タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

小さな野球場

2018年12月10日 | 日々雑感
    

先日の忘年会の会場からの展望です。

ホテルの8階、この展望がウリの会場です。

左の遠くに見えるのが安芸の宮島です。その左に窓が白く光っている下に何か見えます。

右方向の重機のところにも、、、、、

    

ズームインするとそこが野球場であることが分かるはずです。左側にはレフトスタンドの一部が見えていました。

そう、ここは広島人には忘れられない野球場なのです。

鯉軍団、広島カープが誕生したころこの球場をホームグランドとしていました。

タカ長が小学生のころ何度か広島カープの試合を見に行ったことがあります。

バスで球場の向こうに見える川(太田川放水路)の向こうの草津までゆき、そこから徒歩で太田川放水路へ、、、、そして、、、

この放水路は渡し船で渡り球場に行きました。そのころは橋が少なかったのです。

今では日本中どこをさがしても、渡し船に乗ってプロ野球を見に行くところは無いはずですから、思えばとても貴重な記憶です。

    

画像右側のアームの先に一塁側のベンチが見えます。

このベンチは当時のものとは違って改修されているようです。

当時はベンチの屋根も傾斜がつけられ、その上で観戦することも許されていました。

タカ長たちもその一塁側ベンチの上で観戦したかったのですが、田舎から球場に行くのですから、いつも誰かに先を越されていて、、

仕方なく三塁側のベンチの上で観戦しました。

そのころ広島カープは弱小チームで、、、、場内放送で、、、、

「松竹ロビンス 先発は真田、、、、」と聞いただけで「今日も負けだぁ、、、、」と観念したものです。

広島カープが勝ったのを見た記憶はありませんが、、、、

「昨日、〇〇選手があそこへ二塁打を打った、、、、」と右中間方向を指さしながら、ものすごいものを見たような、、、、何かしら自慢たらしく話していた大人の人のことはハッキリ覚えています。

いまの常識では、とてもプロ野球が出来るような野球場ではありませんが、広島人には忘れられない野球場です。

まわりにビルが建ち、その全景を見ることは出来ませんでしたが、内野の一部を見ただけで子どものころが思い出され、このような写真を撮っていました。