🌸『学問のすすめ』著者、福沢諭吉
⛳『学問のすすめ』の書き上げた時の時代背景
☆「自分を確立し、政治と向き合え」との内容
☆福沢諭吉の有名な言葉
*天の上に人を造らず人の下に人を造らず
☆『学問のすすめ』の時代背景
*明治政府が廃刀令を出す
(武士階級の人間たちが刀を差すことを禁止した)
*かっての武士階級の不満が爆発
*西郷隆盛が兵を挙げた西南戦争が起きる
☆身分制度未だ残っている時代
*「天の上に人を造らず人の下に人を造らず」との名言残す
*国民は、皆平等であると説いている
*当時の日本人にとっては聞いたことが無い考え方
*士農工商の身分差別が根強く残っていた
☆福沢諭吉は『学問のすすめ』を出版した
*その時代に、出版した勇気はとてもすごい
*初編は20万部を超える大ベストセラーになった
⛳福沢諭吉は「学問をすればなんでも出来る」と述べる
☆「学問万能主義」的な考え方
*後の「学歴万能主義」に変わる
☆諭吉の言う学問とは、「実学」を学問としている
*学者が言う専門的な知識とは異なる
☆それまでの学問
*難し字、難しい古文を読み、和歌、詩を作る
*諭吉はそういうものは、専門家たちがいうほどには意味無い
☆諭吉は、実学を学ばなければ意味はないとしている
⛳実学とは何かというと
☆商人がマスターするような知識や知恵
*「お金を稼ぐこと」を実学としている
☆諭吉は『学問のすすめ』で、実学を学ぶ必要性を説く
*あとは自分で学んでいきなさい
*ノウハウが書かれている本ではない
☆諭吉の本が、日本に近代文明を発展させた一因になった
⛳福沢諭吉
☆大分県中津市で生まれ、生活は非常に苦しいものだった
☆諭吉は、貧乏生活が嫌で大分を出る
*19歳のときに長崎に行く
*長崎は、西洋の文化を学ぶにはもってこいの場所だった
☆オランダ語を学んだ後は、大阪で緒方洪庵の弟子となる
☆江戸、アメリカ、ヨーロッパに行き、新知識を得て帰国
*『学問のすすめ』を執筆する
☆現在の慶応義塾大学の創立者としても有名な人物
*諭吉が創立した当初は、蘭学塾がベースの私塾
*諭吉は「これからは英語だ」と考えを切り替えた
*慶應義塾も英語に切り替わっる
⛳江戸時代まで、鎖国をしていた日本
☆開国した当時、西洋にかなりの遅れをとっていた
☆日本人は、外国に侵略され、崩壊する危機感を持っていた
*その危機感が、明治維新の精神で、明治時代を切り開いた
☆それまで、身分の差はあるが日本に守られていた
*戦争も日本人対日本人の内戦
*誰が勝っても、日本を統治するのは日本人
☆江戸時代の終わり、日本に西洋の文化を取り入れ追いつこうとした
*国民がついてこなければ、有力者だけでは何の意味もない
☆そのような時代の流れを背景に、諭吉は『学問のすすめ』を書き上げた
☆「学問のすすめ」は、幅広い人たちに受け入れられてきた
*日本人の「学ぶ」という意識の元になった
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『ホンシェルジュ』『WIKEPEDIA』
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『学問のすすめ』(福沢諭吉)
(ネットより画像引用)