先日来風邪で寝込んでいて寝込みの席でスマホでウェブ巡りなんぞをしていたら何故かわたしを触発させるような題材がいくつか出てきたりして色々と考えさせられます(と言うかそんな事をしているから治りが遅いのか汗)
特に興味深かったのは先月辺りから散見した「レイアウト、ジオラマの違い」についての物でして成る程と頷く所もあれば違和感を感じるところもあり、刺激になったのは間違いありません。
多分に散文的なのですが、それらを読んでふと思ったことから。
「レイアウトの中で列車だけが動いていて他のクルマやら人やらが動いていない事に違和感がある。実物をライブで見ると気にならないが、動画を見ていると動くものとの差が目立ってしまう」と言った意味の書き込みを拝見したのですが、これなども色々な視点から触発されたひとつです。
前者についてですが、レイアウトの上で「列車しか動かない不自然さ」というのは古くから何度も指摘されてきた事であり、80年代の「プレイモデル」だったかで「鉄道以外のものを動かすアニメコンテスト(だったかな?)」というのが募集されたこともあります。
最近ではジオコレでバスやトラックが自走するアイテムが話題をさらっていますし、わたし自身もネオンサインをレイアウトに組み入れたりしています。
一番やりやすいのは小型の液晶テレビを建物に組み込んだオーロラビジョンなんかかもしれません。

流石にNのサイズ(いや、16番でも?)で人間を動かす所まで行くのは少し難しそうですが。
ですが自分でレイアウトを作り、その上で列車を走らせてみると意外なほど周囲の風景が静止している事を不自然に感じないのも事実です。
ここで「現物を見ている時には気にならない」というキーワードはとても示唆に富んでいる事と思います。
現物を眺めるという事は走っている列車に注意が集中している状態であり、その状態では他の付帯的な事象は無意識のうちに注意が薄くなってしまう事を意味していると思います。
逆の例えですが、走行中の新幹線から車窓風景を眺めているとき、特に並走している別列車や車の流れは並進するそれなりに動きを感じますが、何も考えずに漫然と眺めているときは直角に近い角度で線路と交差する道の車や人間は極度にノロノロしているか、どうかすると止まっているかのように見える感覚に近いのかもしれません。
レイアウトでも列車の流し撮りをしているときなどはそれに近いと思います。
ところが全てが客観化される動画の場合、注目する対象の列車も周囲の車や人も同じウェイトで捉えられるため、周囲が動かないことの不自然さが際立って見えるという事はあるのではないかと思います。ライブと映像の感覚の差を大きく感じさせるのがレイアウトの特性と言えるかもしれません。
とはいえ、これには例外もあります。私が趣味の一つとして楽しんでいるミニチュア特撮映画などはミニチュアの町並みで怪獣が暴れまわるシーンが多いですし、その怪獣との絡みで戦車や飛行機、一般の車からどうかすると一部の人間までもミニチュアを動かす事が定番化しています。
ただし怪獣映画の場合それらの操演はあくまで主役たる怪獣を引き立てるための助演であり、必要以上に出しゃばる事は稀です。怪獣のアクションとの相乗効果で効果を上げるという点で、この辺はレイアウトでのアニメーションを考えるヒントが隠されている気もします。

(1961年東宝映画「モスラ」より画像引用)
また、街中の戦車の走行シーンなどでカメラを流し撮りで撮影する時、流し撮りのカメラの手前を静止した人波(もちろん人形)がずらりと通り過ぎるのですがこれまた意外と違和感を感じないのです。
だいぶ前にそれに気づいた時から、私個人は列車以外のものを動かすのを考え込むのは少なくなりました。
むしろ車や人の場合「静止していても動感を感じるポージングや配置に意を配った方が良いのではないか(これには多分にジオラマ・ヴィネット的な要素と素養が必要になると思います)と思うようになったのです。

とはいえネオンサインの様に非常に効果的なアイテムもあったりするので全く無視しているわけではなく、いい方法が見つかれば何をさておいても試すつもりでいるのも確かです(笑)
例のバスコレの自走システムだって「これで普通のセダンや軽自動車が動かせれば(それもペースの異なる複数の車がいちどきに動いてくれれば言うことなし)もっと無理をいうなら「風のそよぎに合わせて一斉になびく土手の草の波とか森の梢」なんてのは是非欲しいですし。
特に興味深かったのは先月辺りから散見した「レイアウト、ジオラマの違い」についての物でして成る程と頷く所もあれば違和感を感じるところもあり、刺激になったのは間違いありません。
多分に散文的なのですが、それらを読んでふと思ったことから。
「レイアウトの中で列車だけが動いていて他のクルマやら人やらが動いていない事に違和感がある。実物をライブで見ると気にならないが、動画を見ていると動くものとの差が目立ってしまう」と言った意味の書き込みを拝見したのですが、これなども色々な視点から触発されたひとつです。
前者についてですが、レイアウトの上で「列車しか動かない不自然さ」というのは古くから何度も指摘されてきた事であり、80年代の「プレイモデル」だったかで「鉄道以外のものを動かすアニメコンテスト(だったかな?)」というのが募集されたこともあります。
最近ではジオコレでバスやトラックが自走するアイテムが話題をさらっていますし、わたし自身もネオンサインをレイアウトに組み入れたりしています。
一番やりやすいのは小型の液晶テレビを建物に組み込んだオーロラビジョンなんかかもしれません。

流石にNのサイズ(いや、16番でも?)で人間を動かす所まで行くのは少し難しそうですが。
ですが自分でレイアウトを作り、その上で列車を走らせてみると意外なほど周囲の風景が静止している事を不自然に感じないのも事実です。
ここで「現物を見ている時には気にならない」というキーワードはとても示唆に富んでいる事と思います。
現物を眺めるという事は走っている列車に注意が集中している状態であり、その状態では他の付帯的な事象は無意識のうちに注意が薄くなってしまう事を意味していると思います。
逆の例えですが、走行中の新幹線から車窓風景を眺めているとき、特に並走している別列車や車の流れは並進するそれなりに動きを感じますが、何も考えずに漫然と眺めているときは直角に近い角度で線路と交差する道の車や人間は極度にノロノロしているか、どうかすると止まっているかのように見える感覚に近いのかもしれません。
レイアウトでも列車の流し撮りをしているときなどはそれに近いと思います。
ところが全てが客観化される動画の場合、注目する対象の列車も周囲の車や人も同じウェイトで捉えられるため、周囲が動かないことの不自然さが際立って見えるという事はあるのではないかと思います。ライブと映像の感覚の差を大きく感じさせるのがレイアウトの特性と言えるかもしれません。
とはいえ、これには例外もあります。私が趣味の一つとして楽しんでいるミニチュア特撮映画などはミニチュアの町並みで怪獣が暴れまわるシーンが多いですし、その怪獣との絡みで戦車や飛行機、一般の車からどうかすると一部の人間までもミニチュアを動かす事が定番化しています。
ただし怪獣映画の場合それらの操演はあくまで主役たる怪獣を引き立てるための助演であり、必要以上に出しゃばる事は稀です。怪獣のアクションとの相乗効果で効果を上げるという点で、この辺はレイアウトでのアニメーションを考えるヒントが隠されている気もします。

(1961年東宝映画「モスラ」より画像引用)
また、街中の戦車の走行シーンなどでカメラを流し撮りで撮影する時、流し撮りのカメラの手前を静止した人波(もちろん人形)がずらりと通り過ぎるのですがこれまた意外と違和感を感じないのです。
だいぶ前にそれに気づいた時から、私個人は列車以外のものを動かすのを考え込むのは少なくなりました。
むしろ車や人の場合「静止していても動感を感じるポージングや配置に意を配った方が良いのではないか(これには多分にジオラマ・ヴィネット的な要素と素養が必要になると思います)と思うようになったのです。

とはいえネオンサインの様に非常に効果的なアイテムもあったりするので全く無視しているわけではなく、いい方法が見つかれば何をさておいても試すつもりでいるのも確かです(笑)
例のバスコレの自走システムだって「これで普通のセダンや軽自動車が動かせれば(それもペースの異なる複数の車がいちどきに動いてくれれば言うことなし)もっと無理をいうなら「風のそよぎに合わせて一斉になびく土手の草の波とか森の梢」なんてのは是非欲しいですし。