慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『壮年期後期』『老年期』『老い』

2024年09月25日 | 人生訓
🌸人生のシステム3

⛳「我が身を知る心」(壮年期後期)
 ☆観客には花があるとは見えないのがこの頃である
 *頂点をきわめた者でも、ようやく衰えがあらわれる
 *この時でもまだ花が失せないとすれば、「まことの花」である
 *この年頃では、あまり難しいことはやらず
 *自分の得意とするものをやるべきだ
 ☆この年代においてしなければならないこと
 *重視しているのは、後継者の育成である
 *自分がダメになってから、後継者を育成するのではなく
 *むしろ自分がまだまだと思っている頃に
 *後継者の育成をするのが良いにちがいない
 ☆自分がまだまだやれるだけの体力も気力も残っている時にこそ
 *自分の経験をそのままに向 伝えることができる
 *盛りの時こそ、その盛りの時の知恵と方法を教えるのが必要
 ☆自分が本当に衰えてからだと
 *後継者の育成は、自分ができもしないことを教えてしまう
 ☆「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」

 *自分の身を知り、限界を知る心こそ、名人の心というものである
                   
⛳「まことの花」(老年期「50歳以上の能の役者」)
 ☆世阿弥はまだ38歳頃にこれを書いている
 *自分の経験を語っているわけではなく
 *父のことを語っているといっている
 *そこには花の残る姿が見えてくる
 ☆父の観阿弥が逝去する直前の能のことが出てくる
 *老木にも花は咲く。それが世阿弥の理想であった

 ☆私たちが老いた時のために
 *「せぬならでは手立てあるまじ」まったくそうだ

⛳人生の完成としての老い
 ☆世阿弥のこの人生論の中心は、「老い」である
 *人間は確実に老いる
 *7つの段階のなかで、華やかな時代は、12・3歳の童子の頃
 *人々は無条件にこの時期の少年を賛美する
 *年をとるごとに、難しい関門が待ち受けている
 *いずれの難関も、年をとること自体が投げかけてくる難関である
 ☆最後の難関が、「老い」である
 *世阿弥の人生論は、若年の若さの力から
 *中年の自らの意志によって選択する世界にいたり
 *老年の自由の境地へと進む
 *この自由の境地のために人は年をとるのだともいえる
 *そこに自由の境地がなければ、年をとるかいがない
 ☆老いに希望などないというのは嘘である
 *老いにこそ、今までの拘束から自由になった新しいものへの道がある
 *老いてボケるまで間に得られる自由を
 *人生のプレゼントとしなかったら
 *本当に年をとったかいがないのだ
 ☆世阿弥の不安定な生活との対話が
 *世阿弥という芸術家の人生であり、すべてであった
 *翻ってつまりそれは、あなた自身のことである
 *この不安定なものとのかかわりのなかで、 いかにして生きるのか
 *そして、自由という完成の場所へと立つこと ができるのかだ
                      (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世阿弥の言葉』




『壮年期後期』『老年期』『老い』
『世阿弥の言葉』記事、ネットより画像引用)

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