🌸本願寺との戦い
☆本願寺VS織田信長、11年に及ぶ宗教戦争
⛳戦国時代の本願寺との戦い
☆本願寺VS織田信長、11年に及ぶ宗教戦争
⛳戦国時代の本願寺との戦い
☆織田信長は没落していた足利義昭を助けて将軍職に就けた
☆信長、義昭を無視して強権を振りかざした
*義昭は信長を討つべく各地の有力大名や
*義昭は信長を討つべく各地の有力大名や
*大坂本願寺、比叡山延暦寺らに号令し、信長を包囲した
☆対抗勢力の中で最後まで信長を苦しめたのが
*大坂本願寺率いる一向宗門徒
☆本願寺法主の顕如は全国の門徒に決起を促し
☆本願寺法主の顕如は全国の門徒に決起を促し
*武田、浅井、毛利などの大名や雑賀衆ら反信長派の救援を得て
*信長と抗争し続け、戦いはの11年に及んだ
*反信長派大名が次々死去して包囲網が崩れると
*本願寺は抗しきれず降伏した
⛳第2次木津川口の戦い
☆本願寺を援護する毛利方の水軍と織田水軍が木津浦で激突した
☆本願寺を援護する毛利方の水軍と織田水軍が木津浦で激突した
*かって織田水軍は毛利水軍の火攻めにあって敗北していた
☆信長は大砲を搭載した鉄張の大型船を建造させ戦いに投入
☆信長は大砲を搭載した鉄張の大型船を建造させ戦いに投入
*毛利水軍に勝利した
⛳信長の建造の大型軍船
☆大坂湾の制海権を得るために信長が建造した大型船
☆大坂湾の制海権を得るために信長が建造した大型船
☆各艦に3門の大砲が取りつけられていた
☆全長約32M、幅10Mいう記録もある
⛳本願寺顕如
☆日本最大の教団を率いて戦国を駈けた本願寺11代法主
☆日本最大の教団を率いて戦国を駈けた本願寺11代法主
*妻は武田信玄の正妻の妹
*浄土真宗のトップとして全国の問徒を従え
*大名に匹敵する影響力と軍事力を有した
☆顕如、当初信長とは良好な関係を保っていた
*懇意にしていた三好三人衆が信長を攻めたことで状況は一変した
*縁戚関係にあった武田氏や朝倉氏に追随する形で信長に対抗した
🌸三方ヶ原の戦い
*大名に匹敵する影響力と軍事力を有した
☆顕如、当初信長とは良好な関係を保っていた
*懇意にしていた三好三人衆が信長を攻めたことで状況は一変した
*縁戚関係にあった武田氏や朝倉氏に追随する形で信長に対抗した
🌸三方ヶ原の戦い
☆武田信玄VS徳川家康の戦い
⛳戦国時代の三方ヶ原の戦い
☆信長と義昭の関係決裂で、義昭は打倒信長で上洛を要請
☆信長と義昭の関係決裂で、義昭は打倒信長で上洛を要請
*甲斐の武田信玄も応える形で上洛の準備を進めていた
*西上には、駿河・遠江で勢力を拡大する必要があった
*信玄は遠江へと侵攻する
*信玄は、家康の居城浜松城ではなく、徳川領の要所二俣城を攻略
*浜松城を素通りする素振りを見せ、家康をおびきだすことに成功した
☆三方ヶ原で相対した両軍
*兵力・戦術で圧倒的に勝る武田軍の前に
*家康は生涯で一番の大敗北を喫する
⛳しかみ像
☆全軍の1割を失いながらも、命からがら逃げ帰った家康
☆自らの戒めのために肖像を描かせたといわれる
⛳徳川家康、生涯最大の敗戦
☆武田軍2万5千
☆全軍の1割を失いながらも、命からがら逃げ帰った家康
☆自らの戒めのために肖像を描かせたといわれる
⛳徳川家康、生涯最大の敗戦
☆武田軍2万5千
*家康が籠もる浜松城を攻めることはせず
*家康を野戦に引きずり込むため浜松城を素通りした
☆家康は勝機があると考えて出撃した
*待ち受ける武田軍に大敗する
⛳勝軍の将、武田信玄
☆戦国最強と謳われた騎馬軍団を率いた
☆甲斐の虎の異名を持ち、信長や家康に恐れられた武将
☆戦国最強と謳われた騎馬軍団を率いた
☆甲斐の虎の異名を持ち、信長や家康に恐れられた武将
☆父信虎を追放して家督を継ぐ
*戦国最強の武田騎馬隊を率いて領土拡大
☆「人は石垣、人は城」の理念を持ち領国経営にも力を注いだ
☆上洛の途中で病に倒れ、志半ばでこの世を去った
☆武田信玄の病死により、家康・信長の首がつながる
*家康を倒したことで信玄は上洛への道を切り開いたが
*途中で病に倒れ無念の死を遂げた
☆武田信玄の病死により、家康・信長の首がつながる
*家康を倒したことで信玄は上洛への道を切り開いたが
*途中で病に倒れ無念の死を遂げた
(敬称略)
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⛳出典、『日本の合戦』
戦国時代5(本願寺・三方ヶ原の戦い)