なんじゃこりゃあ!!

自然科学全般をこよなく愛するブログです。OCNブログ人から引っ越してきています。

フランケンシュタインの誘惑「エドワード・テラー」より

2016年11月25日 | 電子工作

皆さんこんにちはtatuakicadoです(´・ω・`)

お元気でしょうか?はあ~11月も終わりますねえ、アマゾンで新しい大人の科学の予約が始まっているようなので皆さんもご検討ください。なんてもカエデ型のドローン見たいです。

今朝は下呂市も寒くなりましたね、こういう時こそ温泉に入るのが一番!皆さんの近くの温泉地で暖まってくださいね。私は下呂温泉地元なんで四美のしみずの湯へ行こうと考えています。

さて、昨日HDDに落としておいたフランケンシュタインの誘惑をさっき見ていました。

今回は水爆の父と言われたエドワードテラーです。

テラーはハンガリーで生まれ、はやり(これは恒例でありますが)数学の天才児と言われていました。しかし数学物理以外の事は全くできなかったようです。ドイツへ行って勉強をしますがナチスの台頭によりアメリカへ亡命しました。

その頃核分裂によるエネルギーにより強力な破壊兵器が出来ると物理学会では言われていました。テラーは核融合での兵器を作ろうと思い立ちました、核融合は核分裂の反対で無限の破壊力を持ちます。太陽や恒星なども核融合で燃えています。

しかし地上での核融合は温度が低く達成不可能とされていました。

テラーは核兵器を作るマンハッタン計画に参加します。ロスアラモス研究所の責任者はあの原爆の父ロバート・オッペンハイマーでした。テラーはオッペンハイマーと議論しあい、核爆弾による高熱で核融合が出来ると助言されます。

しかし、ロスアラモス研究所には核融合を研究する部署がありませんでした。

テラーは非常に感情的で、子供っぽい一面もありました。テラーは拗ねてしまい研究所の一角でグランドピアノを持ち込み趣味のピアノを演奏するなど他の科学者の迷惑を考えておらず、オッペンハイマーに苦情がくるようになりました。困ったオッペンハイマーは渋々数人の水爆実験のチームを組みます。

しかし、オッペンハイマーは水爆に反対していました。テラーはやきもきするばかりです。

やがて原子爆弾の開発に成功。その後ロスアラモス研究所からは科学者が全部去る事となります。しかし、当時アメリカの脅威であったソ連が核爆弾の実験に成功。

再びテラーに白羽の矢が立ちました。しかし、そのまま原爆を使っても核融合が出来る温度にならないと計算で分かってしまいます。

そこで、助言で核爆発の圧縮により高温にしようと言うアイデアを聞くとそのアイデアに付け足してさらに内側からも核爆発で圧縮することを思いつきます。

よいよ研究が行われるのですがテラーは最高責任者から外されました。理由は彼が人の上に立つ人間としては失格であると言う事でした。

水爆実験がマーシャル諸島で行われ成功します、テラーは離れたアメリカで地震計を見て水爆実験成功を知りました。

しかし、彼には嫉妬がありました。それは当時政界に影響力があったオッペンハイマーに対してです。何故私にはそういう地位につけないのか?

オッペンハイマーにスパイ疑惑が浮上したときに公聴会で沢山の科学者がオッペンハイマーを擁護したのにテラーは否定的な見解をしました。そこでオッペンハイマーは失脚。同時にテラーは仲間からの信頼を失いました。

その頃ビキニ諸島でも水爆実験が、そこで日本の漁船第五福竜丸が被ばく被害にあい世界中に反水爆の嵐が飛びます。

そこでテラーは何と水爆の力で公共工事をしよう、巨大な運河が出来ると言ったのです。そう、放射能をまきちらかすことを度返しにして。

その計画もとん挫していました。

以降テラーは他の科学者から相手にされず、軍人や政治家と話をするようになります。

テラーは核防衛構想である「スターウオーズ計画」を出し多額の国家予算を出費するようになります。

テラーは孤独のうちに亡くなりました。

核融合は現在最もクリーンで強力とされている核融合発電で世間で有名ですね。でもなかなか実現はしていません。核融合はアインシュタインの相対性理論や量子力学により理論が支えられ研究が進められています。

平和利用したら途轍もなく人類に明るい影響を与えるのは請け合いなのですが、水爆の始まりがこうだなんて何とも皮肉なものです(;´・ω・)

さあ、皆さん11月踏みしめて行きましょう。

そりでは良い週末を。

そりでは<(_ _)>

コメント
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