タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

インドネシア、エコツアー

2013年05月02日 | タカの渡り
タカカノたちが行ったインドネシア・エコツアーの写真をホームページに載せたと言う連絡が、このエコツアーの世話をされたアダムさんから、日本の仲間を経由してタカ長のところにも届きました。

関心のある人はこちらをクリックして下さい。タカカノたちは2010年と2012年のツアーにはタカカノも写っています。

    

これがアダムさん。昨年10月にタイのチュンポンで会ったことがあるので、エコツアーに参加しなかったタカ長でも分かります。なかなかの好青年です。

    

このツアーの世話をされるのはARRCNの会長さんですが、会長さんの世話をされるツアーはすべて現地の鳥屋さんに世話をしてもらってます。旅行社の世話ではありません。そのためいつもその国の鳥屋さんにお世話になります。その交流が良いのですね。

好きなネイチャーのこと、鳥のことですから、言葉は不自由でもすぐに友だちになります。それが良いのです。旅行社の世話するツアーとはひと味もふた味も違った旅になります。

    

タカカノが撮った写真です。平素写真をまったくと言って良いくらい撮らないタカカノでもコンデジでこれくらい撮れたのですから、鳥との距離が近いのですね。

このようなことを紹介していたら、、、、南の国に行きたくなりました。

このインドネシアはもちろんですが、マレーシアにもベトナムにも友だちがいます。タイに行ってもインドに行っても、フィリピンに行っても私たちの仲間がいます。

そのどこかへ行ってみたいなぁ、、、、。




影面の道を歩いて

2013年05月02日 | 日々雑感
2回にわたり、私たちの町の「影面の道」を歩きました。昨日歩いたのはそのうちの、地元中の地元、私が子ども時代を過ごしたところです。もちろん「影面の道」の存在など知る由もありませんでした。

         

いまは市街地になっている私たちの町ですが、そのころは田園地帯で、その中をあぜ道みたいな小さな道がありました。そのみちがどうやら「影面の道」だったようです。里山のそばを小さな道が蛇行しており、山から冷たい水が流れ出ているところもありました。

古代の私たちの村はほとんど湿地だったらしく、影面の道は山すそにそって通っていた、と資料にありますから、私たちが子どものころ遊びまわっていた道が影面の道だったことは間違いありません。

    

その山すそにこのような、小さい平地があったことは記憶にありません。昨日の説明では、ここは「宝神社跡」だと言うことでした。そのむかし、十五世紀この地の氏神様としたと言うことですが、歴史的な背景はいちど説明をきいただけではうまく説明できません。

この近くには城主の名前が不明の深入城があったとか、そのそばに鎌倉時代に山入寺があったとか、、、この地に生まれ育ったものでも知らないことばかりでした。

    

影面の道は古代日本の一番大切な道であったわけですから、そのそばに多くの社寺仏閣があり、その遺跡が今に伝わっていることは、考えてみればごく当然なことです。その遺跡の何ヶ所かを歩いてみても、、、、

先生の説明はなかなか理解できないのですが、この道を菅原道真の時代の人も、源平の合戦の時代も、、、厳島の合戦のときも、、、そして幕末の志士たちも、、、、、多くの人たちが歩いてきたことだけは理解できました。そしてそこを歩いた人たちにはそれぞれの思いがあり、ここで生活した人それぞれに歴史があることも感じました。

私たちが学校で習った歴史は権力者の栄枯盛衰の歴史だと言って良さそうですが、歴史は権力者だけにあるのではありません。地方の小さな豪族や、さらにその下の普通の人たちにも深い歴史があり、その流れの先にいまの私たちが生きていることも実感しました。

社寺仏閣にしても、、、、それらは奈良や京都、あるいは鎌倉と言った、有名なところだけにあるのではありません。そんなことはいまさら語るまでもない、極々当り前のことですが、その当たり前のことを実感したのが影面の道の歴史散歩でした。