武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

マリオ安倍の勘違い。  畠山愛理は、なぜ妖精をやめるのか、その真実。

2016年08月23日 | 人生の意味

★マリオ安倍のカン違い。 
安倍さん、マリオの真似をやりに地球の裏側まで行く暇があったら、靖国に行かんかい。二機のジャンボ機を飛ばして、隠密裏にリオに入って、世界に顔をアピールしても、何の意味もない。
というのは東京2020オリンピックの顔は、都知事である小池さんなんだな。

国がバックアップするのは当然だが、五輪憲章には「五輪を開く責任は都市にある」と明記されており、また「五輪は選手の競争であって、国家の競争ではない」とも書いてある。
まあ、事実上、国家の競争ではあるが、五輪精神とその基本は都市開催であるということ。だからリオ五輪とは言ってもブラジル五輪とは言わないし、東京五輪とは言っても、日本五輪とは言わない。
だから五輪の引継ぎ式に安倍さんがしゃしゃり出るのは、筋違いというもの。
本来は、マリオ役は小池さんがやるべきであった。

 

★男子レスリング。
残り10秒で1点をリードしたモンゴル人選手がガッツポーズをしながら逃げ回った結果、警告点を与えられ7-7の同点になった。そして獲得した点数の内容により、モンゴル人選手が負けて、銅メダルを逃したという珍事件が起きた。
ところが、銅メダル逃したモンゴルのコーチがマットに上がって、裸になって抗議したから笑った。モンゴル人は、お笑いのセンスがあるかも。

 

★ロシアで日本人拘束。
北方領土の国後島をビザなし交流で訪れた日本人通訳の男性がロシアに拘束された事件。
日本人男性は、現地のロシア人から頼まれて、根室の漁業関係者に現金400万円を運ぶ担ぎ屋をやったそうだが、こういうのは危険なんだな。
ロシアのような強権国家では、誰かの密告というのは、普通にある。

 

★畠山愛理
フェアリージャパンの決勝が終わって、愛理ちゃんは引退を表明した。
ミス日本の栄誉を受けて、まだ女子体育大学の22歳、4年後の東京で26歳の円熟期に入るのだが、あっさりと「リオ五輪が終われば引退を決めていた」という。

愛理ちゃんのプロフィールとフェアリージャパンに加入してからの愛理ちゃんと他のメンバーの長時間の活動記録を、映像を通して見させてもらった。
それから分かったことは、これからさらに4年間、東京オリンピックを目指して新体操を続けるのは、かなり辛いことだろうと思った。
辛いという表現より、もう無理、という極限状況に近いものがある。

一見華やかにスポットライトを浴びる新体操、しかし熱狂的な歓声と拍手の向こう側には、血も滲むような長時間の練習と過酷な訓練が日々ある。
訓練のために足は変形し、鬱血し、痣(あざ)ができて、腰を中心に痛みを覚える、捻挫、骨折などは珍しくなく、その瞬間、控えの選手へと追いやられ、肉体的、精神的に追い詰められる。レギュラーを目指す妖精候補はいくらでもいるのだ。
自由な時間は全くない、あるとすれば食事をして、しかも体重を気にしながら、あとはベッドに倒れこむ。ロシア、サンクトペテルブルグの長期の合宿では、狭い部屋に3人か4人の少女が押し込まれ、洗濯も雑用も自分たちでしなければならない。
まるで牢獄のような生活、日の丸を背負って日本代表という栄誉を得たにしても、その対価はそれほど高くはない。
新体操は、バレエの要素をふんだんに盛り込んだ芸術であり、かつ、そこに華麗なるテクニックを織り込んだ現代芸術といっても過言ではない。
しかし、古典的なバレエダンサーのように身分と生活が保障されている訳ではない。


さてリオ五輪、フェアリージャパンが予選を5位で通過したとき、私の中では予選1位であったと述べた。それは決してお世辞ではなかったし、決勝ではメダルの為ではなく、妖精のように演じて欲しいと述べた。
もはや高貴な芸術の高みにまで達しているフェアリージャパンの妖精たちにとって、メダルなどただの金属でしかないと思ったからだ。
例えリボンを落としても、フープをつかみ損ねても、そこに妖精の美と芸術を表現できるなら、それは観客にとって、いや妖精たちにとって、それが美しい金メダルであるに違いなかった。

そして思う、厳しい訓練は必要だが、冷徹で苛烈な訓練に何の意味があるのだろうか。サーカスの少女のように、ムチを打たれて妖精のように演じる必要など何もない。
美しい妖精は、可憐であり、ガラス細工のようにか弱きものであり、大人の豊かな愛に包まれてこそ、見るものに愛を注ぐことができ、感動を与えるものだと、そう思う。


(じゅうめい)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする