。
なんとエアロビックな。
サビは一曲中3回あらわれた。
きびしい。
「365日の紙飛行機」もかかった。AKB48人気たるや。
せいぜい周りを見て、振り付けを覚えながら踊る。
と、
曲の途中で音が突然止まった。
音響機器の接続トラブルか。
太鼓はひるまずに、打ち続ける。踊りも続く。
そしてすぐに、歌声があがった。
きれいに歌い継がれた。
ちょっと、こんなにいい「365日の紙飛行機」が有ったろうか。
あたしゃまたジーンとしちゃったね。
最後の曲は「ダンシング・ヒーロー」だった。
じゃあもういいや帰ろう、と思ったら、
久しぶりに会った盆踊り仲間が「最後だし」と言うので、
精一杯はっちゃけて踊った。
終わったら、会場からアンコールがかかった。
司会者が応える。
「それでは、ダンシング・ヒーローをもう一回!」
ひいいい
そうだった。
主催は学生、参加者も学生が多いんだった。
みんな体力有るんだわ。
※
翌朝、犬の散歩を済ませてから、私は寝直した。
寝た寝た。
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