武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

黒田勝弘と韓国。  嫌韓の本質。

2014年12月26日 | 国際外交の真実

★黒田勝弘と韓国。
黒田勝弘は言う、
「日本で嫌韓現象が起きているが、それは韓国人に対する差別意識や蔑視ではないと思います。韓国が存在感を増したことで、日本人は警戒心や嫉妬心、被害者意識を抱くようになりました。つまり、日本人には韓国に対する「剥奪感」があり、どうやらそれが近年の嫌韓に繋がっているように思います。
日本人は、韓流ブームやキム・ヨナの活躍、サムスンの躍進などを目の当たりにして韓国が無視できない存在となり、韓国のせいで日本が損をしているような「剥奪感」に陥っているのでしょう。特に、心に余裕のない若者にそうした傾向が強いようです」
(黒田勝弘)


おいおい、勘違いもいい加減にせい。
韓国に何十年も住んでいると、韓国朝鮮人になってしまう好例ですね。
あるいは元々、在日なのかも知れないですね、この黒田という人。
時々、韓国から帰って、フジの報道番組に出たりするが、歯切れの悪い物言いは、日本と韓国の間で生きている人に特有のヘタレ感が滲み出ている。

さて、「韓国の躍進のせいで日本が損をしている剥奪感」を日本人が持っているとは、笑止千万。そしてそのせいで嫌韓が湧き起こっているとは、全くの勘違いだな。韓国の躍進を見て嫉妬するほど日本人は狭量ではないし、在日の間で盛り上がる韓流とか、突然変異のキム・ヨナとか、アップルのパクリのサムスンとかに対して、日本人は冷静に見ているだけだ。それに韓国スマホの内部部品は日本製であるし、サムスンが売れれば売れるほど、日本のハイテク部品メーカーは大喜びだ。

嫌韓の本質は、韓国は捏造と虚偽の土台の上に、悪意を持って日本を侮辱し、おとしめていることが、日本が韓国を毛嫌いする原因であり理由なのだ。
そしてそれは銃とミサイルを使わない日韓戦争であると言っていいほどの深刻なレベレでもある。



★韓国女と四国霊場。
「韓国は嫌いでも、私のことは嫌いにならないで」と韓国女。
韓国から毎年、四国へお遍路に来るようになったが、韓国人への道案内のために、2年前からハングルで書いたシールを電柱などに貼っていたことがバレた。正式には「条例違反」だが、マナー知らずの国際問題ですね。
韓国人は図々しい。



★中国。
江蘇省南通市の裁判所は、覚醒剤を販売・運搬したとして日本人の男(45)に対し、死刑判決を言い渡したという。中国人グループとともに覚醒剤数十キロを複数回にわたって運搬していたそうな。

それが事実であるなら、当然に死刑だな。
逆に日本は甘すぎる。マレーシアやシンガポールは、イミグレカードに明記して、麻薬の違法持ち込みは「死刑」とある。
そのくらい厳しくやらないと、いかんぜよ。
麻薬やめますか、人間やめますか。


(じゅうめい)

 

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北朝鮮の太った豚、米国の警告にトン挫。

2014年12月25日 | 国際外交の真実

★米国映画The interview
朝鮮のサイバー攻撃であると米国政府は断定し、たかがコメディ映画一本のためにオバマが異例の会見を開き、北朝鮮を激しく非難、テロ支援国家に再び指定するぞと警告した。
そして一旦、中止になった北朝鮮の太った豚を暗殺するコメディ映画が、全米で上映されることになった。

まあ、無料で世界的な広告になった訳で、結果的にソニーは大笑い、そのままにしておけば、人々の無関心の中で、ただ消えて行ったB級映画だったが、9・11を思い出せ、などという米国にとっては絶対に許されぬ恫喝を北朝鮮はやった訳で、もしこれで北朝鮮が9・11のような映画館テロをやったら、米国は躊躇せずに、ピョンヤンを火の海にして、太った豚どもは丸焼けになるだろう。


★福岡刑務所の受刑者。
軍隊式の行進をさせるのは個人の尊重を保障した憲法に違反し、人権侵害だとして、福岡県弁護士会が福岡刑務所に是正勧告したという。
受刑者から人権救済の申し立てがあったそうな。

バカじゃないの。
結論から言えば、受刑者に人権などない。
ならず者を集めた刑務所に軍隊式の規律を実施するのは当然だな。
ムショに入れば、3食付で労働の対価も貰える、規則正しい生活で健康にもなるというもの、人権を言うなら、泥棒、強姦、傷害、殺人などの悪い事をしなければいい。そういう悪い奴らに人権はない。


韓国政府。
「日本政府は国交正常化50年に合わせ、正しい歴史認識の土台の上に、韓日関係を未来志向的な関係に発展させるニダ」とな。

おいおい、まず内政干渉をやめろ、そしてそれは日本が言うセリフだな。
韓国では韓国経済の発展を「漢江の奇跡」と呼ぶが、それをもたらしたのは、1965年の日韓基本条約による日本の経済援助だぞ。
日本は5億ドルの経済援助を韓国に対して行なった。当時の韓国国家予算は3億ドルであったから、日本は韓国予算の何と1.6倍もの経済援助を行ったことになる。そしてその後の莫大なODA経済援助。
ポスコの製鉄所は、日本のカネと技術で建設して、韓国にくれてやったのだが、今となっては、韓国は日本の恩など知らぬ振りだから、犬にも劣る。
そういう正しい歴史認識は韓国にとって利益になるが、今の韓国は反日狂気であるから、奈落の底に沈むだけ。
まあ、ゆすりとタカリの韓国朝鮮だな。


(じゅうめい)

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世田谷一家惨殺事件(下)

2014年12月24日 | 事件

世田谷一家惨殺事件、犯人に迫る (下巻)
昨日の続き

2階の階段から1階へ転落した(みきお)は、重傷を負いながらも必死に立ち上がり、階段を再び上り始めた。それに気づいた韓も迎え討つように階段を降り、その途中で揉み合いになった。しかし、(みきお)に立ち向かう余力は残されていなかった。

揉み合いの最中、(みきお)の指はナイフで切り落とされ、絶望の淵に追い込まれたが、次の瞬間、韓の鋭利なナイフは、(みきお)の胸と腹の境目を深く突き刺し、最期のとどめを刺した。そして、(みきお)は崩れるように階段を滑り落ちて行った。
さらに韓は死亡した(みきお)を、執拗にナイフで刺したことが死体解剖の結果、判明している。
犯人グループの襲撃目的は、金塊12.5Kgを3本奪うことだった。宮沢家にインゴットが隠されているという情報をつかんでいたのだ。当時の金額で約3千7百万円。
韓は一家4人を殺害してから、外の繁みに潜んでいた仲間の中国人2人を中に引き入れた。その後、3人は宮沢家の1階から3階までしらみ潰しに金塊を探したが、結果的に発見できなかった。代わりに財布と棚の中から20万円の現金を奪った。

次に韓は、(みきお)のパソコンを使って、インターネットを始めたのだ。
ネットの訪問先は、埼玉県内のとある研究所、宮崎県内の化学工場、祖師谷留学生会館、そして劇団四季のホームページ(劇団四季には多数の韓国人が所属)、それからメールを一通、ある所へ送った。メールの内容は、金塊がなかったことに対するクレーム、そして勝ち誇ったような事件の報告。そのメールは送信後に消去された。今から13年前の2000年という時代、警察はインターネットに関する知識は全く無かった。知識と経験がない分、ベテラン捜査員の関心外であった。このことは重大な犯人の手掛かりを初動捜査で見逃していたことになる。なぜならクリミナルグループは、ネット上で情報交換と連絡を行なっていたのだ。2013年の今は普通のことだが、2000年当時はネットの初期であったという背景がある。しかしネットの足跡以外に犯人の残留品は数多くあったのだ。指紋、血液、排泄物、汗の油脂、靴跡、衣服、バッグなど多数残留しており、犯人検挙は時間の問題だという油断があったといわれる。


さて主犯の韓、当初3人で襲撃する計画を立てていたが、中国人2人が怖気づいたことを察知し、一人で襲撃をすることに急遽、計画を変更したという。そして宮沢家の親子4人は、アーミーナイフと関孫六の柳刃包丁(銀寿)で何度もメッタ刺しにされ、6歳の息子は鼻から血を大量に噴き出すほどに圧迫絞殺された。しかも宮沢夫妻は死んだ後も、何度も執拗に刺されたことが分かっている。韓はハンカチ大の布の真ん中に穴を開け、そこに包丁の柄を入れ滑らないように固定した。それは訓練されたレンジャーの手口だ。布の色は黒。そして襲撃時には、同じ黒い布で顔を覆っていた。

そして、それらの黒い布は現場に残されていた。
韓は犯行後、中国人2人を家の中に引き入れ、冷蔵庫にあったバニラアイスとメロンを食べ、ペットボトルのお茶を飲み、翌朝の午前10時頃まで宮沢家に潜んでいた。

さて大晦日の朝になった。隣に住む母親が不審に思い、宮沢家の玄関を開けた瞬間、目に飛び込んで来たものは、散乱した書類の山、そしてその中から異様に白い、(みきお)の素足が突き出ていたという。

犯人たちは、多くの残留品、血痕、指紋、排泄物をそのままにして姿を消した。

それは犯人達が捕捉されない自信を持ち、同時に犯行を誇示する傲慢さの表れではなかったか。邪悪な蛇のような冷酷さと訓練された技能を持つテロリストの犯人像が浮かび上がってくる。

フランス香水ドラッカーノアールをつけていた韓国人。

 

★追記。
みきおさんの父・良行さんは一昨年、84歳で亡くなった。
残された母・節子さん(83)は訴える、「息子夫婦と孫達はとても良い家族だった。これが一瞬にして壊されてしまった。うまく言葉にできないほど悔しいし、悲しい」。そして「人を殺した事件に時効なんかない」 と訴えた。
この事件の公訴時効は、法改正前であった為、2015年になる。しかし時効延長の遡及効果を認めるのが政治の仕事ではないのか。
殺人事件に時効などありえない。
なお、この事件に関する情報提供者には警察庁から2000万円の褒賞金が出ます。

今まで1000万円でしたが、今年から2000万円に上がりました。

★事件から14年が過ぎようとしている。日本の警察は何をやっているのか。
動かぬ物的証拠として事件現場、大阪のアパート、韓国ソウルの団地のそれぞれの場所に、犯人である韓の指紋が発見され、すべてが一致した。だとすると、桜田門は既に犯人のプロファイリングは終了しているということだ。それにも関わらず、国際指名手配のアクションを起こさない理由とは何か。
そういう中にあって当時、共同通信が短い記事を発信した、事件から3年になろうとする2003年8月24日、日本の警視総監である石川重明が、韓国ソウルへ出張した。国際組織犯罪対策について、韓国警察のトップと会談を持ったという。警視庁のトップが業務で外国を訪問するというのは前代未聞だという。気になるのは、その会談の本当の中身は何だったのか。警視総監が韓国まで訪問し、トップ会談を持つ必要があったのか。

しかし仮に、世田谷事件の核心部についての秘密の交渉であったとしたら、頂上会談の意味はあったかも知れない。なぜなら血の惨劇の犯人が韓国人だとすれば、センセーショナルな国際問題になり政治問題にもなる。もし韓国側が、それを封殺しようとしたならば、桜田門を飛び越えて誰を使うのが最も効果的なのか。コリアコネクション。桜田門に睨みが利き、霞ヶ関に話を通し、闇の向こうに葬る力を持つコリアコネクション。表の顔には日韓議員連盟というコリアコネクションがある。あるいは歴史の裏面には、日韓の闇に深く関わったフィクサーと大物政治家は存在する。

さて当時、私は祖師谷の宮沢家の前に立った。おぞましい事件のあった悲劇の家、誰も住んでいない。(現在、取り壊されたという)
陽は照っていたが北風が冷たかった。人が住まぬ家の寂寥、耳を澄まし目を閉じると木枯らしの音さえ、泣いているようだった。  

(完)

(じゅうめい)

 

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世田谷一家惨殺事件(上)

2014年12月23日 | 事件

世田谷一家惨殺事件、犯人に迫る。
(2014年版 上巻)
(今日、明日の2回に分けてアップ致します)


★第一回。
世田谷一家惨殺事件、Mの悲劇。
事件は、2000年12月30日午後11時30分頃、年の暮れに起こった。
まもなく14年が過ぎようとしている。
まことに微力ながら、本ページで書き続けることが、この恐るべき宮沢家・惨殺事件を風化させない為に、せめてできることだと思っている。
そして動かぬ物的証拠をつかんでいながら、なぜ警察は沈黙を守るのか。ジャーナリストの斉藤寅が、執念で追い詰めた真犯人と事件の真相を著した力作「世田谷一家殺人事件」(2006年6月発刊、草思社)がある。

犯人は宮沢さん一家4人を無慈悲に惨殺した後も、そのまま宮沢家に居座り、翌朝の大晦日の朝、午前10時頃、玄関から出て行った。
惨殺された宮沢みきおさん一家は、主人のみきお(当時44歳)、東大卒の外資系経営コンサルタント会社員、妻の泰子(41歳)、長女・にいな(8歳)、長男・礼(6歳)の4人暮らしだったが、隣家には(みきお)さんの父母が住む、どこにでも普通にある中産階級の家庭環境であった。
さて、この事件の核心部からずばり述べたいと思う。
ジャーナリスト斉藤寅が追い詰めた犯人とは、


★犯人のプロファイル:
韓国人の男、名前は韓(ハン)。
犯行当時は20代、12年経った今は30代、40代初めと推察する。写真から割り出した犯人の当時の特徴は、細面、頬はこけ、三白眼、髪は無造作、唇は薄く目の下の隈が目立つ。


★(犯人とする物的証拠)
宮沢家の現場に残された指紋と、韓(ハン)が大阪で住んでいた木造アパート内の指紋とが一致。その借主は韓国人の韓と判明。さらに韓が日本に来る前に住んでいたソウルの団地の部屋に残された指紋と一致した。


★(状況証拠)

1.犯人が現場に残した靴跡から、犯人のシューズは韓国製スラセンジャーと判明。そのサイズ28センチは韓国内でしか販売していなかった。

2.犯人が残した迷彩色のヒップバッグ(韓国製)の中から採取されたチタン製バリウムという化学物質は、触媒や電子部品(携帯電話のセラミックコンデンサー)の塗装等に使われるが、工場や研究所などの特定の場所以外では付着しない。この化学物質を製造する工場は九州に多い。韓は九州のある大学に留学していたと見られることから、化学工場でアルバイトをした際に付着したとする推測が成り立つ。そして韓の犯罪仲間であった複数の中国人も、その化学工場でアルバイトをしていたことが分かっている。

3.犯人は宮沢家の惨殺現場で大の排泄をしている。その排泄物には消化されない松の実が混じっていた。それは韓国料理によく使われる。(例えば参鶏タン)

4.韓は宮沢みきおさんと格闘になり、犯人も手に傷を負い出血した。(韓の血液はA型、宮沢さん一家にA型はいない)。その際、犯人は自ら止血を行ったが、その方法は軍隊で用いる止血用ラテックスが使われた。そのラテックスの粉末を現場で採取。つまり完全徴兵制の国、韓国へと繋がる。

5.現場に残された犯人のA型血液のDNA鑑定による人種分析が行われた。その結果、主に朝鮮族系DNAが色濃いと判定された。

6.アジア系犯罪集団に属するメンバーの証言によれば、韓はクリミナルグループの中心的メンバーであり、他のアジア系外国人に対して勧誘を行なっていた。

 

★犯行の動機。
犯罪集団の横の口コミに基づき、宮沢家に相当の金塊(インゴッド)が隠されている情報を得た。そのインゴッドを奪取するのが目的だった。


★(犯行グループの実態)。
韓国、中国人留学生を主体にしたグループ。その後、日本の資産家を襲った複数の殺人事件は、中国と韓国の混成団であることが明らかになっている。

 

★当時の犯行再現。
さて、当時の惨殺現場にタイムトリップしてみよう。
宮沢家の内部情報と家族構成は前もって調べられ、綿密に襲撃計画が練られた。
犯人らは別々に、京王線千歳烏山を降り、世田谷区上祖師谷の宮沢家へ向かった。宮沢家の周辺は公園に囲まれ、家が3軒しかない。リーダーの韓国人である韓と中国人YとGの3人は日も落ちて暗くなった午後5時30分ころ、宮沢家の近辺で落ち合った。3人は闇に溶け込むように黒い服を着込み、宮沢家の裏手の繁みに潜んだ。
そして、いよいよ行動を開始するときがやってきた。時計を確認すると時間は午後11時25分。韓は、いよいよ行動開始のシグナルを身体の隅々にまで送り始めた。
それからの韓の動きは素早い。まず宮沢家の裏側にある二階の風呂場の窓口に取り付いた。そして静かにアルミ製の格子をはずし、風呂場の磨りガラスを万能ナイフでもって切り抜く。そこから手を入れて鍵をはずし屋内に侵入した。韓国軍の特殊部隊で鍛えられた韓は、ゲリラの接近戦で訓練した音を立てない歩行術を試しながら、まず3階の屋根裏部屋に上がって行った。そこには6歳の男児「礼ちゃん」が眠っていた。犯人は革の手袋をはめた指をしならせると礼ちゃんの首を一気に絞め、殺した。
その瞬間、礼ちゃんの鼻から血潮が大きく噴き上がった。
次に二階のリビングへ降り、躊躇なくドアを開けて中に入った。そこには母・泰子さんと8歳の娘がいた。驚いて声も出ない母娘に、韓は無言のまま母娘に素早く接近するや、アーミーナイフを鋭く横に払い、泰子さんの胸を切り裂いた。泰子さんは倒れこみながら、激しく鮮血が飛び散ったが、まだ死んではいなかった。次に娘の「にいなちゃん」に向かうと、胸部にナイフをまっすぐ突き刺した。その瞬間、にいなちゃんの胸から血潮が噴水のように噴き上がった。母親は必死の思いで娘をかばおうと犯人を睨みつけたが、韓は情け容赦なく母と娘に最期のトドメを刺した。その瞬間、母親の「叫び」が隣家まで聞こえたという。
そして次に、一階で仕事をしていた主人の「みきおさん」が何か不審な思いに駆られながら階段を上ってきた。その時、リビングのドアの背後で待ち伏せしていた犯人は、「みきおさん」が階段を上ってくる勢いを利用しながら、いきなりアーミーナイフで「みきおさん」の右胸を突き刺した。その衝撃で「みきおさん」はズドーンと階下に落下。その雷鳴のような音も隣家に聞こえている。時間は午後11時28分頃だった。

隣家は後に証言する、「隕石が落ちたような音だった。けれどそれが宮沢家からのものだとは分からなかった。離れた所で、空から石が降って来たような鈍い音に聞こえた」。
しかし「みきおさん」はそれで死んだわけではなかった。


(明日に続く)

 

 

 

 

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悪魔が来たりて笛を吹く、ピーヒャラ、ピーヒャラリ

2014年12月20日 | 事件

★悪魔が来たりて笛を吹く。

理研の相沢慎一にしろ、丹羽仁史にしろ、やさぐれ感のあるホームレス風ですね。あれでネクタイを取ったら、新宿公園にいるゴミ漁りと何ら変わりない。
若山照彦なんかまだましな方だが、思うに、毎日ネズミを切り刻んで、顕微鏡を覗き込んでいるから、ああなるのだろうか。

さて、晴子嬢、下品な言い方をすれば、ばっくれてしまった。
体調不良により欠席ということだったが、一週間前には神戸の高級美容院で髪をセットし、お買い物をして、元気そうであったが、公務は嫌よ、ということか。
さて昨日(12・19)の理研会見、相沢慎一は「監視カメラと第三者の監視人を彼女につけたことは、科学的視点から間違いだった。彼女を犯罪者扱いすべきでなかった」と、番外編で陳謝したが、おいおい、それをやったのは理研のあなたであって、我々ではないぞ。

このスタップ騒動、晴子嬢を包括的に観た場合、これは素晴らしい仕事だというものが何もない。逆に、博士論文のコピペ盗用、米国サイエンス誌にスタップ論文を投稿したところ、審査委員からデータに改ざんの疑惑があると文書で指摘されても、完全無視、そのままスルーして同じスタップ論文をネイチャーに投稿して採用、何と言っても、理研はネイチャーにとって広告収入の大スポンサーだから、無碍に断る訳にもいかなかったのだろう。

また、小学6年クラスのできる子供が作る自然観察ノートの足元にも及ばない晴子嬢の幼稚な実験ノート、そしてスタップ論文そのものが捏造、改ざん、コピペ、使い回し、盗用で溢れかえっており、絶版になっていた「背信の科学者」というノン・フィフィクション本を復刻させたという功労まで背負った。
そして200回以上も成功したというスタップ細胞の作製は虚偽であったことが実証されたし、結果的に、晴子嬢の周辺にいた科学者らはどうなったか、ハーバードの医学部教授は大学病院から追放、丹羽仁史は共著者であったにも関わらずスタップ細胞の作製に失敗、つまり彼も嘘つきだった。若山照彦もとんだ恥をさらし、ネズミを切り刻むことは熟練していても、科学者として無能であったことをさらけ出してしまった。
最後の悲劇は、スタップ・プロジェクトの総監督であったエリート科学者の首吊り自殺、まさに悪魔が来たりて笛を吹くではないか、ピーヒャラ、ピーヒャラリ。
このエリート科学者と晴子嬢は年の半分は一緒に出張旅行をしていたそうだが、実験研究者がそんなに頻繁に、しかも同行とは、どこに行っていたのか。
その出張清算書は黒塗りにして、理研は公開しようとしない。

さてさて、スタップ騒動の裏側には、早稲田ケミカル閥のボスが存在する、つまり再生医療学会のボス、東京女子医大の教授。今年1月末のスタップ細胞のセンセーショナルな発表会の直後、再生細胞のセルシード株は急騰したが、そのセルシードの取締役にはそのボスが座っており、見事な連環構造になっている。
晴子嬢はAO入試、つまり推薦入学、早稲田のケミカル卒だが、細胞生物学に路線を変更するに当たり、東京女子医大のボス教授(早大卒)と大和雅之教授をメンターとして頼っている。

さて、母親は心理学の大学教授、父親は超大手の商社マン幹部であることから見ても、天才的な話術師なのかも知れない。どちらの職業、心理学も商社マンも舌が回らなければ、やっていけない。いや、間違っても詐欺師とは言わないが、4人の弁護士を雇い、2人の著名弁護士を両脇に置いて行なった4月の釈明会見を見れば、楚々として、誠意と真実を訴える黒い瞳、ある意味、どんな一流の女優も敵わぬ晴れ舞台であったのかも知れぬ。


(じゅうめい)

 

 

 

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