タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

落ち葉の尾根歩き

2018年11月16日 | 山歩きから
    

広島県では有名な十方山の南にある市間山から立岩山への尾根は落葉樹の尾根です。

市間山の手前から立岩山の先まで、タカ長の足では1時間半以上かかるのでしょうか、その尾根歩きは落ち葉を踏んでの尾根歩きになります。

このようなコースは近郊ではめずらしいので、タカ長としては好きなコースです。

しかし、山と渓谷社の分県登山ガイドには紹介されていないので、ご存知の人は少ないのかも分かりません。

  

と書きましたが、、、、、

今日の登山中に会った唯一の登山者は山口県の宇部から来られたグループでした。

県外から来られる登山者もいるようですから、この尾根は有名なのでしょうか???

    

この尾根ではサルメンエビネの花を見ることが出来ますが、、、、、

もちろん、この時期には咲いていません。この時期のウリは落ち葉の尾根歩きです。

  

写真としては順不同ですが、、、、

とにかくこのように落ち葉を踏みながら立岩山の山頂を目指しました。

  

残念だったのは天気が曇りだったことです。

裸木の森を歩くのはこの時期の楽しみですが、そこに太陽の光があるとその楽しみは倍増、、、いや何倍増になります。

その楽しみがなかったのが少しだけ残念です。

    

立岩山の山頂からの展望です。

左が十方山で右端が市間山です。パノラマ写真です。

左下に立岩ダムが見えます。

この展望を楽しみながら昼食、、、、、といいたいのですが、山頂は風があったので、山頂の先で風を避けながら昼食を済ませました。

    

単純に往復しただけの登山でした。

気分的にはロングコースだったのですが、実際は1万数千歩、わが裏山を歩くのと同じような歩数だったようです。

歩数的には同じでも雰囲気はまったく別です。

タカ長的には落ち葉の尾根歩きが好きです。

    

仲間に撮ってもらった本日のタカ長です。

あえてコメントしません。






山の取説

2018年11月15日 | 山歩きから
今日もきれいに晴れました。しかし、、、

このところのタカ長はご機嫌ななめ(?)なのです。

その原因はスカッとしない登山のことです。

自分の登山とか仲間たちとの登山にも問題はあるようですが、それ以上に気に食わないことが多いのです。

    

そのひとつがテレビで発信され続ける山情報です。

山に行けば楽しいことばかりありそうなことが放送されていますが、山は危険なところでもあることはほとんど放送されません。

山は招くとか、、、天下の絶景とか、、、きれいごとばかり放送しています。

先日の番組では登山を始めて初めての人が谷川岳の西黒尾根を登っていました。

いくら若いといっても、、、、それがガイド付きの登山であったとしても、足腰がふらついているような人を西黒尾根を登らせるとは、、、、

しかも、そのタレントさんに「今日が生まれて初めての登山です、、、、」というようなことをコメントさせるとは、、、、

番組作成の意図が全く分かりません。

テレビ番組が安易に登山に誘うから、初心者がその誘いに乗って山に行き、事故を起こすことが増えているのではないか?

2006年から「百名山」の放送が始まり、それまで横ばいだった遭難者の数が右肩上がりに転じています。

これって単なる偶然?

    

タカ長が山グループを立ち上げ、、、、その責任上から、、、、

こと山の危険に関することだけには厳しく言ってきました。雷を落としたことも多々あります。

その姿勢に間違いがあるとは思いませんが、、、、

その一方で谷川岳の西黒尾根など初めて登山する人でも登れるかのような放送をされると、、、、

山はステップを踏んで登るように指導されたタカ長の山人生は何だったのか、、、、

こと山の安全については厳しく言い続けてきたタカ長の姿勢は何だったのか、、、、

というような気がして、ある種のむなしさを感じるのです。

    

電気製品を買って取説を見ると、あれはダメ、これもNG、というようなことがこと細かく書かれています。

しかし、山情報を見ると、山など簡単に登れてしまうような情報は多くても、、、、

扱い方を間違えると山は危険なところであるというような情報などほとんどないようです。

そのような現状だから、山について勉強することもしない、自立できない登山者を山に送りこむことになるのでしょう。

先日も穂高岳で遭難事故があったようです。

この時期に十分な装備も持たないで西穂から奥穂を目指すなど自殺行為のように思えるのですが、今の風潮ではそれもまた許されることなのでしょうか?

そのとき穂高山荘の前で「私でも登れるでしょうか?」と人に聞いている登山者が何名もいたとか。

そのような現状をみると、電気製品の取説以上に、あれはダメ、これもNGということが書かれた「山の取説」が必要だと思われます。

といっても、そのようなことを書く人もいないでしょうし、、、、

仮にそれが出来上がっても、今どきの登山者は本を読まないそうですから、安易に山に入る人が増える傾向は変わらないでしょうね。

というようなことを考えると、何だかむなしくなり、ご機嫌斜めになるのです。



登山がしたい

2018年11月14日 | 山歩きから
       

このような雑誌を買いました。

このブログでも何度か書きましたが、タカ長の登山はピークハント型の180度逆のものでした。

気に入った山には何度でも行きましたが、関心のない山には登る気がしなくて、未踏のまま時が流れました。

この祖母山には興味がありましたが、これまで登る機会がありませんでした。

阿蘇山や久住山には何度も言っているのですから、機会がなかったのではなくて、機会を作らなかったというほうが正確だと思います。

そのような状態で時が流れ、この歳になって、後がなくなって、、、、

やはり一度くらいは登らないと、、、、と考えていた時にこの本を知りワンクリックしたわけです。

    

この頃の山歩きは、タカ長的にはしっくりこなくて、何となくストレスがたまってゆくような気がしています。

その原因は色々あるのでしょうが、人に責任転嫁しても仕方ないので、タカ長の問題として考えると、、、、

要するに自分のチームを掌握することができなくなっているのかもわかりません。

このような状況で、多くの人を引きつれて山に行ってもその責任が取れないので、、、、

そのような登山は誰かにゆずり、タカ長はこじんまりとした登山がしたい、と考えるようになっているのです。

このような心境の変化が起きるのも加齢現象でしょうか?

    

そのようななかで、行き先として考えているのがこの祖母山と穂高です。

春は祖母山で秋が穂高、、、、といっても穂高の稜線を足を痛めることもなく歩ききる自信もないので、穂高といっても涸沢までのつもりです。

タカカノと涸沢でテント暮らしをしながら穂高の稜線を歩くなど、タカ長なりの思い出が色々ある穂高にお別れの挨拶に行くのも悪くないなぁ、、、

というような理由で、涸沢行きを考えているのです。

来年は80歳になり、脚力も体力もおとろえていくばかりなので、来年を逃したら穂高に行くチャンスはなくなるはずです。

紅葉の写真を撮りに涸沢に行くのが登山といえるのかどうか分かりませんが、、、、

タカ長的にはそれも立派な登山、純粋にその登山をしたいと考えているのです。


錦秋の裏山

2018年11月13日 | 山歩きから
    

裏山から見下ろす今朝の広島湾です。

予報より天気が回復した感じです。その裏山を15名で歩きました。

その裏山に紅葉が下りてきました。

わが裏山はいまが「錦秋」といえそうです。その写真を紹介します。

    

    

    

誰かが言っていました。

「いいじゃない、、、、これならわざわざよその山に行かなくても、、、、、」

全国には紅葉のいい山が五万とあり、わが裏山など「場外あつかい」だと思います。

いくら厚かましいタカ長もそれらの山とわが裏山を同一の舞台で論じることができません。

しかし、通いなれたフィールドの紅葉は格別です。

    

  

    

今日歩いたコースではさくらの里の紅葉が良かったようです。

紅葉の盛りは過ぎていたようですが、これで十分です。満足しました。

    

    

天気予報では、朝のうちは曇りでした。

その予報に反して、早い時間から晴れてくれたのでこのような写真を撮ることが出来ました。

    

    

    

帰りは東亜の森コース。

それでも午前中に下りることが出来ます。

小さな山は箱庭を歩いているようなもので、ひとつ隣のルートを歩くだけで雰囲気が変わります。

たくさんのものを見て、色々な雰囲気を楽しんで下山しても昼前、それが裏山を歩く楽しさかも分かりませんね。

   

遠いむかしのはなし

2018年11月12日 | 日々雑感
    

今日も裏山を歩きました。

朝から曇りで、ときどき小さな雨が降る天気でしたが、1週間ちかく山からはなれていたら腹が減らないというか、、、

とにかくそのようなことがあり、ここは体を動かす必要があると思って出かけたわけです。

山屋は歩いてなんぼう、やはり山を歩かないと体調が落ちるようです。

帰宅して、昼食を済ませてくつろいでいたら現役時代の友だちから電話がかかりました。

現役時代にお世話になった人の工場に行こう、というお誘いです。

懐かしい名前を聞き、その人の口からタカ長の名前も出たということなので、彼とともに出かける気になりました。

    

60歳で定年退職して、その後は現役時代の会社とはほとんどかかわっていませんでした。

タカ長が勤めていたのは小さなメーカでした。どこかの会社の下請けではなくて、自分たちの省力機械を製造する、れっきとしたメーカーでした。

タカ長の担当はその工場部門。

彼から電話があるまでは自分が工場部門を担当していたことも忘れていました。

彼とともに久しぶりにむかしお世話になった人の工場に行ったら、、、、

そこにはむかし工場にあったような工作機械がならんでいて、、、、、レーザー加工機とか、、、タレパンとか、、、、

むかし口にしていた工作機械の名前を思い出しました。

工場の中にはタカ長たちがむかし製造していたものと同じような半製品があり、20年前の世界に舞い戻ったような気がしました。

皆さまのブログで拝見するようなOB会といったものもないような会社勤めでしたが、、、

それでも何となくなつかしい工場見学、、、、

浦島太郎というか、逆浦島太郎というか、、、、20年前の世界に舞い戻ったような午後でした。

作者が近い

2018年11月11日 | 日々雑感
    

団地恒例の「作品展」が始まりました。

タカ長はテープカットから取材しました。今年も力作ぞろいです。

この作品展は団地住民の作品展、出展するのも鑑賞するのも地域住民というのが基本です。

そのため出展者と鑑賞者との距離が近いのが特徴だと言えます。

    

毎回目を張るのがこの竹細工です。

定年退職を機に始められ、今では県美展で入賞するだけの力をつけられておられます。

    

その作者(手を伸ばしている人)から作品の解説を聞いています。

材料となる真竹を探してきて、、、、ひごを作成し、それも小さなものは0.5ミリのものまで作成して、、、、

それを編みあげてこのような作品になります。作成期間は年単位だとか、、、、、、。

    

そのそばには篠笛が展示されていました。

これについても作者(帽子の人)から説明を聞いています。 

    

今日はオープニングの日なので作者の皆さんも気になって会場に来られたのかもわかりません。

とにかく、何名もの作者が会場で、ご自身の作品について解説しておられました。

    

こちらは和室での展示です。

染めとか織りとか、タカ長には分からない分野ですが、ここでも作者(こちら向きの人)を中心に話がはずんでいました。 

    

今年も人気なのがこの木工作品です。

実によくできていて会場の人気者です。ここでも作者(向こう向きの人)が解説されています。

この作品はビー玉の動きを楽しむもので、幼児から高齢者まで楽しむことが出来ます。

ビー玉を使っているので、幼児が誤って口に入れると事故になりかねないので、その見張りと解説をするため、作者のご夫妻は午前番と午後番に分かれて会場に詰められています。

    

美術の秋です。

日展とか県美展などの鑑賞もよいのですが、このような地域住民が手づくりした展示会も良いものです。

その一番の理由は作者との距離が近いことだと感じています。

この作品展は18日日曜日の正午まで開かれています。

近隣の人はぜひ足を運んで頂きたいですね。よろしくお願いいたします。

九州の山旅から~6

2018年11月10日 | 山歩きから
坊がつる讃歌、そして、、、

    

久住山といえば法華院温泉、法華院温泉といえば坊がつる、という論法が成立するのかどうか知りませんが、、、、

坊がつるといえば「坊がつる賛歌」に異論をはさむ人は少ないと思います。

その「坊がつる讃歌」のことです。

タカ長たちの2泊目は法華院温泉山荘でした。

温泉で汗を流したあと前夜のフランス料理のフルコースには及びませんが、思った以上の夕食を頂き、、

その後は部屋に戻って二次会(?)を開きました。ここではもちろん「坊がつる賛歌」の斉唱(?)

その「坊がつる賛歌」のもと歌は広島高等師範学校山岳部の部歌山男の歌だったことを知る人は多いと思います。

広島人としてはその広島高師の部歌を歌いたいところですが、私たちが歌うのはいちも「坊がつる賛歌」です。

    

その歌を歌うと思いだす人がいます。山の先輩、いや師匠といえる人です。仮に本山さんとします。

本山さんは私たち職域の山岳部の先輩でした。といっても私たちとはレベルが違いすぎて、一緒に山に行くことは多くありませんでした。

しかし、タカ長の山友が本山さんと同じ町に住んでいたことが縁で私たちは目をかけてもらいました。

    

その本山さんが広島高等師範学校山岳部の出身でした。もちろん筋金入りの山男です。初めて冬の伯耆大山に登ったときのリーダーがその本山さんでした。

その大山を逆縦走して山頂についたとき猛烈な風雪につかまってしまいました。

ご存知の人も多いでしょうが、大山の山頂部は広くて特徴あるピークなどありません。そこで風雪にまかれると進むべき方向が分からなくなり、脱出には大変な困難をともないます。

ホワイトアウトという言葉があります。

濃霧や吹雪のため視界がきかなくなり、地面と空の境界が分からなくなる状態を言います。もちろん登山者にはとても怖いものです。

しかし、実際に冬山を経験した人は「グレイアウト」だと思われるはずです。ひどい吹雪にまかれると雪面まで太陽の光が届かなくてまわりはグレイの世界になります。

その時も「グレイアウト」の状態でした。それも黒に近いグレイ。

その窮地から本山さんは私たちを連れて苦も無く(?)脱出しました。

そのとき本山さんはどのようなことを考えていたのか、今は故人となられていて直接聞くことはできませんが、、、、

本山さんはそのとき数メートル歩いては行くべき方向を確認し、私たち3名のメンバーの状態を確認していました。その時の沈着冷静な態度はいまもハッキリ記憶しています。

なみの登山者に出来ることではありません。まさに筋金入りの登山者でした。

    

冬山の基礎、滑落停止訓練や簡単なロープワークを教えられたのも本山さんからです。しかし、ぼんくら登山者だったタカ長は本山さんから多くの技術を学ぶことができませんでした。いまにして思えばとても残念なことです。

その本山さんのお嬢様の名前が「峰子」さんです。この一事をみても彼の山男ぶりが見えるような気がします。

本山さんは坊がつる讃歌を聞くと思い出す、タカ長には大切な人です。

そして、、、、、この「山男の歌」を聞くと、青春のころの山歩きが思い出され、胸があつくなるのです。

ふるさとの山

2018年11月09日 | 日々雑感
    

野暮用があってタカカノの実家に行きました。

その実家のそばから見る山です。タカカノの故郷の山です。

布野冠山もこの中にありますが、この時間山頂部には雲がかかっていたようです。

    

生まれてから70年以上になりますが、タカカノはこの山に登ったことがありません。

結婚して50年が過ぎますが、タカ長もこの山に登っていません。

田舎に帰る度に見ている山に登ったことがありません。

私たちの山グループにはもう一人この山を見ながら育ったメンバーがいます。

やれ穂高だ、東北の山だと、忙しく歩きまわっている彼もまたこの山に登ったことがありません。

この山のふもとで生まれ育ち、この山のふもとで育った人と結婚したのに、、、

三人が三人この山に登ったことがありません。

これって何だか変ですね。

    

変なついでに、この山とは直接的な関係のないさくちゃんに案内を頼みました。

この麓に育ったものが、遠く呉線沿線の人にガイドを頼むのもおかしなものですが、、、

三人が三人忙しくて、さくちゃんとの時間調整ができなくて、今月中にこの山に登ることは出来なくなりました。

あまり先延ばししないで登りたいのですが、さてさてどうなるでしょうか?

タカカノの故郷の山に登るのは大変です。

    

野暮用を済ませたあと、近郊ではチョッと有名な豆腐料理の店に行き、昼食を済ませました。

何かと食べることにうるさいタカカノが満足する豆腐料理です。



毛無山の山頂で

2018年11月08日 | 山歩きから
    

11月6日の毛無山山頂はスッキリした晴れではありませんでした。

山の風としてはほとんど無風といえるのでしょうが、弱い風が吹いていました。

私たちはその風を避けるところを探して昼食としました。

昼食も終わり、山頂で記念撮影をするとき、、、、

一昨日のブログで紹介したように、島根県出雲市から来たという幼稚園児が登ってきました。

年長組29名が5名の保母さんに連れられていました。

引率の保護者もサポート役の山男もいません。園児と保母さんだけの団体でした。

誤解しないで下さい。彼らが軽率な登山をしていると言ってせめるのではありません。

彼らのたくましさに感動した、という話なのです。

    

山頂についた園児たちは手際よくシートを広げて食事を始めました。

その弁当のボリュームがすごいと思いました。彼らのそばをまわりながら見せてもらったのです。

コンビニのおむすび2個で済ませたタカ長の昼飯よりボリュームがありました。

弁当箱の中にはおにぎりが2個、それにウインナーソーセージや卵焼き、青い野菜も入っていました。

チョット見には同じ弁当のように見えましたが、よく見ると少しずつ違っていました。

それぞれのお母さんが持たせた愛情たっぷりのお弁当でした。

    

もし、私たちの町で園児を連れてこのような登山するとしたら、、、、、

保護者同伴で、、、、サポート役の男性を何名か連れて、、、、、ということになるはずです。

山頂についたら保護者がシートを敷いてやって、その上で子どもたちがだらだらと食事をする、というようなことになるはずです。

しかし、彼らの雰囲気はまったく違いました。

おそらく、このような屋外の活動を何回もされているのでしょう。

タカ長としてはそのあたりの事情をお聞きしたかったのですが、食事の終わったものが食事中の人を質問ぜめにするのは憚られ、、、

それに自分たちの下山時間も迫っていたので、ほとんど何も聞けないまま下山しました。

もし、食事時間が合えば、彼らの真ん中に座らせてもらい、色々なことを話しながら食事ができたのに、、、、

と思えば今でも残念です。


紅葉の山歩き

2018年11月07日 | 山歩きから
落語みたいな夢を見ました。

病院から自分の死体をもらてきたタカ長、とりあえず自宅の隅にその死体を置いたのですが、、、

そのことをすっかり忘れてしまって、しばらくぶりに行ってみたら骨になっていました。

悲しくなるような細い骨でした。これが自分の骨かぁ、、、、、。

このようなことをしたら「死体遺棄」になるのか気になったタカ長、、、

ネットで死体遺棄罪について調べようとしたらパソコンが立ち上がりません。

今は何かと忙しいのでブタ箱には行きたくないのだが、、、、と考えていたら目が覚めました。

自分の死体をもらってくるなんて何となく落語的とは思われませんか?

    

さて、昨日の毛無山登山です。

全体的に見たら紅葉の盛りは過ぎていたのかもわかりませんが、標高の低いところでは十分に楽しむことが出来ました。

これは登山道への入り口の近くです。運よく太陽が顔を見せてくれました。

    

          

白樺林を過ぎて牛曳滝の少し上までは紅葉の世界だったようです。

その写真をもう2枚紹介します。

    

    

テレビで東北の山の紅葉を見ました。

すごくきれいな紅葉でした。

広島の山の紅葉はそれには及ばないようですが、広島人としてはこれで満足です。

    

稜線まで登ると、多くの木は葉を落としていました。

このような写真を撮りながら登ったら、毛無山までの所要時間が想定より30分以上オーバーしていました。

脚力が落ちてきたのか、遊びすぎなのか、、、、

おそらくはその両方でしょうが、天気の良い日はのんびりと歩きたいのです。

そのようなことが出来るのが小さな山のいいところですから、、、、、、。