12時から、京都教育大学へ
京都教育大学の附属特別支援教育臨床研究センターのシンポジューム「特別支援教育と教科教育の融合」での、国語教育の授業づくりの場合のシンポに指定討論者として参加。
何を喋ったらよいのか、その場で判断しないといけないので疲れ果てる。
4時まで。うまく喋れなかったので、後悔…。
6時過ぎから、テレビで、盲ろう二重障害の人たちのことが取り上げられていた。指文字で、コミュニケーションをする先天性の盲ろうの青年の大学進学試験へのチャレンジも取り上げられていた。
このような聴覚・視覚の感覚の障害のある場合、接触などによって、周囲の状況を伝えていく必要があるが、その場合の言葉というのはどう構築されるのだろうか。しかし、いったん、概念が形成された場合、それを駆使していけるように、それに刺激をあたえていくような外部からのインプットの支援の内容は、本質的な事柄や援助される人の概念が発展していけるような内容を示していかないといけない。それには、支援者の言葉の力がとてももとめられる。すべてを言葉で表せるような力が。
昨日まで、大野さんの世界を音で表す試みを考えていたので、言葉ではない音の感覚の広がりで、世界を感じることを考えていた…と言うより、感じていたのだから、全くその逆ということになる。今日の「国語教育」のことも含めて、どう考えて良いのか、音、音声言語、視覚言語、話し言葉と書き言葉、日本語・国語…。そして、わたしたちのコミュニケーション、表現と人格ということ…。
1週間の疲れも重なって、感じることにも、考えることにも本当に疲れた。休みたい。
京都教育大学の附属特別支援教育臨床研究センターのシンポジューム「特別支援教育と教科教育の融合」での、国語教育の授業づくりの場合のシンポに指定討論者として参加。
何を喋ったらよいのか、その場で判断しないといけないので疲れ果てる。
4時まで。うまく喋れなかったので、後悔…。
6時過ぎから、テレビで、盲ろう二重障害の人たちのことが取り上げられていた。指文字で、コミュニケーションをする先天性の盲ろうの青年の大学進学試験へのチャレンジも取り上げられていた。
このような聴覚・視覚の感覚の障害のある場合、接触などによって、周囲の状況を伝えていく必要があるが、その場合の言葉というのはどう構築されるのだろうか。しかし、いったん、概念が形成された場合、それを駆使していけるように、それに刺激をあたえていくような外部からのインプットの支援の内容は、本質的な事柄や援助される人の概念が発展していけるような内容を示していかないといけない。それには、支援者の言葉の力がとてももとめられる。すべてを言葉で表せるような力が。
昨日まで、大野さんの世界を音で表す試みを考えていたので、言葉ではない音の感覚の広がりで、世界を感じることを考えていた…と言うより、感じていたのだから、全くその逆ということになる。今日の「国語教育」のことも含めて、どう考えて良いのか、音、音声言語、視覚言語、話し言葉と書き言葉、日本語・国語…。そして、わたしたちのコミュニケーション、表現と人格ということ…。
1週間の疲れも重なって、感じることにも、考えることにも本当に疲れた。休みたい。