慶喜

心意気
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商人の宗教・イスラム教3(利子とワクフ)

2022年11月21日 | 宗教
🌸商人の宗教・イスラム教の拡大3

イスラム金融の浸透(1)経緯
 ☆イスラム世界は13世紀まで高度な文明を誇っていた
 *ヨーロッパのキリスト教諸国が台頭し勢力を失っていく
 ☆オスマン帝国が減びたあと
 *アラビア半島のイスラム諸国は植民地化される
 ☆イスラム世界では利子の禁止や金融業
 *大きな問題になることは無かった
 ☆ヨーロッパの金融機関がイスラム世界に進出
 *銀行業務を行うとイスラム世界にも復興の動きが出てきた
 ☆1923年に建国されたトルコ共和国は政教分離を掲げ
 *太陽暦やローマ字の採用など近代化政策を進めた
 *利子を取る金融、利子ではなく、手数料で目的も慈善事業とされた
 *イスラム世界のなかの喜捨に近いものと考えられたので問題なかった
 ☆この試みはすぐに破綻した
 *無利子では預金する者がきわめて少数だったから
 
イスラム金融の浸透(2)経緯
 ☆マレーシアのマラヤ・ムスリム巡礼貯金公社
 *巡礼および巡礼者を補助することが主な目的で設立した
 *メッカへの滞在中の飲食費、旅費を貯める
 *融資する金融機関が必要とされた
 ☆背景には、イスラム世界の拡大があった
 *同社は利用者が増え規模が大きくなり巡礼基金会社と改称された
 *石油備蓄基地の建設の大規模なプロジェクトにも融資を行う
 ☆アラブ諸国にもたらされた豊富なオイルマネー
 *イスラム銀行が次々に設立される
 ☆現在のドバイ・イスラーム銀行、バーレーン中央銀行等
 *原油価格の高騰により
 *イスラム銀行は更なる拡大を続けている

利子を取らないイスラム金融の仕組み
 ☆出資者が事業者と資金を信託するパートナーシップ契約を結ぶ
 *決められた期限が訪れた時に利益と損失を分け合う
 *利子を含めて返済を迫るものではないのでイスラム法に抵触しない
 *利子を取ることを回避しながら、利潤を得られる仕組み
 *『コーラン』などの法源を守り時代や環境に合わせて対応していった
 ☆ヨーロッパのキリスト教社会
 *利子の禁止を巡って論争を続けるなかで、経済学が誕生した
 *経済政策を立てるうえで有効性を発揮した
 ☆利子を禁じたイスラム世界では経済学は発生しない
 *イスラム世界では、イスラム法により現実的に解決する慣行がある
 *そのような環境では、抽象的な経済学は生まれにくい

イスラム社会の独特な寄進制度「ワクフ」
 ☆寄進者が自分の財産・権利を「停止」生じる収益
 *モスクの運営など特定の目的に使われるよう
 *指定、寄進するもので、イスラム世界では盛んに行われている
 ☆現在の信託事業に似ており、ワクフをその起源と思われる
 ☆「慈善ワクフ」
 *モスク、学校、病院、孤児院の建設・維持・運営のために寄進される
 ☆「家族ワクフ」
 *収益の受益者を寄進者の家族、子孫、友人などに指名し
 *残りをワクフ施設の維持・管理に充てる
 *突然、国家によって財産を没収されることの防止策
 *財産をイスラム法に則った団体に寄進して守った

イスラム世界では女性の力が強い
 ☆イスラム法は女性への相続を認め、夫と妻の財産は区別されている
 *結婚前の相続や結婚後の保持に、家族ワクフを利用した
 ☆寄進は神に対してなされるものなので、永続性が求められた
 *農地、店舗などの不動産を寄進する際
 *必要となる家畜や機具などの動産も寄進対象になった
 *物件だけでなく、現金のワクフが誕生し利子の禁止を免れる方法だ
 ☆キリスト教では教会などへの寄進が蓄積されると
 *経済的のみならず政治的にも強大化した
 ☆イスラム教は教団がないので、そのようになることはない
 *ワクフは誰のものでもなく神のものであり
 *そのようなものを生み出すことで、法人の問題をクリアしてきた
 ☆ワクフの収益が公共施設の建設・維持・管理に充てられたことは
 *社会資本の充実を促し、税金を使わずインフラが整備された
 ☆イスラム教と金との関係、ユダヤ教と通じるものもある
 ☆それ故、ユダヤ人はイスラム世界で生きる道を選択した
                     (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『宗教になぜ金が集まるのか』




商人の宗教・イスラム教3(利子とワクフ)
(ネットより画像引用)
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「検察総長人事介入(黒川騒動への怨念)」が発端

2022年11月21日 | 官僚
🌸地検特捜部・安倍・菅政権への恨み晴らす

 ☆検察トリオを森元首相や竹田JOC前会長追及へ向かわせた

政界ルート専従班も動いている
 ☆「本丸は元首相だ」と東京地検特捜部関係者は語る
 *五輪汚職事件を巡り、森喜朗氏と竹田恒和氏
 *特捜部の任意聴取を受けていたことが報じられた
 *事件の落としどころはいまだに見えない
 ☆特捜部は政治家の関与諦めていないことは確かだ
 ☆全国紙検察担当記者がいう
 *特捜部はスポンサー契約の不正を洗い出すチームとは別に
 *政界ルートの専従班を動かしている
 *五輪招致で森氏が関与した明治神宮外苑の再開発など
 *大手ゼネコンも絡んだ巨大利権があるという
 ☆森氏のほか、菅義偉前首相や大物議員の名前も取り沙汰されている
 ☆現在の″高橋ルート″とは全く違った展開があるかもしれない
 ☆東京地検特捜部の狙い
 *20年以上政界を牛耳ってきた
 *森、小泉、安倍、福田ら清和政策研究会(安倍派)にあるのだ

発端は、安倍政権の検事総長人事介入事件(黒川氏)
 ☆次期検事総長含みで黒川氏の定年延長する閣議決定をしたことだった
 ☆黒川氏は安倍首相や菅官房長官とのパイプが太い
 *「政権に近すぎる」と批判を受けながらも
 *検事総長を受けようとしていた
 *賭けマージャンで黒川氏は辞職し
 *安倍政権は検察庁法改正も断念した
 ☆東京地検特捜部は安倍元首相側近の河井克行・案里夫妻を逮捕
 *安倍首相はその後、持病の再発で辞任に追い込まれる
 ☆安倍政権による検察人事介入の影響は完全に排除された
 ☆それを象徴したのが、東京五輪汚職
 *特捜部、高橋氏を調べた結果、「ボロボロ出てきた」(検察関係者)
 ☆東京五輪を舞台にした汚職事件の捜査
 *安倍元首相の存命中から行っていたもの

ゴーン事件担当の3人が再び登場
 ☆事件のカギを握っているのは、地検ナンバ2森本次席検事
 *森本氏は確実に将来の検事総長候補
 ☆地検トップの久木元検事正を含め3人の布陣で「強い検察」を目指す
 *久木元・森本・市川トリオ
 *ゴーン事件を担当したことでも連携を強めてきた
 ☆検察OBは語る
 *日本の検察の強みを仏検察にアピールするためにも
 *意外な展開を見せるかもしれない
 ☆高橋元理事を4回にわたって逮捕した
 *元皇族にして父が『スポーツの宮様』とされた竹田ルートに
 *手をつけるのではとの話もあるかも
                     (敬称略)                                     
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『THEMIS11月号』記事より画像引用)
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妖怪「鵺」退治に源頼政が選ばれた

2022年11月21日 | 歴史
🌸妖怪「鵺」退治に源頼政が選ばれた

 ☆平安時代、人々は「魔」を恐れながら生きていた
 ☆事故・病気などは「魔」の仕業だと考えた
 ☆平安末期の京の都は、みな怪異を避けるように暮らしていた
 ☆毎晩、東三条の森に黒雲が立ち上がる事件が起きた
 *黒雲が御所で、近衛天皇がうなされて苦しむ
 *御所で会議が行なわれ源頼政に命令下される
 (目に見えぬ変化のものを退治せよ)
 ☆源頼政が妖怪退治に任命された
 *堀河天皇が病気になった際の病魔退治で
 *源氏の棟梁が、御所で病魔を恫喝し病魔が去った事があった
 *源氏の武士で武勇に秀でていると頼政が選ばれた

『古事記』『万葉集』にも名が残る”奇妙な妖怪″
 ☆頼政、弓と矢・家来の井早太を従えて参内する
 *不気味な黒雲が清涼殿を覆い始めた
 *黒雲の中に怪しい何かを見た瞬間、頼政は矢を射た
 *恐ろしい悲鳴と共に、何かが落下した
 *家来の井早太が取り押さえてとどめを刺した
 ☆怪物は妖怪「鵺」
 *頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎
 ☆近衛天皇の体調は見る間に回復した
 *「鵺退治」源氏隆盛への一歩となった
 ☆現在、鳴き声はトラツグミ烏の声と言われている

その後の鵺は「馬」となり頼政に仕えた
 ☆その後、鵺はどうなったのだろうか諸説ある
 ☆鵺の祟りを恐れた京の人々は、死体を船に乗せて鴨川に流した
 ☆鵺の死体は大坂の芦屋川の浜に打ち上げられた説
 *芦屋の人々は「鵺塚」を作って弔った
 (現在、阪神声屋駅近くの松浜公園に鵺塚がある)
 ☆流された鵺の死体は淀川下流にある母恩寺で弔われた説
 *土に埋められ現在でも塚が修復され存在している
 ☆京都の清水寺に埋められたという説
 ☆鵺は頼政の母で、息子に手柄を立てさせるために変化した説
 ☆死んだ鵺の魂は馬と化し、頼政に「木下」と名づけられて飼っていた説
 ☆「鵺」事件より、頼政が打倒平家を掲げたが上手くいかず自害した
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妖怪「鵺」退治に源頼政が選ばれた
『日本史・意外な話』記事他より画像引用)
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