旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

唐津城

2024-11-05 09:00:00 | 鉄道

JR九州 筑肥線 糸島高校前駅《北口》 (福岡県糸島市伊都の杜)

令和6年10月16日水曜日。福岡県糸島市の糸島高校前駅に来ている。


駅頭の様子


出札口(みどりの窓口)と改札口

昨日、夕刻に到着した時には閉まっていた出札口が開いている。但し営業時間は午前中のみ。今朝になって買っておいた乗車券を自動改札に投入して入場する。


姪浜方を望む


2面2線の構内


唐津、伊万里方を望む


JR九州 筑肥線 快速 1623C列車 [305系W1編成] (糸島高校前)

福岡空港西唐津行快速列車(6両編成)に乗車する。


metro 筑肥線で糸島高校前を出発symbol6


305系車内の様子


扉にはオリジナルキャラクラー「くろちゃん」





のらくろではないようだ。後で調べて知ったがアニメ「のらくろ」の声は大山のぶ代さんだった。実はドラえもんの前から大山さんの声を聞いていたのだ。大山さんは今年の9月29日にお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。今までありがとうございました。


筑前前原に停車

「ちくぜんまえばる」と読む。原田駅もそうだが、九州ではを「はる」「ばる」と読む地名があるのだなと子供の頃に知った。福岡空港から筑前前原までは各駅に停まっていた快速列車。この先は通過駅もある。


田園地帯を行く (一貴山-筑前深江)


海が見えた (筑前深江-大入)




お天気がよくなってきた (福吉-鹿家)


福岡県最後の駅を通過した (鹿家-浜崎)





海岸に積み上げたような丸い石が見える。包石、かつては鼓石といい肥前国と筑前国の境界線だそう。文化9年(1812)には伊能図の伊能忠敬一行も訪れ歌を詠んでいる。

名にし逢う 響の灘の 白波は 鼓の石に おとづるゝなり

福岡県より佐賀県、筑前国より肥前国に入る。


車海老の養殖場だったか


虹の松原を走る(浜崎-虹ノ松原)


虹ノ松原を通過中


お城が見えた(虹ノ松原-東唐津)


松浦川を渡る (東唐津-和多田)


JR九州 筑肥線 快速 1623C列車 [305系W1編成] (唐津) ※唐津-西唐津間は唐津線。

唐津に到着。下車する。


metro 筑肥線で唐津に到着symbol6

筑肥線 快速 1623C 糸島高校前(9:48)→唐津(10:26) クハ305-1


列車は西唐津へ…

西唐津から先の呼子へも鉄道建設は進み、トンネルや高架橋など出来上がっていた。しかし国鉄は建設を中断してしまう。前に車で波戸岬へ行った時に未成線の遺構を見掛けた。呼子線は開業しなかったけど、現在開業している虹ノ松原西唐津間の線路は呼子線として計画されていたものだそう。


改札口と出札口(みどりの窓口)

自動改札に乗車券を投入して途中下車する。切符は回収される事なく戻ってくる。出札口があるので今日使う別の切符を予め買っておく。


ひこにゃんみたいなキャラクターが! これまで令和6年10月16日撮影

唐津城マスコットキャラクター 唐ワンくんと言うそう。


【参考】 ひこにゃん 令和4年4月11日撮影


これより令和6年10月16日撮影


自動券売機

近距離の券売機のみで指定席券売機は設置されていない。出札口の営業時間は午前7時半から午後7時までなので日中は切符の購入に問題はない。


近距離きっぷ運賃表

直方の運賃表に地下鉄線・筑肥線の駅名はなかったが、当駅では筑肥線、地下鉄線の他、通過連絡運輸での博多から先の鹿児島本線、篠栗線、香椎線などの駅名も見える。鳥栖久留米付近は佐賀経由博多経由の両方の運賃が載っている。


JR九州 唐津線 唐津駅《北口》 (佐賀県唐津市新興町)

筑肥線に所属する駅だと思ったが、唐津線所属だった。唐津線の前身、唐津興業鉄道が明治31年に開業している。筑肥線が唐津に乗り入れたのは国鉄時代の昭和58年である。それまでは松浦川右岸にあった東唐津駅(現在の東唐津駅と位置が異なる)が筑肥線での唐津の玄関駅だったそう。



唐津駅より歩いて唐津城へと向かう。途中で煉瓦造りの建物を見掛ける。


旧唐津銀行本店 (佐賀県唐津市本町)

明治45年竣工の旧唐津銀行本店。平成9年まで佐賀銀行唐津支店の現役の店舗だったそう。








唐津城本丸が見える・三ノ丸辰巳櫓より


町田川に架かる新大橋を渡る


まちなか案内板

地図の下が北になっているが、これで位置関係がおおよそ分かった。





天守閣は昭和41年に建てられたものだが実に格好がよい。


城内橋を渡り本丸へ






本丸の近くには市営の駐車場(有料)がある

地下道で道を渡っていざ本丸へ。


石段を登る


※最短経路ではありません。歩いた経路とは若干異なります。


天守閣に到着



天気予報には曇りや雨のマークがあったが、秋晴れとなった。


唐津城の猫、からにゃん?

唐ワンの姿は見掛けなかった。






松浦川の河口を挟んで東唐津を望む

筑肥線が唐津へ乗り入れる前は、河口の近くに東唐津駅があり博多方面からの玄関口だった。


虹ノ松原を望む




筑前国・福岡県糸島市(旧糸島郡二丈町)まで望める


唐津湾のすぐ沖には…


高島

唐津市に属する有人島。長崎放送の中波(AM)の中継局がある。しかし今年2月よりAM停波実証実験により放送を休止。FMで放送を行っているが中継局は高島ではないもよう。長崎放送のラジオは長崎県と佐賀県の二県が放送エリアである。山口県では山口放送がAM停波実証実験により放送を休止している。広島県では中国放送は今回のAM停波実証実験には参加しておらずAMとFMの両方で受信出来る。ラジオを聞くのは車の中が多いが、FMは電波の弱いところへ行くとノイズが入るのが気になる。また広範囲に電波が届かないのでや中国山地の山中を走っている時にはお話にならない。広範囲で聴取出来る中波は残して欲しいところ。


北の方を望む

ここから呼子は見えないか。日本海側では朝鮮半島からの中波が混信するという話を聞くが、玄界灘に面するこのあたりもFMにした方が混信対策にはいいのかな。


唐津も石炭積出港で唐津線が港へ運んできた








天守閣は…まあいいか

列車の時間があるので。










藤棚

今は藤の季節ではありませんが。お城から石段を降りてゆく。なお有料だけれどエレベータがある。




地下道には陶板に描かれた唐津曳山


駐車場の猫、ちゅうにゃん?ニャンちゅうではない


城内橋を渡り駅へと戻る


町田川と唐津城天守




旧唐津銀行本店まで戻ってきた


二人の銅像が…

ベンチにおられるのが曾禰達󠄁藏氏。建築家。嘉永5年(1852)唐津藩士の子として江戸に生まれる。三菱社に入り東京丸の内のレンガ造りのオフィス街を築く。


辰野金吾氏 これまで令和6年10月16日撮影

東京駅の他、多くの建物を設計された建築家。嘉永7年(1853)唐津藩士の子として生まれる。姫松家から子のいなかった叔父の辰野家の養子となる。藩の洋学校「耐恒寮」では高橋是清(後の首相)に学び、曾禰達󠄁藏氏と出会う。

旧唐津銀行本店(辰野金吾記念館)に入れば更に詳しく判るのだろうが列車の時間があるので中には入らない。ちなみに旧唐津銀行本店は多忙であった辰野氏に代わって愛弟子の田中実氏が設計する。


旧唐津銀行 辰野金吾記念館 (佐賀県唐津市本町)


JR東日本 東海道本線 東京駅《丸の内中央口》 (東京都千代田区丸の内) 令和6年4月7日撮影

多忙の辰野氏が手掛けていたのが大正3年開業の東京駅。


大原老舗 唐津本店 (佐賀県唐津市本町) これより令和6年10月16日撮影

ん十年前、福岡のラジオCMで聴いて気になっていた大原松露饅頭のお店はここだったんか。




うなぎ 竹屋 (佐賀県唐津市中町)

雰囲気のある木造三階建。登録有形文化財のプレートもある。何のお店かなと通り過ぎたけど、後で調べると鰻屋さん。大正12年の建築で建物内の写真を見ても趣がある。そして鰻の写真が美味しそう。この日は定休日だった。これはまた唐津に来なければいけないな。






駅に戻ってきた


唐津曳山

駅頭にあるこちらは唐津焼で出来た像なのだそう。 (つづく)