慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

菅義偉氏「家の事情」

2021年04月06日 | 政治家
🌸日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」

 ☆姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”

⛳国民に衝撃を与えた不祥事の「淵源(えんげん)」
 ☆横浜港を一望するタワーマンションの上層階の一室
 *総理夫人・菅真理子は起居している
 ☆赤坂の議員宿舎住まいを続ける菅総理、私邸に戻ることは少ない
 ☆総裁選で、総理を支持する議員作戦を提案する
 *『奥さんも(真理子さん)前面に出たほうがいい』と
 ☆菅さんの選対幹部は述べた『菅さんの奥さんはタブー』
 *総理になってからも、総裁選の最中も、絶対にその話題に出すな
 *それは、菅さんの意向だから
 ☆「総理の息子」が総理の威光を利用した前代未聞の不祥事
 *中央省庁に便宜供与を求める等の

⛳菅義偉(政治家)の半生と、菅の家族が抱える「家の事情」
 ☆菅総理の秋田からの上京物語
 *板橋の段ボール工場や喫茶店でのアルバイトを2年ほど転々とする
 *法政大学法学部に入学し、卒業後は一般企業に就職する
 *一念発起し、議員秘書に志願した(小此木彦三郎の秘書)
 ☆菅氏は、法政大の学生課を介して小此木事務所入りした
 *秘書たちの最下層に組み込まれ、雑巾掛けの日々を送った
 ☆菅の後に事務所入りした、5歳年下の女性(真理子夫人)
 *真理子さんは、小此木家の家事、小比木の子供の面倒を見た
 *真理子さんは、黙々と働いているような清楚な人だった
 *秋田弁が抜けずに口下手な菅さんにも、優しく接していた
 ☆出会いから3年ほどで、菅と真理子は結婚する
 *真理子さんに関して噂が立つ「真理子さんは再婚らしい」
 ☆本誌はは真理子の実兄・隆さん(仮名)との一問一答
 *真理子さんは、地元で結婚していたとも聞きましたが本当でしょうか?
 (若い頃のことですから、話したくない)
 *大学を出て、すぐに嫁いだのですか?
 (真理子も、先方への迷惑心配しているので勘弁してほしい)

⛳真理子さんの兄、事情を知る地元住民の話を総合すると
 ☆真理子は’75~’76年ごろ、いちご農家に嫁いだ
 *姑や夫の姉妹との折り合いが悪く、半年ほどで実家へ戻った
 ☆真理子さんは、清水市内の食料品卸店に生まれた
 *県内有数の進学校・清水東高校に進み、静岡女子大学を卒業している
 ☆当時、大卒女性が農家に嫁入りすること自体が異例
 *「農家の金目当てで結婚して失敗した」と言いふらす人もいた
 ☆横浜という新天地で得た菅との出会い
 *彼女にとっても大きな励みとなっただろう

⛳菅は小此木事務所の先輩秘書らをごぼう抜きで出世する
 ☆小此木が通産大臣に就任すると、大臣秘書官の座を射止める
 ☆以後、横浜市議選で初出馬初当選、'96年には国政に打って出た
 ☆女房と手を繋いで歩くなんて、男じゃねえ
 *女房は三歩下がらせて歩かせるんだ
 *議員バッジを得た菅は、自民党の市会議員らにそう話していた
 ☆菅が真理子に要求したのは
 *自身の傍らで笑顔を振りまくのではなく
 *ひたすら陰で地道に菅を支える役割だった

政治家となってからの菅
 ☆真理子を極力目立つ場所に置かないようにしてきた
 *総理となった現在も、議員らに真理子さんを「禁忌」扱いさせている
 ☆その背景には
 *真理子と家庭を築くまでの「複雑な事情」があったのでは
 ☆その事情は、菅家にまつわる、別の憶測を招く
 *国政を揺るがした長男・正剛は
 *菅と真理子の子ではない―真理子さんの連れ子
 ☆噂の発端は正剛自身の言葉だった
 *正剛さんの弟にあたる次男は東大を出て三井物産勤務
 *三男は大成建設に入社して立派に社会人として活躍している
 *正剛さんは明治学院大学を卒業するとバンド活動に明け暮れる
 *フリーターとなり、見かねた菅さんが総務大臣秘書官をやらせた
 *正剛さんは、自虐を込めてか?
 (『俺は(弟達とは)親が違うから』と口走ることがあった)
 ☆正剛誕生のあと、菅は本格的に小此木事務所の「番頭」への道を歩む
 *昼も夜も土日もなく働き、いつも両目は充血していた
 *身を粉にして働く菅を小此木も重用した
 ☆仕事にのめり込む菅を横目に
 *真理子さんは、ひとり正剛のお守りをする日々を送った

⛳政治家の因果な商売のツケ
 ☆三男が誕生した直後横浜市議選で菅は初当選を果たす
 ☆3人息子をほぼ女手ひとつで育てることになった真理子さん
 ☆成長した正剛は、地元の少年野球チームに入った
 *菅が練習に付き合ったり、試合を見に来たりすることはなかった
 ☆菅氏は、自身の野望のために、家庭を顧みようとしない父親
 ☆正剛の、家庭を、母を、自分を軽んずる父への反発か?
 *名門の逗子開成中高に進学した正剛
 *「政治家の息子」として扱われることに強い嫌悪を示す
 *正剛、菅への不信と疎外感抱かせた
 ☆正剛に「俺は親父の子じゃない」という思いを抱かせたのかも

⛳正剛氏、真理子さんの連れ子である可能性は低い
 ☆真理子は大学を出て前夫と結婚したが
 *’77年には実家に戻り、正剛は’81年生まれ
 ☆菅氏は正剛の接待疑惑が報じられたあと
 *国会で「(息子は)完全に別人格」と述べた
 ☆菅はこれまで、正剛を自身の大臣秘書官にし
 *正剛が東北新社で「総理の息子」の威光を利用することも黙認してた
 *菅の中に「家族を打ち捨て出世に邁進した結果」
 *わが子の人生を台無したという罪の意識があったからでは
 *その贖罪のために、菅は正剛を甘やかしてきたのではないか

菅の母・タツは横浜のある支援者に、こうこぼした
 ☆「義偉は、因果な商売についてしまったねぇ」
 *叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには
 *他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった
 ☆「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている
 ☆総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『週刊現代』より










菅義偉氏「家の事情」
(『週刊現代』記事より画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ベトナム戦争とプラハの春7... | トップ | 『『国家と宗教』』20(政... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治家」カテゴリの最新記事