犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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性別に関する治療

2014年08月24日 | LGB&T
一昨日は性同一性障害の診断基準について書き、
昨日は性同一性障害の治療過程について書いた。

おさらいすると、性同一性障害とは
「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、
心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)
であるとの持続的な確信を持ち、
かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする
意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために
必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている
医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。」
であり、治療は性ホルモン投与と性別適合手術だ。

では精神的な治療は無いかというと、そうではない。
性別に違和感を抱きながら生きていく中で、
混乱があったり抑鬱があったりする。
精神的に整えてみないと、性別の適合が必要な
ほんとの意味での性同一性障害かどうか、わからなかったりする。

精神的な治療とはそういう意味である。
けっして、実際の生まれながらの性別に、性自認を合わせて行く
というようなことではない。
これは、治療としてうまく進まないというふうに今では認識されている。
幸いなことだ。

かつて、性同一性障害というような概念が無かった頃には
性自認と性的指向の区別は理解されておらず、もちろん
様々な性的指向の区別もわかっていなかった。
だから、おそらく多くのものが同性愛と見られたことだろう。

そして、同性愛者には様々な治療が行われた。
つまり、異性愛に矯正しようというのだ。

ひどいものになると、男性の同性愛者に、裸の女性や裸の男性の
写真を見せて、男性の写真に反応つまり勃起などしたら
電気ショックを与えるのだ。

で、当然と言えば当然だが、こんな"治療"で"治る"わけがない。
治るわけがないものは、治すものじゃない、という受けとめ方になるまでに
何十年何百年かかったことか。
つくづく、今の日本に生まれて良かったと思う。
けっして生きやすいとは言いきれないけれど。

現在でも、同性愛のかどで死刑になる国がある。
拷問のような治療どころの話ではない。

なぜ、性自認が生まれながらの性でない人や、
異性愛でない人が存在するのだろう?
なぜ、自分はこんな存在なのだろう?

よその国のいたましいニュースに触れると、
胸の内で問いが繰り返される。

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