今朝は雨予報だったので、安心して朝寝坊しました。
そしたら、、、、何と何と、、、、朝起きたら薄日が差していました。その時間から山準備をするのは億劫なので、今日の裏山歩きはキャンセルしましたが、、、、
仲間たちはどうしているのかなぁ?完全な晴れではありませんが、雨の心配はない天気ですから、皆さんは歩いているかも分かりません。
山の話題がないので、先日考えたことを記事にします。
来年のパラリンピックの1年前と言うことで、テレビがその関係のことを放送していました。
それは良いのですが、タカ長に言わせると、その回数が狂ったくらい多くて、いくら何でもやりすぎではない???
と、感じたのです。パラリンピックのことだけではなくて、何かがあるとそれをあおるような感じで、くどいくらい放送しています。
それを見ながら、2020が終わったら火が消えたようになるのでは、という心配が頭をもたげてきたのです。
どのような意図で番組がつくられているのか知りませんが、物には限度と言うものがあるような気がしたのです。
いま、これでもかと言うほどスポットライト当てておいて、事が済んだら知らんふりでは、最初からスポットライトなど当てないほうがいいのではないか、というような気もするのです。
タカ長の子どもが小学校に行っているころのことです。タカ長はPTAの広報関係の役をしていました。
そのころ、障害のある子どものことを取り上げたことがあります。その詳細は忘れてしまいましたが、その時、障害をもつ子どもの保護者から、、、
過度な心遣いは逆差別になるのですよ、と言われたことは今も忘れていません。
記事の詳細は記憶していませんが、たとえば、写真1枚を載せるときに「この写真は本文とは関係ありません」と言うようなことを書き加えることは過度な配慮になる、、、、
そのようなことを言われたのです。障害があるのは事実なのだから、そのことを避けるでもなく、拡大するでもなく、そのまま扱ってほしい、と言うことではなかったかと思いました。
障がい者総合研究所が、2017年に東京オリンピック・パラリンピックの1000日前イベントのころ、障害者に行ったアンケート調査の結果です。(有効回答者492名)
これを見ると、東京パラリンピックで「すべての障がいへの理解が進むと思う」と答えているのはわずか13%です。
先日のテレビでも見ましたが、テレビで見るような選手は、要するに「雲の上の存在」であって、パラリンピックの選手の活躍と、自分たちの実生活は別物だと意識されているのでしょう。
当の障害者から理解が得られているとは言えないようなパラリンピックのことを、これでもか、これでもかと言うほど流すのは、健常者の、上から目線の思い上がりのような、、、、、、
そのようなことを考えるのはタカ長だけでしょうか?
障害者への理解とはもっと別のところにあるような気がするのですが、、、、、、、。
そしたら、、、、何と何と、、、、朝起きたら薄日が差していました。その時間から山準備をするのは億劫なので、今日の裏山歩きはキャンセルしましたが、、、、
仲間たちはどうしているのかなぁ?完全な晴れではありませんが、雨の心配はない天気ですから、皆さんは歩いているかも分かりません。
山の話題がないので、先日考えたことを記事にします。
来年のパラリンピックの1年前と言うことで、テレビがその関係のことを放送していました。
それは良いのですが、タカ長に言わせると、その回数が狂ったくらい多くて、いくら何でもやりすぎではない???
と、感じたのです。パラリンピックのことだけではなくて、何かがあるとそれをあおるような感じで、くどいくらい放送しています。
それを見ながら、2020が終わったら火が消えたようになるのでは、という心配が頭をもたげてきたのです。
どのような意図で番組がつくられているのか知りませんが、物には限度と言うものがあるような気がしたのです。
いま、これでもかと言うほどスポットライト当てておいて、事が済んだら知らんふりでは、最初からスポットライトなど当てないほうがいいのではないか、というような気もするのです。
タカ長の子どもが小学校に行っているころのことです。タカ長はPTAの広報関係の役をしていました。
そのころ、障害のある子どものことを取り上げたことがあります。その詳細は忘れてしまいましたが、その時、障害をもつ子どもの保護者から、、、
過度な心遣いは逆差別になるのですよ、と言われたことは今も忘れていません。
記事の詳細は記憶していませんが、たとえば、写真1枚を載せるときに「この写真は本文とは関係ありません」と言うようなことを書き加えることは過度な配慮になる、、、、
そのようなことを言われたのです。障害があるのは事実なのだから、そのことを避けるでもなく、拡大するでもなく、そのまま扱ってほしい、と言うことではなかったかと思いました。
障がい者総合研究所が、2017年に東京オリンピック・パラリンピックの1000日前イベントのころ、障害者に行ったアンケート調査の結果です。(有効回答者492名)
これを見ると、東京パラリンピックで「すべての障がいへの理解が進むと思う」と答えているのはわずか13%です。
先日のテレビでも見ましたが、テレビで見るような選手は、要するに「雲の上の存在」であって、パラリンピックの選手の活躍と、自分たちの実生活は別物だと意識されているのでしょう。
当の障害者から理解が得られているとは言えないようなパラリンピックのことを、これでもか、これでもかと言うほど流すのは、健常者の、上から目線の思い上がりのような、、、、、、
そのようなことを考えるのはタカ長だけでしょうか?
障害者への理解とはもっと別のところにあるような気がするのですが、、、、、、、。