慶喜

心意気
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金融業に君臨したメディチ家2(初年度献上金)

2022年11月29日 | 宗教
🌸金融業に君臨したメディチ家2(初年度献上金)

初年度献上金が慣例化した
 ☆新たに聖職者になる人が初年度献上金を払う場合
 *多額の現金を持っていることは稀だった
 *融資をメディチ銀行などに頼るようになる
 ☆メディチ銀行は、初年度献上金の立て替えを依頼された場合
 *為替手形を振り出すよう求め、期日までに立て替え相当額
 *当該地の通貨で、払い込むことを約束する
 *商人の例と同様、為替差益を得る
 ☆聖職者が実際に払い込む金額
 *立て替え相当額に「贈り物」としての金額が上乗せされた
 *贈り物ですから自発的な行為だが、聖職者は拒否できず
 ☆巨額な贈り物が期待できる聖職者の叙階がなされると
 *メディチ銀行は初年度献上金の立て替えを取り扱えるよう
 *教皇庁の関係筋に賄賂を配るようなこともした
 ☆メディチ銀行は「乾燥手形」という形式を取ることもあった
 *毛織物や羊毛などのような商行為を名目に資金を提供したが
 *実際には商行為は行われず、お金だけが動く仕組み
 *実質的な利子をともなう融資で、一部の神学者は厳しく咎めた
 ☆メディチ家は「寛恕(かんじょう)されうる収益」と捉えていた
 *コジモなどは自らを「神からの借財人」と自任
 *贖罪の意識があれば利得も許されると考えた
 *儲けた金で教会を支え、教皇を支えると考えた
 ☆メディチ家は富を蓄えるいっぼう
 *教会や修道院の造営・修理、寄進等の宗教行為も行う
 *キリスト教社会は原罪の意識が強く、大きな利益を上げることは
 *贖罪がなければ正当化されないものだった

金儲けに対する批判、そして宗教改革ヘ
 ☆メディチ家の繁栄に重なるように起こったのが宗教改革
 ☆発端はメディチ家出身の教皇による贖宥状(免罪符)
 *贖宥状とは、教会が罪の許しを証明するもの
 ☆教皇はサン・ピエトロ大聖堂の建設費用を賄うためドイツで販売した
 *ルターはこれを批判する「95カ条の論題」を教会に掲げた
 *ルターは教会内で議論を巻き起こすために提議した
 ☆ルターは、教皇の贖宥で、人間はすべての罰から解放され
 *救われると説明する贖宥は誤っているとした
 *真に痛悔したキリスト者であれば
 *贖宥の証明書なしでも、その人が当然得ることができるはず
 ☆罪と罪過からの十分な赦しをもつ宗教改革が広まった背景
 *教皇および教皇庁が絶大な権力を保持していたことへの不満で
 *それを代弁したのがルターだった

宗教改革以降の利子問題
 ☆キリスト教世界はカトリックとプロテスタントに分かれた
 *両陣営の争いからイエズス会が誕生した
 ☆経済活動の高まりで、教会および聖職者のあり方は大きく変貌した
 *利子にかかわらぎるを得ない場面が増えていく
 *常に贖罪を意識が必要だった中世キリスト教社会
 ☆利子という問題が解決され
 *そのから解放されることで、近代の扉は開いた
 *利子を合法化することが
 *近代資本主義社会を切り開くことに結びついた
 *キリスト教世界においてだけ
 *資本主義が生まれ経済学が発展した
                   (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『宗教になぜ金が集まるのか』




金融業に君臨したメディチ家2(初年度献上金)
(ネットより画像引用)
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徳川家康は二度死んだ(影武者説)

2022年11月29日 | 歴史
🌸徳川家康は二度死んだ(影武者説)

 ☆徳川家康の生涯には、影武者の存在がつきまとう
 *世良田二郎三郎元信、小笠原秀政、家康の双子の恵最
 ☆75歳という当時としては長命だった
 ☆影武者どころか、数人で「徳川家康」を演じていた説もある

徳川幕府を開いたのは”家康の替え玉”だった
 ☆徳川家康は駿府の今川氏の人質となる
 *今川義元の下で武将として働いたのち
 ☆桶狭間の戦いで今川義元が戦死し家康は独立した
 *このとき、家康は暗殺され
 *世良田二郎三郎元信なる私生児の男と家康が入れ替わった
 (身代わに元信が選ばれ徳川家康として生きていった)

もし、大坂夏の陣で家康が死んでいたら
 ☆家康影武者説をテーマにした時代小説がいくつか発表されている
 ☆「家康影武者説」小笠原秀政と恵最説で落ち着いている
 *小笠原秀政は家康の家臣で、家康の孫娘・登久姫と結婚した武将
 *秀政は、大坂夏の陣で重傷を負い、死去したといわれている
 *実はこの戦で負傷したのは秀政ではなく、家康だったのだ
 ☆豊臣軍の猛攻に敗退する事態に
 *家康も自決する覚悟を決めたほどだった
 *形勢を立て直し徳川軍は大坂城を落とし豊臣氏を減亡に追い込んだ
 ☆この戦いの最中で家康が死んでいたとしたら?
 *大将なくして戦の勝利はありえない
 *家康の死を隠して身代わりを立てるくらい常識だったのだ
 *秀政が家康になり変わった
 ☆恵最は、家康の異母兄弟にあたる人物
 *家康と同じ日、同じ時刻に生まれた人物だといわれている
 *家康と双子の兄弟だったのでは
 ☆大坂夏の陣で家康が死亡した際に
 *甥の秀忠から影武者を頼まれたという説もある
 *恵最ほど、影武者にふさわしい人物はいなかっただろう

健康オタクの家康「天婦羅を食べすぎる」はずがない
 ☆京都で鯛の天婦羅が流行していると聞きつけた家康、それを作らせた
 ☆あまりの美味しさに何個も食べてしまった
 *家康はその晩に、食中毒症状を訴える
 *回復しては悪化の日々を送る長く患い、最期の時を迎えた
 ☆死んだ家康は、本人だったのか影武者だったのか
 *いまだ謎は解明されていない
 *健康オタクの家康、食べ過ぎての死亡考えにくい
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本史・意外な話』





徳川家康は二度死んだ(影武者説)
(ネットより画像引用)
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3年間で7千500万円貢いだ女性も

2022年11月29日 | 犯罪
🌸国際ロマンス詐欺はあなたの「いいね!」を狙う

愛をささやく投資詐欺と思え
 ☆SNSやマッチングアプリで知り合った外国人相手に恋をし
 *大金をつぎ込んでしまう「国際ロマンス詐欺」の被害が急増中
 ☆国際ロマンス詐欺の相談を多く受ける弁護士は語る
 *投資詐欺相談の半数近くがいわゆるロマンス詐欺に絡むもの
 *被害者の割合に男女の差はなく年齢層も広い
 ☆詐欺の手回は巧妙だ
 *SNSで「話し相手に」「日本が好き」のメッセージから始まる
 *投資が夢を叶える手段のように誘導する

⛳コロナ禍とIT技術の発達が拍車をかける
 ☆被害が拡大している2つ理由
 *AIの進歩により言語を自動で翻訳できる
 *脳の作用で、恋をするとドーパミンの分泌量が増加する
 (集中力が増し、報酬を得るために脳が興奮し駆り立てられる)
 (相手に夢中になり、文化の違いも後押しする)
 ☆少額でも一度金を出してしまうと
 *それを取り戻すまではやめられなくなる
 *損切りがなかなかできない株取引やギャンブルと同じ

騙された金は取り戻せない
 ☆詐欺師は足がつかないような方法を選んでいる
 *「編された金を取り戻すことはほぼ不可能」だ
 *返金できると謳う弁護士事務所が多く存在する
 ☆近年は、高額を編し取れる40~60代の中高年が狙われている
 *金を払うと自分の意思を取り戻せず泥沼へ
 ☆3年間で7千500万円貢いだ女性もいる
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『THEMIS11月号』


3年間で7千500万円貢いだ女性も
『THEMIS11月号』記事より画像引用)
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世界の偉人(ハリエット・タブマン)

2022年11月29日 | 歴史上の人物
🌸世界の偉人(ハリエット・タブマン)

 ☆アメリカ合衆国元黒人奴隷、奴隷解放運動家、女性解放運動家
 ☆タブマン、黒人の逃亡奴隷をひそかに領外に逃がす
 ☆秘密結社「地下鉄道」の指導者のひとりとして知られている
 ☆20ドル札のデザインにアフリカ系アメリカ人として初めて採用され

タブマン出生から活動を始めるまで
 ☆メリーランド州で、黒人奴隷である両親から生まれた
 ☆5歳からメイド兼子守りとして働きはじめた
 ☆黒人ジョン・タブマンと結婚
 ☆長年の奴隷生活に堪え、奴隷監督の殴打などの虐待に耐えた
 ☆逃亡奴隷の懸賞金に関する公告に弟の名前がある

タブマン、奴隷解放運動から南北戦争への従軍
 ☆アメリカで機能した「地下鉄道」の経路図
 *黒人奴隷を自由州やカナダに逃がす秘密の脱出ルート
 *安全な隠れ家を結ぶネットワークが築かれた
 *「車掌」と呼ばれた引率者が逃亡奴隷を運んだ
 ☆タブマンは、「地下鉄道」に加わる
 *地下鉄道の「車掌」としてその運行をはじめた
 ☆タブマンの後述の自叙伝によれば
 *300人余りの奴隷の「乗客」だれも捕まることなく自由に導いた
 *タブマン自身も一度も捕まらず「車掌」として成功をおさめた
 *その活動のリーダー的な存在になった
 ☆タブマンに掛けられた賞金額は合計4万ドルを超えた

タブマン権利活動家として活躍
 ☆南北戦争が終わり、南部での奴隷解放の後
 *黒人と女性の権利のために活動家として活躍した
 ☆黒人の退役軍人ネルソン・デービスと再婚した
 ☆タブマンは「タブマン将軍」と呼ばれ
 *「この大陸でもっとも勇敢な人物」と賛辞された
 ☆タブマンは、肺炎で93歳死亡した
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、NHK『英語ニュース』世界の偉人、WIKIPEDIAより




世界の偉人(ハリエット・タブマン)
(ネットより画像引用)
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