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右翼の人物と事件7(赤尾氏・児玉氏)

2019年12月13日 | 左翼右翼
赤尾敏氏

 ☆銀座の数寄屋橋で毎日のように「親米反ソ」のがなり声で、時局演説を繰り返す
 ☆赤尾氏は、青年時代には一時社会主義運動に傾いた時期があった
 ☆赤尾氏は突飛なことを考えた
 *労働者の祭にメーデーがあるなら、国民的な祭り「建国祭」を思いついた

「建国祭」を実現
 ☆第一回建国祭は、皇居前広場で、10万人以上の人が集まった
 *赤尾敏氏は右翼として鮮烈なデビューを果たした
 ☆建国会は、単なる右翼団体ではない
 *社会主義思想も加味した理論的にもしっかりした団体だった
 ☆国家主義団体のなかで、最初に「国家社会主義」を標榜した
数寄屋橋の反骨右翼
 ☆赤尾敏氏が数寄屋橋で時局講演を始めたのは“64年頃から
 *日本愛国党の総裁として、雨の日も風の日も街宣車の上に立った
 ☆赤尾氏の信念を支えたもの
 *戦後台頭してきた左翼勢力に対する警戒心だった
 *街宣車には、いつも日の丸と並んで星条旗が翻っていた
 ☆赤尾氏は児玉氏や笹川氏のリッチな右翼にくらべて清貧のイメージ
 *大企業のガードマンをやったり、債権取り立て等はしてない

児玉誉士夫氏

 ☆児玉氏は、日本の政治経済の裏面で糸を引いていた人物

”超”黒幕の誕生
 ☆戦前は右翼テロリストとして名は知られていた
 *戦後の巨大さを想像させるような大物ではなかった
 ☆中国に渡って、海軍の委託をうけて物資の調達に当たる
 *資金面での才能が開花したようだ
 ☆戦後、鳩山一郎が総理になれたの、児玉氏が提供した莫大な資金があったおかげ
 ☆児玉氏は、政界・財界・CIAを通じてアメリカにも広範なネットワークを持つ
 *情報網のなかで依頼事や揉め事を処理できる最高度の技術を持った人物だった
 ☆児玉氏は、ヤクザや暴力団といわれる組織へも顔がきいた
 ☆ある一つの事件が起こる
 *児玉氏が一方の当事者につく、敵対する当事者には児玉に親しい某がつく
 *児玉と某は表に顔を見せることはない
 *裏方同士で話を決めてしまう
 ☆こういう芸当ができる日本一の腕を持っていた
60年安保で右翼を結集
 ☆60年安保改定を前に岸内閣は窮地に陥っていた
 ☆国会周辺は学生、労働者のデモが連日押しかけ、”革命前夜”の様相を呈していた
 ☆国会議事堂南通用門で繰り広げられた学生と機動隊の死闘
 ☆社会主義革命への危機感を募らせた右翼陣営は、児玉氏を頼った
 ☆児玉氏は見事にこの期待に応えた
 *一人一党、バラバラの主張を唱える陣営をひとつにまとめた
 *左翼勢力に対して、武力闘争も辞さないと右翼の気迫を見せつけた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












右翼の人物と事件7(赤尾氏・児玉氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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