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(前回より続く)
高校に入る辺りまでは父をはじめとした家族も比較的鉄道模型には寛容だったのですが、流石に勉強もせずに熱中すると小言も増えます。
特に鉄道模型ときたら当時は完全なインドア系な所へ持ってきて当時私の学友にも鉄道趣味の人間がほとんどいませんでした。必然的に一人で専門誌を読んでいるかモケイのキシャをいじっているか、あるいはボール紙の貼り合わせでお粗末な建物らしい箱ばっかり作っている状態が続く訳です。
親の立場としては非常に自堕落に見えたのは想像に難くありません。
当時は「鉄道模型は大人の趣味で欧米では趣味の王様と呼ばれている」といった一般向けの入門書や専門誌がかなり出始め、多少はオトナに対する啓蒙もされ始めていた時期だったのですが現実に自閉的な遊び方ばかりやっている所を見せられると説得力に欠ける事夥しいものがあります(大汗)
それでもある年の夏休み、レイアウト作りに挑戦しようとしたのですが腕の未熟さと粘りの無さが祟って未完成のモジュールもどきが大量のごみくずと共に部屋に鎮座する事態に至ってしまいます(最近専門誌に載っていた「痛ジオラマ」の例よりもひどい出来でした)
それまでもろくな事をやっていなかった息子だっただけに(汗)とうとう「Nゲージなんかやめろ」と怒鳴りつけられる事になりました。
実際には一人暮らしの開始、生活環境の変化といった要因もあったのですがそれらが絡み合って高校の終わり頃には雑誌の購読を除く鉄道模型の趣味の休止に至りこれが20年続く事になります。
それでも数年前に再び趣味を再開し、レイアウトやモジュールを作り始める事になりました。
学生の当時は存在していなかったインターネットによる交流や同好の士の集まりとしてのクラブ活動への参加といった事もでき、あの頃に比べると鉄道模型の趣味そのものがかなり開放的になりつつある事を実感します。
とはいえ、そんな環境の変化や私自身の年齢があっても過去の無様さを思うと帰省で顔を合わせる事があっても鉄道模型の話題を出す事がなかなかしにくかったのも事実です。
実際にこの二十数年間この話題が出る事は(近所に住む従兄弟が鉄道模型を始めていた時期ですら)殆どありませんでした。
では父が私が鉄道模型を再開した事を知らなかったのかといえば恐らくそうではなかったと思います。
この4月、昨年亡くした家族の1周忌に故郷から両親が来た折、家の隅に作りかけのレイアウト(例のローカルレイアウトですが工事途上のデリケートな時期だっただけに完全にしまいこめませんでした)を目立たないように仕舞っておいたのですが少し家の中をうろつけば容易に見つかる場所でした。滞在は3日近かったので目に触れないと考える方がおかしかったのです。
結局その時は何も話題にはなりませんでした。尤も父の事ですから「あいつは懲りずにまだこんな事をやっているのか」位に思って口に出さなかったのかもしれません。
体育会系だった父の晩年は退職後、80近くなるまで20年以上も地元のバレーボールやソフトボールのコーチとして地元の学生に指導する生活でした。少なくとも趣味・嗜好に関して私とは明らかに違うベクトルだったといえます(精々クルマの話くらいが共通性があった点でしょうか)
しかしそれでも結局の所父の存在は私の鉄道模型趣味の歴史においてある時期は支援してもらい、ある時期は壁であり、ある時期はジレンマの対象だったと思います。
そのいずれにしても趣味生活・あるいは趣味人生においてそれらが大きな影響を与えた事は否定できません。
ですが結局趣味の中断以降その話題を語る機会を逸したまま父が逝ってしまったのは私にとって後悔のひとつでもあります。
(画像は本編とは関係ありません)