🌸人生のシステム3
⛳「我が身を知る心」(壮年期後期)
☆観客には花があるとは見えないのがこの頃である
*頂点をきわめた者でも、ようやく衰えがあらわれる
*この時でもまだ花が失せないとすれば、「まことの花」である
*この時でもまだ花が失せないとすれば、「まことの花」である
*この年頃では、あまり難しいことはやらず
*自分の得意とするものをやるべきだ
☆この年代においてしなければならないこと
☆この年代においてしなければならないこと
*重視しているのは、後継者の育成である
*自分がダメになってから、後継者を育成するのではなく
*自分がダメになってから、後継者を育成するのではなく
*むしろ自分がまだまだと思っている頃に
*後継者の育成をするのが良いにちがいない
☆自分がまだまだやれるだけの体力も気力も残っている時にこそ
*自分の経験をそのままに向 伝えることができる
*盛りの時こそ、その盛りの時の知恵と方法を教えるのが必要
*盛りの時こそ、その盛りの時の知恵と方法を教えるのが必要
☆自分が本当に衰えてからだと
*後継者の育成は、自分ができもしないことを教えてしまう
☆「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」
*自分の身を知り、限界を知る心こそ、名人の心というものである
☆「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」
*自分の身を知り、限界を知る心こそ、名人の心というものである
⛳「まことの花」(老年期「50歳以上の能の役者」)
☆世阿弥はまだ38歳頃にこれを書いている
*自分の経験を語っているわけではなく
*父のことを語っているといっている
*そこには花の残る姿が見えてくる
☆父の観阿弥が逝去する直前の能のことが出てくる
*老木にも花は咲く。それが世阿弥の理想であった
☆私たちが老いた時のために
☆父の観阿弥が逝去する直前の能のことが出てくる
*老木にも花は咲く。それが世阿弥の理想であった
☆私たちが老いた時のために
*「せぬならでは手立てあるまじ」まったくそうだ
⛳人生の完成としての老い
⛳人生の完成としての老い
☆世阿弥のこの人生論の中心は、「老い」である
*人間は確実に老いる
*7つの段階のなかで、華やかな時代は、12・3歳の童子の頃
*人々は無条件にこの時期の少年を賛美する
*年をとるごとに、難しい関門が待ち受けている
*年をとるごとに、難しい関門が待ち受けている
*いずれの難関も、年をとること自体が投げかけてくる難関である
☆最後の難関が、「老い」である
*世阿弥の人生論は、若年の若さの力から
*中年の自らの意志によって選択する世界にいたり
*老年の自由の境地へと進む
*この自由の境地のために人は年をとるのだともいえる
*そこに自由の境地がなければ、年をとるかいがない
☆老いに希望などないというのは嘘である
*老いにこそ、今までの拘束から自由になった新しいものへの道がある
*老いてボケるまで間に得られる自由を
*人生のプレゼントとしなかったら
*本当に年をとったかいがないのだ
☆世阿弥の不安定な生活との対話が
☆世阿弥の不安定な生活との対話が
*世阿弥という芸術家の人生であり、すべてであった
*翻ってつまりそれは、あなた自身のことである
*この不安定なものとのかかわりのなかで、 いかにして生きるのか
*そして、自由という完成の場所へと立つこと ができるのかだ
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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⛳出典、『世阿弥の言葉』
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⛳出典、『世阿弥の言葉』
『壮年期後期』『老年期』『老い』
(『世阿弥の言葉』記事、ネットより画像引用)
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