午後3時7分。SL銀河も釜石に到着です。
今回は基本的にSL銀河に乗ることそれ自体を目的にしていたので帰途は15時57分の普通列車を使う事にしていました。
ですから釜石の滞在時間は1時間もありません。
本来ならばもっとゆっくりしていきたい所だったのですが、私の休暇の都合上どうにもなりませんでした。
そんな訳であわただしい行程となりました。
釜石駅の周辺には津波は来ていないとの事で震災のダメージは感じられませんでしたが、私の子供の頃まであった釜石製鉄所の施設の大半が撤去されているのには時代の変化を感じます。
あの頃の釜石は岩手で随一の工業都市でしたから。
そう言えば同じ頃名物だった橋上市場(文字通り橋の上に市場があった)も駅前に移転していて名前だけが残っていたのが目を引きます。
家族の買い物もその全てがここでの海産物でした。
駅前と言ってもこのふたつの施設が目立つだけで少し寂しい気がします。震災の影響と言うよりもそれ以前からの産業構造の変化が影響している印象でした。
私個人はと言うと結局、駅前広場のベンチに座って時間ぎりぎりまで空を眺めていました。
実を言うと今回の旅行で一番時間の贅沢を感じたのがこの時だったりします。
釜石駅の駅舎自体は昔と変わっていませんが、都会の駅と違って次の列車の出発15分位前にならないと改札が開かず、もちろんホームへ出る事も出来ません。
そんな訳で駅構内の風景をゆっくり眺められるのはその15分間くらいと言う事になります。
ホームに上がってまず目を引くのは隣の三陸鉄道のホームに居た36形700番台です。
これは震災で廃車になった36形の充当としてクゥエートからの寄付によって入線した車両で、よく見ると車体にアラビア文字が書かれているのが見えます。
そうしたいきさつを別にしてもこれまで基本的に同じ顔の36形が右往左往していた三陸鉄道のニューフェイスとして中々の存在感を感じました。
この700番台は来年TOMIXからNのモデルが出る事になっていて私も予約しています(笑)
私のいるホーム上にはC58を切り離したキハ141系が停まり、反対側にはこれから乗るキハ100系2連が待っています。
と、思っていると客車の方がいきなり動きだし、単独でさっさと留置線へ行ってしまいました。
他のSLイベント列車の場合切り離された客車の扱いが案外面倒(場合によっては本務機の他に入替機が必要だったりする)と思うのですが銀河の場合客車が自走できるメリットがこんなところにもある様な気もします。
そのC58はというと駅の山側の端に新設されたと思しき車庫の中にテンダ側をこちらに向けて駐機していました。
その奥にはこれも新設らしいターンテーブルが鎮座しているのですが生憎ここからは見えません。
そして15時57分。
帰途に就く私たちを乗せたキハ100は釜石を滑り出しました。
車窓からはターンテーブルも見えますがカラーリングが何やらオモチャ臭く見えます。
SL銀河を使った往路はトータル5時間ちょっとでしたが帰途は全て普通列車を使い3時間ちょっとです。
しかもこちらは各駅停車である事を考えると「動力の近代化」の恩恵は肌で感じます(笑)
実際C58ではブースター付きでも息を切らし気味だった仙人峠もキハ100は文字通りすいすい行きますし、加速・減速のスムーズさもキハ20辺りに比べてかなり洗練されています。
この種のローカル車両に乗る時、都会人はどうしても田舎くさいノスタルジーが先行してしまい、新型車が入る事による乗り味の改善や利便性の向上を体で感じる機会に乏しい気もしますが、日常の足でこれを使う人からすれば速く快適になるというのは大きな恩恵ともいます。
今回は基本的にSL銀河に乗ることそれ自体を目的にしていたので帰途は15時57分の普通列車を使う事にしていました。
ですから釜石の滞在時間は1時間もありません。
本来ならばもっとゆっくりしていきたい所だったのですが、私の休暇の都合上どうにもなりませんでした。
そんな訳であわただしい行程となりました。
釜石駅の周辺には津波は来ていないとの事で震災のダメージは感じられませんでしたが、私の子供の頃まであった釜石製鉄所の施設の大半が撤去されているのには時代の変化を感じます。
あの頃の釜石は岩手で随一の工業都市でしたから。
そう言えば同じ頃名物だった橋上市場(文字通り橋の上に市場があった)も駅前に移転していて名前だけが残っていたのが目を引きます。
家族の買い物もその全てがここでの海産物でした。
駅前と言ってもこのふたつの施設が目立つだけで少し寂しい気がします。震災の影響と言うよりもそれ以前からの産業構造の変化が影響している印象でした。
私個人はと言うと結局、駅前広場のベンチに座って時間ぎりぎりまで空を眺めていました。
実を言うと今回の旅行で一番時間の贅沢を感じたのがこの時だったりします。
釜石駅の駅舎自体は昔と変わっていませんが、都会の駅と違って次の列車の出発15分位前にならないと改札が開かず、もちろんホームへ出る事も出来ません。
そんな訳で駅構内の風景をゆっくり眺められるのはその15分間くらいと言う事になります。
ホームに上がってまず目を引くのは隣の三陸鉄道のホームに居た36形700番台です。
これは震災で廃車になった36形の充当としてクゥエートからの寄付によって入線した車両で、よく見ると車体にアラビア文字が書かれているのが見えます。
そうしたいきさつを別にしてもこれまで基本的に同じ顔の36形が右往左往していた三陸鉄道のニューフェイスとして中々の存在感を感じました。
この700番台は来年TOMIXからNのモデルが出る事になっていて私も予約しています(笑)
私のいるホーム上にはC58を切り離したキハ141系が停まり、反対側にはこれから乗るキハ100系2連が待っています。
と、思っていると客車の方がいきなり動きだし、単独でさっさと留置線へ行ってしまいました。
他のSLイベント列車の場合切り離された客車の扱いが案外面倒(場合によっては本務機の他に入替機が必要だったりする)と思うのですが銀河の場合客車が自走できるメリットがこんなところにもある様な気もします。
そのC58はというと駅の山側の端に新設されたと思しき車庫の中にテンダ側をこちらに向けて駐機していました。
その奥にはこれも新設らしいターンテーブルが鎮座しているのですが生憎ここからは見えません。
そして15時57分。
帰途に就く私たちを乗せたキハ100は釜石を滑り出しました。
車窓からはターンテーブルも見えますがカラーリングが何やらオモチャ臭く見えます。
SL銀河を使った往路はトータル5時間ちょっとでしたが帰途は全て普通列車を使い3時間ちょっとです。
しかもこちらは各駅停車である事を考えると「動力の近代化」の恩恵は肌で感じます(笑)
実際C58ではブースター付きでも息を切らし気味だった仙人峠もキハ100は文字通りすいすい行きますし、加速・減速のスムーズさもキハ20辺りに比べてかなり洗練されています。
この種のローカル車両に乗る時、都会人はどうしても田舎くさいノスタルジーが先行してしまい、新型車が入る事による乗り味の改善や利便性の向上を体で感じる機会に乏しい気もしますが、日常の足でこれを使う人からすれば速く快適になるというのは大きな恩恵ともいます。