🌸日本と天皇の始まり(神道と天皇の結びつき)1
⛳神道とは何か(神仏習合の中で形成された自覚)
☆日本の神道を宗教として捉えることは至難である
*神道には、教祖も教義も経典もなく、ただ清浄で穢れれないことを希求する
*「畏れ多い・有り難い存在としての神」がある
☆神道史に踏み込めば、天皇制の正統性・権威付けに関わる問題となる
*神道は政治のテーマに近づき
*単純に「アニミズム」として決めつけるわけにもいかない
☆神道の古層には、日本民族の大古の記憶があるともいえる
☆縄文時代
*縄文人の心に「自然への崇敬」「すべてのものに魂が宿る」「精霊崇拝」が芽生えた
*弥生人において定住・農耕生活の中で先祖への「祖霊崇敬」の念が高まり
*日本人の意識の基底を形成したといえる
☆古墳時代
*大和での王権が確立される頃、山そのものを御神体とする三輪山神祗が始まった
*三輪山の麓の周辺がヤマト王権の発祥地とされ
*神話の世界たる5世紀の「倭の五王」以前の天皇(16代仁徳天皇以前の天皇)
*この地域に都宮を配置したとされる
☆伊勢神宮の起源
*都宮のある大和にとって伊勢は太陽が昇る東に位置
*太陽神たる天照大神を祀るにふさわしいとの判断があった
*伊勢神官の創建は、天武・持統天皇期に社殿が造営された
☆律令体制での「神祗官」の下
*「古代国家神道」といえる態勢が構築されていった
*天照大神を主祭神とする天孫降臨神話
*壬申の乱の後の天武・持統期に確立する
*この乱における、大海人皇子の行路と「天照望拝」伝説
(吉野脱出後の三重の郡家で皇祖神を拝し勝利を得たとする認識)
*伊勢神宮を最高神とする天武朝以降の展開をもたらした
⛳親鸞の神道に対する姿勢
☆親鸞は法然の「神祗不拝」(日本古来の神々を拝まず)を受け継ぐとされている
*しかし親鸞は、阿弥陀仏への帰依により「天神地祗」が念仏者を護るという
☆仏教優位の神仏習合の考えを展開していた
⛳日蓮の神道に対する姿勢
☆日蓮は仏教の他宗派を激しく批判攻撃する
*他方、当初法華経に基づく「正法」を擁護する神々の中心に
*天照大神、八幡菩薩菩薩を置く姿勢を示した
☆日蓮の神祗への姿勢は、年代経過で微妙に変化していた
*神祗の受容から懐疑、そして批判へと変わっていった
☆日蓮の死後、日蓮宗における神祗信仰の位置付けは「三十番神信仰」とされた
*1ヵ月の30日を30の神々が交代で法華経護持に当たるという認識
*熱田・諏訪大明神、天照皇太神、八幡大菩薩などが三十番神として役割を果たす
☆親鸞と日蓮という鎌倉仏教の優れた二人の思想家
*仏教を護持する守護神として神祗を提えていた
(敬称略)
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