光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

SL銀河旅行記その7・「釜石到着・そして釜石駅構内にて」

2014-11-12 16:04:53 | 旅行・探訪・イベントなど
午後3時7分。SL銀河も釜石に到着です。

今回は基本的にSL銀河に乗ることそれ自体を目的にしていたので帰途は15時57分の普通列車を使う事にしていました。
 ですから釜石の滞在時間は1時間もありません。
 本来ならばもっとゆっくりしていきたい所だったのですが、私の休暇の都合上どうにもなりませんでした。
 そんな訳であわただしい行程となりました。


 釜石駅の周辺には津波は来ていないとの事で震災のダメージは感じられませんでしたが、私の子供の頃まであった釜石製鉄所の施設の大半が撤去されているのには時代の変化を感じます。
 あの頃の釜石は岩手で随一の工業都市でしたから。

 
 そう言えば同じ頃名物だった橋上市場(文字通り橋の上に市場があった)も駅前に移転していて名前だけが残っていたのが目を引きます。
 家族の買い物もその全てがここでの海産物でした。

 駅前と言ってもこのふたつの施設が目立つだけで少し寂しい気がします。震災の影響と言うよりもそれ以前からの産業構造の変化が影響している印象でした。



 私個人はと言うと結局、駅前広場のベンチに座って時間ぎりぎりまで空を眺めていました。
 実を言うと今回の旅行で一番時間の贅沢を感じたのがこの時だったりします。

 釜石駅の駅舎自体は昔と変わっていませんが、都会の駅と違って次の列車の出発15分位前にならないと改札が開かず、もちろんホームへ出る事も出来ません。

 そんな訳で駅構内の風景をゆっくり眺められるのはその15分間くらいと言う事になります。

 ホームに上がってまず目を引くのは隣の三陸鉄道のホームに居た36形700番台です。

 これは震災で廃車になった36形の充当としてクゥエートからの寄付によって入線した車両で、よく見ると車体にアラビア文字が書かれているのが見えます。
 そうしたいきさつを別にしてもこれまで基本的に同じ顔の36形が右往左往していた三陸鉄道のニューフェイスとして中々の存在感を感じました。

 この700番台は来年TOMIXからNのモデルが出る事になっていて私も予約しています(笑)



 私のいるホーム上にはC58を切り離したキハ141系が停まり、反対側にはこれから乗るキハ100系2連が待っています。

 と、思っていると客車の方がいきなり動きだし、単独でさっさと留置線へ行ってしまいました。
 他のSLイベント列車の場合切り離された客車の扱いが案外面倒(場合によっては本務機の他に入替機が必要だったりする)と思うのですが銀河の場合客車が自走できるメリットがこんなところにもある様な気もします。


 そのC58はというと駅の山側の端に新設されたと思しき車庫の中にテンダ側をこちらに向けて駐機していました。
 その奥にはこれも新設らしいターンテーブルが鎮座しているのですが生憎ここからは見えません。

 そして15時57分。

 帰途に就く私たちを乗せたキハ100は釜石を滑り出しました。


 車窓からはターンテーブルも見えますがカラーリングが何やらオモチャ臭く見えます。
 
 SL銀河を使った往路はトータル5時間ちょっとでしたが帰途は全て普通列車を使い3時間ちょっとです。
 しかもこちらは各駅停車である事を考えると「動力の近代化」の恩恵は肌で感じます(笑)

 実際C58ではブースター付きでも息を切らし気味だった仙人峠もキハ100は文字通りすいすい行きますし、加速・減速のスムーズさもキハ20辺りに比べてかなり洗練されています。
 この種のローカル車両に乗る時、都会人はどうしても田舎くさいノスタルジーが先行してしまい、新型車が入る事による乗り味の改善や利便性の向上を体で感じる機会に乏しい気もしますが、日常の足でこれを使う人からすれば速く快適になるというのは大きな恩恵ともいます。

SL銀河旅行記その6・「マルチプルタイタンパーのお出迎えを受ける(笑)」

2014-11-11 16:03:12 | 旅行・探訪・イベントなど
 先にトンネル内の煤煙の話をしましたが、実はこれが問題になるのは登りの時だけです。
 下りでは絶気運転状態になるので少なくとも有害な煙はあまり出ません。

 その代り下りではSL特有の力強さを感じるシリンダーの感覚が薄れますが、逆に「疲れ切った機関車がようやく一息ついたような軽快な走り」にもなります。

 目的地の釜石まであと少し。
 手前の陸中大橋駅でしばし停車です。

 この列車の乗客の殆どはこの列車に乗るのが目的で来ていますから当然自分の乗ってきたC58や客車なんかを撮影するのが普通で、他の車両に見向きするのはあまりいません。
 まあ、私自身そんな客の一人なのですが、この駅では少し様子が違います。


 仙建工業所属のマルチプルタイタンパーMTT08がたまたま反対側の側線に停車していてそっちの方が珍しい気がしたのでつい撮ってしまいました(笑)隣にバラストキャラクレータらしいのも居ましたし。
 都会の駅や幹線沿いでこれを見るのはそう珍しくもないと思うのですが、釜石線の様なローカル線でこれが居るのを見るのは個人的には結構なインパクトだったりします。

 おかげでこの時ばかりは銀河そっちのけで特殊車ばかり見ておりました。

 ちなみにこれらの車両は近日GMからNゲージのモデルがリリース予定だったはずです。
 これは事によると「これを買え」というお告げの様なものなのでしょうか(笑)

SL銀河旅行記その5・「仙人峠」を越える

2014-11-10 16:56:50 | 旅行・探訪・イベントなど
 SL銀河の旅行記から
 13時30分。

 遠野を出発したSL銀河はここから最難所ともいえる「仙人峠」越えに掛かります。
 「仙人峠」というと何やらロマンチックな気もするのですが実際は「仙人でもなければ越えられない」と言った意味らしいですし、並行して走る国道も相当な勾配と急カーブの連続だった記憶があるので釜石線の方は推して知るべしでしょう。
 ここを越えるためにはC58だけでは足りず、牽引される客車にブースター機能としてエンジンの付いた気動車に仕立てた訳です。

 いよいよ山坂道に掛かると周囲の風景が一変。
 それまで田舎は田舎でもどことなく人の匂いのするのどかな風景だったのが文字通り「秘境」のレベルになります。

 当然トンネルも多い訳で、トンネルに入る度煤煙が客車にもまとわりついてきます。
 SL銀河に牽引される客車は前述の通り元が気動車ですので後端には当然運転席が付いています。
 ですので後部デッキに立つと運転席越しに後方の景色が見られます。とはいえ運転席越しなので展望車みたいな訳には行きませんがそれでも普通の客車にはないメリットではあります。
 トンネルに入る度ここから後方を覗きこむと見事な位に煙が渦巻く様を堪能できる(それも煙にむせずに)のは今どきの鉄道ファンにはたまらないのではないかと思います(笑)

 客車の方も二重窓ですから煙は侵入せず、せいぜい石炭の匂いを感じる程度。全くいい時代になったものですね(笑)

 先述しましたが私も幼少時には旅行のたびに蒸気機関車牽引の旧客のお世話になっていたのですが考えてみたら当時の私が列車で出かける範囲には一か所もトンネルがありません。
 ですから「蒸機列車でトンネルを抜ける」という経験自体が今回初めてだったことになります。

 ちなみに客車部分は前の方にも運転席がありますからそちらから「走行中のC58のテンダー部分を眺める」事も可能です。
 こんな構造の客車もそうはないでしょうから(笑)この辺も「SL銀河」の魅力になるかもしれません。

SL銀河旅行記その4・遠野駅にてふと思うこと

2014-11-09 16:50:49 | 旅行・探訪・イベントなど
 花巻を出て約1時間40分ほどで遠野へ到着。

 同じ距離を気動車なら1時間弱ですからいかにのんびりした走りであるかお分かり頂けると思います。
 しかもここ遠野ではC58の給水・給炭タイムがあるので1時間15分という長時間の停車となります。

 普通の客でしたらここで一旦改札を出て駅前で食事でもとるか街並みを散策でもするところでしょうし「鉄」さんだったらそのまま跨線橋の上にでも陣取って給炭、給水風景でも心行くまで堪能しているところです。


 実際、給炭風景などはこういう所でもないとなかなか見られないでしょうし。
 それらの設備ですがホームの奥に新設された物を使っているようです。水タンクなどはそこいらのビルの上にでも載っていそうなタイプの様で妙に近代的です。
 あと貯炭スペースの「妙にピカピカのネコ」なんかと併せると子供の頃の「地面も含めて何もかもが薄黒い」蒸機在籍時の機関区のイメージはどっかへ飛んでしまいます(笑)
 給炭というか、私が見たのは主にテンダ上の石炭を均すところが主でしたが、跨線橋の中ほどからこれが眺められるので結構画になります。

 それにしてもこの列車に乗って久しぶりに思い出されたのが「石炭の匂い」でした。
 以前紹介した親類の機関士の関係で子供の頃は時折機関区を覗かせてもらっていましたし、1970年代半ばころまではどこの学校でも「石炭ストーブ」が標準装備でこれまたどこの学校にも校庭の隅に「石炭小屋」というのがあったので石炭という燃料には相当馴染みのある子供時代でした。
 蒸機が廃止され、学校のストーブが石油になって大分経つのですが、あの頃の感覚としては「手間のかかる石炭がなくなって便利になったもんだ」位でしかありませんでした。

 そのせいかそれらがなくなってもそれほど気にする事もなかったのですが、最近になってその石炭が「鉄道博物館の展示品」になっているのを見た時には結構なカルチャーショックを感じました(笑)

 そして今回のSL銀河です。
 これに乗っていて、殊にトンネル通過時に窓の隙間なんかからかすかに石炭の匂いを感じた時そこはかとない懐かしさを感じました。
 C58牽引時に背中に感じる「シリンダーの作動感覚」と併せてまだSLが残っていた時の故郷が強く思い出されました。

 それと、やはりどれだけ観光列車っぽく洗練されていてもこういう「自分で焚いた石炭の力でピストンを回す」という蒸機のアナログな走行感覚は変わっていませんでしたし、かのSLブームの折に何があれだけ人を引き付けたかの一端を感じる思いがします。

さて、給炭風景を覗いた後は遠野の駅前で食事・・・です。


 遠野と言えば柳田國男が「民話のふるさと」を語り、河童と座敷童とオシラサマの巣窟というイメージを個人的にもっていますし、実際これまで何度かこの界隈を覗いた事もあります。
 とはいえ、それらの交通機関はその全てが亡父の運転する自家用車でしたのでSLがどうこう言う以前に「鉄道で遠野へ行ったこと自体が生まれて初めて」でした。
 岩手出身でしかも母方の田舎がここの隣町(とは言っても2,30キロは離れているのですが)なのにこの体たらく。全く鉄道ファンの風上にも置けませんね(恥)




 それにしても駅舎そのものもですが駅周辺の街並みの印象が20年前とまるで変わっていないのには驚きました。
 同じ事は平泉でも感じたのですが周囲が山で隔絶した環境な分「時間の凍結感」はこちらの方がより強く感じます。
 それでも街並みなどは最近レトロ系の観光施設を追加したせいか長野の小布施にごく近い雰囲気でした。



 ただ、土曜日の昼飯時だというのにとにかく人通りがありません。
 そればかりか車の通行もまばらでよく言えば「静かで落ち着いた」悪く言えば「昼間からなにか出そう」な感じが同居している印象でした(悪口ではないので誤解なきように汗)
 駅前の店の並びなどは昭和40年代、事によると20,30年代以前の物も混じっているかもしれません。
 20年もすれば街並みが変わってしまう位の変転(これは盛岡にしろ、私の現住地にしろ見られた事なのですが)を目にしてきた身にすれば街としてのこの変わらなさにはほっとさせられるものがあります。



 そういえばこのブログの写真を見返して思い出したのですが駅から結構な距離を歩いたつもりだったのにその間コンビニとファーストフード店、それと100円ショップを一軒も見ませんでした。

 昼飯ですが駅から少し離れたところの定食屋で「ジンギスカン丼」を。
 岩手や青森の人間にとっては一種のソウルフード(笑)でもあるのにここ数年食べていませんでしたから久しぶりに食べるとこれまた懐かしかったです。


 で、隣の土産物屋で地元銘菓の「ゆべし」と「あけがらす」を買って駅に戻ります。

SL銀河旅行記その3 [ SL銀河旅行記その3・「銀河版キハ141系」の内装のはなし

2014-11-08 16:46:50 | 旅行・探訪・イベントなど
 この列車「乗るために乗る」性格だけに内装はそれなりに凝っています。
 車内で記念写真を撮る人もかなり多かったですが。

 実際乗っている立場の私自身カメラやカムコーダ片手にあちこち撮りまくったのも確かです。
 後で整理してみたら5時間の乗車時間で写真だけで300枚近く取っていました。
 
 私個人としては文句なしの新記録。

 母の故郷のある土沢までは原則車窓風景中心。
 後は停車駅ごとに写真を撮る様な形です。もちろん車内の内装が売りの列車ですからそちらも(笑)

 ところでこのSL銀河ですが、普通の座席とは別に車両のコーナー部やデッキ部にソファや丸椅子が配置されており(数えてみたら40席位あります)ボックス席の窮屈さを和らげる効果があります。
 コーナー部のソファなどは結構くつろげますし、壁にもたれながら背中にC58のシリンダーの駆動がもたらす独特の振動を感じる度に極楽気分が(爆)
 ソファのあるコーナーは原則展示スペースで宮澤賢治の描いた画や資料等が並べられています。
 賢治関連の書籍が駆り出される図書コーナーもありますし。

 実際、ここだけ見るととても列車の中には見えません。
 「走る賢治記念館」・・・というか内装の雰囲気まで入れると「走る光原社」と言った方がぴったりきます。
 (光原社とは盛岡にある民芸品屋で賢治が生前童話を出版した謂れがある賢治ファンの聖地のひとつです。いや、内装の雰囲気が本当にそっくりでw)

 しかも本家の光原社と違って弁当まで売っています(笑)
 車内の売店にはその弁当やお菓子はもとより賢治グッズも置いてあるのですがレジ裏のカウンターに天賞堂製と思しき16番のC58が置いてあったのには驚きました。

 流石にこれは非売品でしたが、もし売られていたら「SL銀河の車内で10万円クラスの散財」なんてのを現実化させる客も出ていたかもしれませんね(笑)

 それは置いておいて、

 賢治というキーワードを離れても結構くつろげる構造の列車なのは確かです。
 もし私が旧客の1両でも買って自分用の別荘にでもしようと思ったらこういう内装にするだろうと思える雰囲気の良さがあります。
 しかも列車だけに借景は借り放題(笑)
 もしこの列車が都市部や海岸沿いなんかを走る事でもあればかなり新鮮な気分が味わえるのではないでしょうか。

「SL銀河」ネタ番外編・中村精密のC58の入線

2014-11-07 16:43:38 | 車両・蒸気機関車
 「SL銀河」絡みというか、今年はよくC58に当たる気がします。

 今回のは中村精密のC58。
 競合機が殆ど無いC54と違いKATOを筆頭にマイクロの製品もかなり普及しているせいか値段は以前入線させたC54の半額以下でした。
 実質KATOの新品並みです。

 コンディションもC54と同レベルで走行性も悪くありません。

 こちらは確か実車で「やまぐち号」が登場した前後のリリースだった筈です。
 が、そのせいか走行性は良い物の造形自体に煮詰めの甘さの様な物を感じました。

 具体的には妙に寸詰まりな砂箱とかボイラー下部のざらついたバリなどでしょうか。
 バックプレートも再現されていますがキャブの窓が小さいので真後ろから覗かない限りせっかくの造形がよく見えないのは仕方ありません。
 とはいえ量産完成品でバックプレートのきちんと付いたC58はワールドなどの高級品しかありませんからその意味では貴重です。


 実際のスケールよりやや大きめに作られたKATOと異なり一応スケールに近いサイズなのでKATO以外のメーカーの蒸気と並べる分には中々いい雰囲気を見せます。
 何より走りっぷりはC54とほぼ同レベルなのが嬉しいポイントでした。

 それにしても童友社の「C58のようなもの」が入線して半年と経っていないのにこんなのまで入ってきたのには驚かされます。
 つくづくC58には何か因縁があるのかもしれません。

SL銀河旅行記その2 花巻到着・そして乗車

2014-11-06 16:38:34 | 旅行・探訪・イベントなど
 今回は花巻駅周辺のはなしから
 待ち合わせまで1時間近くあり、暇だったので少し駅前を散策します。

 花巻の駅舎は少なくとも昭和40年代の初め頃から変わっていない筈なので私にとってはまあ「懐かしい駅」ではあるのですが、いつも通過か乗り換えにしか使わなかったので駅舎、それも改札から向こうはこれまで行った事がありません。
 ですから文字通り花巻駅初体験(笑)です。

 その目で見て意外だったのが駅舎の規模に比べて改札やコンコースのスペースが狭かった事です。
 右の方に待合室左側にコンビニが並びますがそれでも実質入口から改札までは単なる通路と言った感じでしょうか。
 この改札から売店をのけると身延線の南甲府駅の雰囲気にごく近い造りに見えました。


 それ以上に驚かされたのが駅前の閑散度。
 この辺りで一番大きな街な筈なのですが駅前に殆ど店を見る事ができなかったのが意外でした。コンビニすら駅のNEW DAYSだけでしたし。
 私の現住地もここ10年位「活気のない駅前」の上位につけている所なのですがそれどころの騒ぎではありません。
 花巻の場合目抜き通りが駅から離れているのでこういう雰囲気になったのと思います。盛岡も新幹線が開通するまでは町はずれの駅で閑散としていましたから。

 駅前で一番活気があったのがバス停の周辺でしょうか。
 この辺りは岩手県交通の縄張りですが国際興業系のバス会社なので走るバスも当然その系列カラー。
 埼玉や東京辺りで見かけるバスとそれほど違いはありません。

 私の学生時代はこの会社も左前だった時期で全国の廃車寸前の中古バスがかき集められて運用されており路線バス版の高松琴平電鉄状態でした。
 当時実際にそれらのバスを通学に使っていましたが、とにかく古臭い上に元々山岳路での使用を想定していないバスばかりだったので実家近くの坂道では自転車並みに遅い状態、おまけに当時はストが頻発していたので正直いいイメージはありませんでした。
 その頃に比べると随分と良くはなったと思います。
 ノスタルジーとは別の意味でですが(笑)

 10時17分。

 改札が開かれいよいよSL銀河に乗車です。
 (列車の来る直前に改札が開かれるというのは都会ではまず見られない田舎ならではの光景でしょう。運行密度が低く、列車と列車の間が開いている事も関係していると思います)

 ホームに上がるといきなり花巻の伝統芸能である鹿踊りの群れが出迎えていたのには驚きました(笑)
 この辺り如何にも観光列車ではあります。 

 10時37分。
 SL銀河は花巻駅を出発します。

 平坦地では原則C58が引っ張る形らしくキハの方は一応おとなしく牽かれている様子です(笑)

 そのキハ141ですが元々北海道仕様のオハ50系を種車にしている関係上、岩手でもなかなか見ない二重窓を備えているのが特徴です。
 私自身、修学旅行先の函館で乗った旧客で初めて二重窓に触れた位だったりしますから本州では珍しい気がします。

 元が客車なのでボックス席のシートピッチはやや狭い部類。4人が収まると子供でもない限り膝がつっかえます。
 この客車がデビューして30年は経過している筈ですからその間に、日本人の足がそれだけ長くなったという事でしょうか(笑)

 因みにホーム上で後ろからこの列車を見るとどこから見ても「普通のディーゼルカー」にしか見えません。
 運転席がある以上仕方ないのですがSLが牽く列車なのだからせめて展望車風の造形にするなどして違和感を消す工夫は欲しかった気もします。
 もっともこの界隈で見かける気動車はその殆どがキハ100系なのでその目で見ると新鮮な事は新鮮です。

 最もこれなど乗っている分には分からない事ですが。

 沿線を見ていて驚いたのは線路際に立つ人立つ人のほぼ全てが列車に手を振っていた事でした。
 ブルートレインに乗っていたってこれほどの歓待を受けた事はありません。まるでお召列車並みです。

 カメラの方列ももちろんあるのですが、岩手の田舎度の関係からか首都圏などに比べると密度はかなり低いです。
 それだけにレイアウトに組み込むと画になりそうな構図の「鉄」があちこちで見られたのも収穫でした(笑)

SL銀河旅行記その1・701系のはなしから

2014-11-05 16:35:56 | 旅行・探訪・イベントなど

 SL銀河乗車レポートの第1回・・・ですが肝心の銀河は今回殆ど出ません。

 乗車当日の朝9時。
 盛岡に実家がある関係で「SL銀河」が運行される花巻までは東北本線を行く事になります。

 乗るは久しぶりの乗車になる盛岡色の701系。
 正直この電車についてはあまりいい思い出がありません。
 というのもこの電車盛岡では初の「オールベンチシートの3扉電車」なのです。

 これが入線するまでは普通列車にはオハ50系、それ以前はオハ47を中心にした旧客が運用されていたのですがどれもクロスシートがメインだったので座席に座れさえすればそこそこ車窓風景が楽しめたのです。
 岩手の様な田舎ではこれは結構なメリットだったのですがベンチシートでは鉄道を使う気分が相当スポイルされます。

 何しろ見上げれば人の壁、首都圏の通勤電車と違って車内広告もなければドア上のテレビなんて気の利いたものもありません。
 私の学生時代は路線バスの方がベンチシート標準だったのですがどこを走っていても人の壁しか見られず、たった30分の乗車時間がひたすら退屈でした。
 同じ通勤車でもそのバスの方はとっくにベンチシートはなくなっているのにえらい違いです(笑)

 余談ですが盛岡駅でよく見かける(と言うよりこれかキハ100系しか居ない)701系。
 マイクロから様々なバリエーションが製品化されていますが何故か盛岡色だけ出ていません。別にマイクロに拘る訳ではないので他社でも構わないのでどこか製品化してくれないかと思います。
 でないと盛岡駅の色違いが再現できません(あれだけ実車は好きでないのに汗)

 ただし、今回は通勤時間帯を外れた乗車だったせいか客がごく少なかったので向かい側の席の窓が比較的開けて見えたのが取り柄でした。
 途中矢巾の駅構内では「SL銀河」の客車(と言うか気動車)の編成を追い抜きましたが、あまりに急だったので写真が撮れず(恥)
 C58の方は単機回送の様です。

 このルートは私の亡父が自家用車を買うまでの期間、主に盆暮れ正月を中心に帰省のメインだったコースなのでそれなりに懐かしさもあります。
 矢幅や岩手飯岡の様に駅自体が新幹線の高架下になったり小奇麗な建物に改築された所もあるのですが、それでも仙北町や花巻空港(旧二枚橋)辺りはそれほど変わっていないので少しほっとします。 

 9時40分花巻着。
 SL銀河の発車まで1時間近い待ち合わせです。

「SL銀河」に乗って来ました・プロローグ

2014-11-04 22:28:31 | 旅行・探訪・イベントなど
 今回は実車ネタです。
 先日、どうにか切符を取る事が出来たのを幸い、かねて乗りたかった「SL銀河」に乗る事ができました。

 
 これまでこの種の「乗るために乗る」と言う性質の列車に乗った事がないので結構新鮮な体験ができたと思います。
 
 SL銀河は今年の春から釜石線で運行を始めたイベント列車・・・と言うかコンセプト的には富士急行の「富士登山電車」に近い観光列車です。
 牽引機はそれまで盛岡の運動公園に静態保存されていたC58の239号機。以前は宮古機関区に在籍し専ら山田線で活躍していたロコです。
 これが4連の車両を牽引するのですが、運行されるのが途中に仙人峠という難所を抱えた釜石線の為、牽かれる客車にも動力を内蔵し勾配区間等でブースターとして機能させるというのが面白い編成ではあります。

 その客車は元々北海道で使われていたキハ141系と呼ばれる「オハ50系の改造ディーゼルカー」で当然これだけでも自走できます(笑)

 車体や内装には地元の偉人である宮澤賢治のモチーフが用いられており、実際「銀河」と言うネーミングも「銀河鉄道の夜」から来ています。
 とにかく何から何までこれまで私が乗ってきた列車とはノリが異なるのですがそれだけに興味もわきます。

 そんな訳で次回から何回かに分けてその辺りの話をしたいと思います。
 尚、サブブログでも同時並行で書いてゆくつもりですのでよろしければそちらもご覧ください。


フライッシュマンのBR38(国鉄8800)蒸気機関車

2014-11-02 16:42:26 | 車両・蒸気機関車
今回は外国形中古モデルから。
 フライッシュマンのDB38型蒸気。同形のモデルのHOバージョンは以前紹介した事がありますが、今回入手できたのはNの仕様です。


 これについては昨年秋のクラブの運転会で紹介した事がありますが、国鉄8800型蒸気のひな型となった経緯のあるドイツの蒸気機関車です。
 実際、これが輸入された大正初期には英国型、アメリカ形、ドイツ型の蒸気が蒸気機関車の国産化サンプルとして随分いろいろなタイプが輸入され一種百花繚乱の様相を呈していました。
 ドイツ型らしい質実剛健さと精密さを併せ持ったデザインはHOでも十分魅力的です。


 昨年辺りにこれと同じモデルをクラブのメンバーの持ち物として見せてもらった時にはなかなか良い感じのモデルという印象だったので少なからず羨ましいと思ったものです。
 ですが、それから9カ月ほどして同じモデルがエバーグリーンショップの店頭にあるのを見つけた時は結構驚きました。
 しかも値段も日本型蒸気のそれと大差ない(と言うかむしろ安い)のは購入を決断させるには十分です。

 こうやって私の財布は日々痩せて行きます(大汗)

 ただ、安いだけあって「走行時に空転しやすい」との但し書き付きです。
 帰宅後の再チェックでは動力のあるテンダーの車輪のゴムタイヤが経年劣化しており車輪の直径が総体的に小さくなった事が空転の原因の様です。
 このブログにお付き合い頂いている方にはご記憶の向きもあるかと思いますが、これと同じトラブルは昨年中村精密のC51で経験済みです。

 
 その時のレストアの経験に照らし合わせるならゴムタイヤ部の交換か、駆動輪の順番を差し替える事で多少改善すると思われます。
 どの方法を使うかは今後の課題ですが。

 外見上はデフを撤去し、動輪を塗り替え、大型のヘッドランプを付けるだけでもかなり8800に近い感じにはなりそうです。但しテンダーは恐らく国産の3軸と思われるのでそのままでは適合できないのですが、何しろテンダードライブ機ですからそこは割り切るしかないでしょう。


 尤もそのままでもスハ32系辺りとはよく似合います。

エンドウの京成スカイライナーのはなし

2014-11-01 16:39:58 | 車両・私鉄/民鉄
 エンドウの京成AE車のジャンク品を手に入れた話から。

 帰省の折埼玉の某ショップにてエンドウAEのセットの出物があったのですがパッケージが厳重だったので中身のチェックをきちんとしなかったまま買ってしまったのがそもそもの始まりでした。
 帰宅後に開封して中身を見たところ、車両の数は揃っていたのですが
 ・・・「動力車が無い」
 正直これには焦りました。

 エンドウのAE車自体はヴィンテージもののモデルの中でも特に人気の高い物でショップにしろ奥にしろ極端に安価なモデルに当たる事は殆どありません。
 先ずこの時点で中身を疑うべきでした(汗)

 何れにしろこのままだと「側線の飾り物」以上の存在にはなりません。
 さてどうしたものかと思ったのですがここで思い出したのは

 エンドウの動力ユニットは同社のNゲージ撤退後も長い間GM向けにOEMされていた事です。
 とすると、GMのユニットの中で使える物がある可能性が高い事になります。
 そこに気が付くと後はとんとん拍子でした。

 手持ちのGMのユニットの中に「阪急デルリン」の18Mの物があったのを幸い、試しにはめ込んでみるとまるで誂えたようにぴったりはまったのには驚きました。
 このユニット、以前GMのキット用に買ったのは良かったものの実際のキットに適合しなかったために2年位宙に浮いていた物です。
 まさかこんな形で役立つ事になろうとは思いませんでした。
 台車の形状もAEのそれと全く同じでしたし。

 これらのユニットは現在でも購入できる物が多いのでエンドウ車の動力換装には使えそうです。

 ただ、床下機器が無かったのでそこは元のAE-2の非動力の床板からカットオフして貼り付けました。
 これだけの事でたった30分ほどでAE編成は復活を果たしました。

 車体の造形ですがプラ製に比べればディテーリングなど無いに等しいのに先頭車の造形が非常に良く出来ているのでハンデを殆ど感じません。
 屋根上も適度にプラパーツを併用しているのでそこそこの細密感はありますし、何よりブラスボディならではの窓の抜けの良さは今見ても一級品です。